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第9章 凄腕開発者集団の中に入ってきた、新卒社員と非プログラマ

【連載】ソニックガーデンストーリー 10年分のふりかえり

「納品のない受託開発」を掲げ、フルリモート勤務や管理しない組織など柔軟な働き方を実践するソニックガーデン。
メンバーへの取材をもとにその10年の歩みを追いました。

2013年から14年にかけて、ソニックガーデンは新たな試みとして新卒世代の採用を経験していきます。また、初めてプログラマとしてではなく、経営のサポートとしてのメンバー採用も行われることに。これまでにない新たな形の採用により入ってきた2人は、ソニックガーデンにどのような風を吹かせるのでしょうか。

9-1 新人育成の課題感

ここで、また少し時を戻しましょう。

2013年から14年にかけて、ソニックガーデンは当時は珍しかった2人の若手プログラマの採用を経験していました。しかし、2人とも長続きはせず、早いスパンで退職をすることに。

創業メンバーから少しずつメンバーを増やしていくなかで、中途採用者でもしっかりと定着していたソニックガーデンですが、こと年齢が若い人に対してのマネジメントにはまた違う苦労を味わっていました。

「2人とも20代前半で入社してきたいわゆる新卒世代です。これまではプログラマとして経験値を十分積んでいる人ばかりを採用してきたなかで、その中にぽんっと若手プログラマが入っていく。私も含め、どうすれば若手が顧問CTOとして育っていくか、考えあぐねていました」(倉貫

特に難しいのは、ソニックガーデンが“セルフマネジメント”を重視している点です。管理をせず、自分たちでマネジメントをしていくソニックガーデンでは、このセルフマネジメントスキルも必須となってきます。このスキルを、どう若手社員に教えていくかが、育成において難しいポイントとなってくるのです。

「ここに関しては、今も試行錯誤しているところです。技術力、顧問CTOとしてのコンサルティング力に加え、セルフマネジメント能力もソニックガーデンには必要になってきます。ここに関しては、教えられる部分もあれば、本人が自らの意思で伸ばしていかなければいけない部分もある。

もちろん、もともと持っている素質もあるでしょう。その点、この2人の後に入ってきた、新卒社員は今もソニックガーデンで活躍しています。彼女は、セルフマネジメントできる素質を備えていて、それを伸ばしていったのかな、と今になってふりかえると感じますね」(倉貫)

9-2 「開発会社 間がない」

(営業する人、企画をする人、コードを書く人…なんでこんなに多くの人がいて、それぞれが違う視点で働いているんだろう?本当に、お客様のためになってるのか、ソフトを使う人のためになってるのか…。私はこういう業界でこれから働いていくのかな…?)

とあるWeb制作会社でインターンをする大学生、高木は自問自答を続けていました。無垢な視点で、IT業界が抱える構造的な問題を見抜いていた高木。このまま「そういうものだ」と朱に染まるのか、はたまた違う業界を模索するか…。同時に、高木は共に税理士として働く両親の姿を思い出していました。

(会計ソフトの使い方を聞こうとしても、ろくにサポートしてくれないどころか、新しい製品の話ばかりしてくるって言ってたな。ソフトが売れれば、開発会社はそれでいい。でも、両親はそれで困っていたし、開発会社ってそんなところばっかなのかな…?)

インターンを続けながら、ソフトウェアとは何か、開発会社とは何かを考えていた高木は、「開発する人と、お客様が直接会話しながら作っていくのがいいんじゃないか」という考えを抱きます。そうした体制なら、お客様はエンドユーザーへの価値を考えやすくなるし、開発する人もどう作っていけばいいかをより明確にできる。

(でも、そんな会社なんて本当にあるのかな…?)

