仕事と趣味の境界〜能動的であることが技芸を生む(仕事技芸論その3)

「趣味は仕事」と言うと、なんとなく寂しい人みたいに聞こえるかもしれない。しかし、仕事を技芸とすることができれば、むしろ仕事の時間でさえ豊かな時間になります。一方で、趣味だったはずが労働のように感じる瞬間もあります。

先日、初めて海釣りを体験してきました。初心者向けのサービスで道具も餌も用意されたものでした。船に揺られる中、最初はなかなか釣れなくてもどかしかったけれど、一度釣れると面白いほど釣れるようになりました。

楽しいのは楽しかったですが、糸を垂らしては釣ってを黙々と繰り返すうちに、こういう労働なのではないかと思うようになってきたのです。釣りをしながら「仕事と趣味の境界」とは何なのだろうと考えました。

趣味の二つの性質:受動的なものと能動的なもの

「趣味」と一口に言っても、いくつかの種類があり、それぞれに性質があります。色々な分け方がありますが、注目したいのは「受動的な趣味」か「能動的な趣味」かという観点です。

たとえば、映画を観る、音楽を聴く、読書をする、旅行に行く、これらは外から与えられた体験を楽しむ「受動的な趣味」と言えます。休息や気分転換という点で、もちろん価値があります。

受動的の度合いも様々です。地上波のテレビを見ることは、最も受動的と言えるかもしれません。ネットフリックスで動画を見ることは、自分で選ぶ必要があるので、その点では能動的ですが、動画視聴の時間は受動的です。旅行も、パックツアーか、自分でプランを組み立てるのかで違ってきます。

一方で、冒頭で話した釣りや、スポーツ、登山、演奏、絵を描くといった活動には、自ら動き、上達を楽しむと言う要素があります。この趣味は活動なので、心身の休息が目的にはなりません。

これらは「能動的な趣味」と表現しましょう。自分自身で頭や手を動かす必要があり、元気でなければ取り組めません。内発的な動機付けが必要で、やっているうちに「もっと上手くなりたい」「もっと工夫したい」と気持ちが動きます。それが結果につながると、のめり込んでいくのです。

能動的な趣味には、技芸的な喜びが潜んでいます。受動的な趣味が“消費”であるなら、能動的な趣味は“創造”だと言えます。どちらが良い悪いということではなく、どちらも人生には必要で、前者は回復やケア、後者には学びと成長があります。

「能動的か/受動的か」と「仕事か/趣味か」

受動的(外から与えられる)能動的(自ら働きかける)
趣味消費的な趣味(鑑賞・休息) 例:映画、旅行、読書技芸的な趣味(創作・上達) 例:釣り、演奏、スポーツ
仕事労働的な仕事(作業・指示) 例:定型業務、マニュアルワーク技芸的な仕事(創造・成長) 例:設計、企画、マネジメント

「能動的か/受動的か」と「仕事か/趣味か」。この二軸で整理した表が上記です。この表から見えてくるのは、「能動性」が技芸的であるかどうかを分ける鍵だということです。

趣味でも仕事でも、能動的であれば上達や創造が生まれる。反対に、受動的であれば、仕事は単なる労働に、趣味は消費に近づいていきます。能動的であるとは、自分の判断で考え、試し、改善を重ねていくこと。創意工夫が生まれるのは、常にこの能動性からです。

この構造は、第2回の記事『どんな仕事が「技芸的」になりうるのか』で述べた「創造性・上達・主体性」と一致しています。この技芸的な特徴は、趣味にも当てはまるということです。

つまり、仕事でも趣味でも、能動的に関わる限り、それは技芸的になる。逆に、どれだけ好きな仕事でも、受動的にこなすだけでは労働に変わる。どれだけ楽しい趣味でも、受け身で享受するだけなら消費にとどまるのです。

仕事と趣味の境界はどこにあるのか

釣りや狩りは、かつて人の生活を支える仕事だった時代があります。今もなお生業とされている人もいますが、多くはありません。時代の変遷と共に、今では同じ行為が趣味として楽しまれています。

このように、「仕事」と「趣味」は時代や動機によって入れ替わります。もしタイムスリップして、過去の釣り人や狩人が現代の趣味を見たら、仕事をしていると思ったとしても不思議ではありません。

仕事と趣味の境界は固定されたものではないとして、本質的な違いは何か。もし、金銭の授受が発生するかどうかであれば、趣味の家庭菜園で採れた野菜が売れたとしたら、仕事と言えるのでしょうか。

あるいは、自由意志ではなく、義務や強制によって取り組むことが仕事の条件となるのでしょうか。しかし、仕事だとしても、いくら報酬を積まれても断る権利はあるし、自分の望む仕事をするために挑戦する人もいます。

仕事と趣味の境界線をあえて曖昧にする。仕事だけが趣味でなくても良くて、登山やサイクリング、バンド活動のような趣味をしつつ、仕事も趣味のように取り組めたら、人生の幸福度は上がりそうな気がしています。

私の例で言えば、二つの会社を経営して、それ以外の会社にも関わり、本を書くに留まらず出版事業まで取り組んでいます。経営者という立場もあるけれど消耗する仕事でなく、疲れはするけど充実する仕事に取り組めています。趣味のない仕事人間と思われるかもしれませんが、当人にしてみれば趣味が多くて幸せだと思っています。

能動的であることが、技芸を生み上達に繋がる

仕事にせよ趣味にせよ、技芸的かどうかを決めるのは、外的な条件ではなく、その仕事や活動にどれだけ能動的に関われているかです。

映画や音楽を鑑賞することでさえ、能動的に取り組むことで批評家や研究者のような形で仕事になるかもしれません。逆に、創意工夫の余地が許された仕事でさえ、何も考えずに受け身でいることで単純労働になってしまいます。

「能動性」を軸に見れば、仕事と趣味の境界は驚くほど曖昧になります。能動的に働くことと遊ぶことの本質は、どちらも技芸的な営みです。違いを生むのは、内面の姿勢です。

技芸的な仕事は、趣味としての側面もあります。プログラミングは、仕事でもありながら、趣味としても成立した活動です。料理人にとっての料理も、同じかもしれません。そうなると、趣味としても取り組んでいることが、仕事の成果にも繋がる可能性が大きくなります。

もちろん趣味なので、仕事の成果のためにやる必要はありません。ただ、そのつもりではなかったとしても、結果的には上達に繋がることになり、それは成果という形になるのです。

受動的に生きれば、それは労働や消費になる。能動的に生きれば、それは技芸になる。働くことも、遊ぶことも、上達と学びの連続として捉える生き方があることを提案したい。

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倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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