マネージャの資質とマネジメントの本質

前回の記事では、「マネジメント」と「管理」は違うものであるという主張を述べた。管理はマネジメントの手段の一つに過ぎず、現代の再現性の低い仕事や多様な人材がいるチームビルディングにおいて、昔ながらの管理という手法は通用しないのではないか、と。

では、マネジメントとは何で、それを職務とするマネージャの役割は何か、その本質について考えてみたい。

マネージャに求められる能力の誤解

以前にシステム開発の現場でプロジェクトマネージャをしていた頃は、マネージャたるもの技術や業務、顧客のことまですべて把握して理解していなければいけないと考えていたし、そう実践していた。

マネージャの大事な仕事の一つは、決断することだと考えていたし、その決断に伴う責任を負うことである、とも。そのためには、あらゆることを知っていないと判断ができない、だから大変だけど向き合ってきた。

しかし、そんな全知全能であろうとするのは遅かれ早かれ限界がきた。

特に、エンジニアたちのチームをマネジメントするマネージャなのだからといって、すべてのエンジニアたちよりも知識があって、なんでも自分で最終判断をする、そして理解して評価するというのは不可能になった。

広大なテクノロジーの知見をすべて把握することも難しいし、日進月歩で進化するテクノロジーを毎日、調べたり勉強したりしている現場のエンジニアたちよりも詳しくなることは現実的ではなかったのだ。

マネジメントの仕事も様々で、日々を忙しく過ごしているマネージャにとって必然的にテクノロジーに触れる時間は短くなってしまう。そうなると現場のメンバーの方が詳しくなるのは仕方ない。だからマネジメントはできなくなる、となるのはジレンマでしかない。果たして、本当にそうだろうか?

マネージャ本来の仕事と役割は何か

そもそもマネージャの仕事とは何だったのか。ただの言葉にすれば「マネジメントすること」「マネージすること」だが、それは一体何をすれば職務を果たしたことになるのか。

部下との1on1をすることか。KPI/KGIやOKRを使った評価やモチベーション向上か。計画を立てて遂行するよう管理することか。勤怠管理や経費や有給の決裁を承認することか。

たしかに、そうした仕事もあるだろう。しかし、どれも本質ではない。

日本における階層型の組織には「管理職」という職層がある。この管理職の仕事がマネージャであると一致させているケースがある。それによって、より管理とマネジメントの混同を助長しているようにも思う。

「マネジメント」=「管理」という翻訳は間違っている。管理することだけではないからこそ、カタカナのままのマネジメントだったはずだ。それに、マネジメントとは管理職だけがするものではない。

人と組織を束ねることも、チームや会社のマネジメントの中では大事な要素かもしれないが、たとえ一人であっても、自分のことであっても、マネジメントは重要なものであるはずだ。

対象のないマネジメントには意味がない

「マネジメント」という言葉は、非常に抽象的な概念だ。特に「マネジメント」という言葉単体で扱うと、もはや何も言ってないにも等しい。というのも、マネジメントの対象を付けていないからだ。

組織マネジメント、プロジェクトマネジメント、プロダクトマネジメント、リスクマネジメント、ライフマネジメント、健康マネジメント、タスクマネジメントなどの対象があって初めて意味が出てくる。

わかりやすそうな「タスクマネジメント」で考えてみよう。幾つかあるタスクをマネジメントすることがタスクマネジメントだとすると、それは何をすることか。

最初にタスクの洗い出しをする必要がありそうだ。優先順位を決める必要もあるだろう。取り掛かっているタスクが何でどれほど進んでいるのか把握するし、一覧にして管理することで状況の見える化もするだろう。進まないタスクがあれば、問題を排除して進むようにしなければいけない。

まぁ色々とあるが、つつがなくタスクが処理されればマネジメントしたことになる。逆に考えると、もし一覧で管理しなくても問題なくタスクが処理されていくのであれば、そんな管理などしなくても良いのかもしれない。管理が手段であることがわかるだろう。

それはタスクマネジメントに限らず、他の対象であっても同じことだろう。すなわち、その対象をうまくいくようにすることが、マネジメントの仕事だと言える。

いい感じにすることがマネジメントの本質

「マネージする」というのは「なんとかする」といった言葉であり、その語源は馬を手なずけることからきているそうで、手を加えることで困難な状況をなんとか対処するということ。確かに日本語には無さそうだ。

そんなマネジメントを説明するのに、私が最近つかっている言葉は「いい感じにすること」。

色々な取り組みはあるにせよ、どんなことをしても「いい感じの状態」を作り上げることができればマネジメントしていることになる。社長だからこういうことをする、管理職はこういうことをしない、ではなくて責任を負った対象をなんとかするためには、なんでもするのだ。

私たちソニックガーデンで言えば、社員ほとんどがプログラマの会社であるため、経営の仕事とはプログラマがしないことをすることだとしている。言わば、高度な雑用である。会社全体を良い感じにするためには雑用でもするのだ。

とはいえ、本当に雑用もすべてマネージャがしなければいけないかというと、そんなことはない。外部に委託することができるならば、しても構わない。むしろ、そういったアウトソーシングする形をつくることもマネジメントと言える。

いい感じにするために使えるものは何でも使うのがマネジメント。自分自身でさえも、そのための道具として考えることができるかどうか、そうしたことも求められる。必ずしも全部をマネージャがしなくてもいいし、マネージャも自分自身の強みを活かせる場所に配置した方がいい。適材適所にした方が、いい感じになる。

マネージャの資質は、全体をみて考え続けること

そう考えると、冒頭で書いたエンジニアチームのマネージャには、メンバー全員の上位互換となるテクノロジーの知見が求められるかと言えば、そんなことはないということがわかる。

チームがうまくいく、いい感じにさえなれば良いのだから、必ずしも技術の難しい点を自分で判断しなくても良い。自分が決めなくても、いい感じになるにはどうすれば良いか、ということにこそ腐心するのだ。

このようにマネジメントをする人、マネージャに求められる資質とは、全体を見て気配りをすること、そのために自分自身も含めて客観視できることだろう。

そうして広く観察をした上で、いい感じの状態とはどんな状態であるかを想像し、それを実現するために何をしていけば良いのか、考え続けて手をかけ続けることで、マネジメントの職務を果たしたことになるのだ。

どれだけ対象のことに対して真摯に向き合い続けることができるのか。できることは何でもするし、何もしなくてもいいようにすることもマネジメントと言える。同じことを続けることではなく、日々の変化にも向き合っていくのだ。

私たちソニックガーデンが、ティール組織のように管理ゼロでもチームとして成果をあげていけるのは、管理しなくてもいい感じになるようなマネジメントをしているからだ。そうなるように一生懸命に取り組んでいる。

普遍的に存在するマネジメント

マネジメントというのは、社長だから管理職だから取り組むものではなく、人生における様々な場面で、いい感じにしたい対象があって取り組むなら、それはマネジメントであると言える。

家庭をいい感じにしたいなら家庭のマネジメントに取り組むし、自身の健康をいい感じにしたいなら健康マネジメントに取り組むのだろう。そして、手段は状況と目的に応じて変わってくるし、変えるべきだ。

誰かがするものではなく、誰もがするものがマネジメントなのだ。これがマネジメントの本質的なところではないだろうか。

今回は、あえてドラッカーを参考にせずにマネジメントの本質を考えてみた。

そして管理しないで、どうマネジメントしているのかは、こちらに書いた。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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