もやもやする頭のまま、ネットサーフィンをしていた高木は気付いたら、ある検索ワードを打ち込んでいました。

「開発会社 間がない」

9-3 ぎっさんと呼んでください

「倉貫さんのブログが引っかかって、『あるじゃん!』って思いましたよ。岡山で倉貫さんの講演があるって書いてあったので、京都から出向きました。その場で、思い切って倉貫さんにも声を掛けたんです。それがきっかけで採用フローを進めていただいて、内定をいただきました。その後、入社するまで月1回程度、倉貫さん、藤原さんとSkypeで近況共有をしながら関係性を深めていきました」(高木)

知れば知るほど、ソニックガーデンへの興味が高まっていったという高木。実は、その時点で他の会社から内定をもらっていたといいます。

「いわゆる普通の就職活動もしてはいました。実は、倉貫さんに初めて会った時点ではすでに内定をもらっていたんです。でも、自分の中ではソニックガーデンしか考えられなかった」(高木)

大学生ながら、毎年恒例のソニックガーデンの合宿に出た高木は、積極的に溶け込もうとしていきます。そうした姿勢を見て、倉貫も安心感を覚えます。

「当時、新卒採用はまだ1人しか経験していなかったし、まして初めての女性です。かなり、慎重に考えていました。ただ、合宿に来たときに『ぎっさんと呼んでください。気を使わなくて大丈夫です』って、彼女自身から発信していて。ああ、この子は大丈夫そうだなって思いました。考え方はソニックガーデンに合っていたし、もらっている内定を蹴ってでも来ようとしている。これは、もう入社してもらうしかないな、採用を決めました」(倉貫)

2015年4月、初の女性、当時はまだ珍しい新卒生、そしてプログラミング初心者というこれまでのソニックガーデンの採用では異例だらけの高木がメンバーに加わることに。顧問CTOとして辣腕を振るうプログラマたちの中に、ポツンと入った彼女はこのあと自分なりの居場所を見つけていくことになります。

2015年家族会の様子 高木が自身の紹介をしている

9-4 スキマ相談室

2015年は高木に加え、初の非プログラマである岩崎(現・株式会社ラクロー代表取締役)の採用というもう一つの新たな試みもありました。もともとはソニックガーデンに開発を依頼する立場だった岩崎は、籍を置く会社での出世競争や人間関係のしがらみに辟易していました。

「事業部長という立場までキャリアアップをして、仕事に関してはしっかりと経験値を積んでいました。ただ、このままどろどろした人間関係、かつ生き馬の目を抜くようなビジネスの世界に身を置くのか、悶々としていたんです。一方、ソニックガーデンは依頼する私から見ても、しがらみとは無関係で、みなさんがそれぞれの仕事に誇りを持っているように見えていました。いい会社だなぁとずっと思っていましたね」(岩崎)

ソニックガーデンの仕事に向き合う姿勢に、依頼する立場から魅力を感じていた岩崎。フリーランスになってコンサルティングでもするか、とも考えるなか、「ソニックガーデンの経営を手伝えないか?」という思いが芽生えてきます。

「会社を辞める数ヶ月前に、藤原さんと食事をする機会があって、自分の思いを話したんですよね。藤原さんはじっくりと話を聞いてくれました。その中で、『あれ、ソニックガーデンに入るのが一番いい道なんじゃないか?』という思いが出てきたんです」(岩崎)

ちょうどその当時のソニックガーデンは、倉貫の著書「納品をなくせばうまくいく」の影響もあり、案件相談も増加。組織の人数も増えるなかで、倉貫、藤原だけでは手が回らない仕事も出てきていました。

「社内でいろいろとソフトウェアを作ってはいましたが、それを事業として成り立たせる企画の部分まではなかなか手が回らなかったんですよね。岩崎さんは依頼主として、ソニックガーデンのカルチャーも理解してくれていましたし、事業部長の経験もある。明確に何をするかが決まっていたわけではないのですが、可能性はありそうだとジョインしてもらうことにしました」(倉貫)

プログラマではなく、明確な役割もないなかで入社した岩崎でしたが、経験値を活かせる場を積極的に探していきます。

「ちょうどその頃、堅い企業、つまり決済のルールが厳しい企業からの相談も増えてきていたんです。『納品がないけど、どう稟議通す?』という話がちらほら出てきていました。そこに関しては、それまで私は稟議を通す側でいたので、必要な企業に対してはいろいろとアドバイスをして、案件が成立するまでのフォローをしていました。あと、入社して1年ぐらいして『スキマ相談室』というスレッドを作って、倉貫さん藤原さんの手からこぼれているけど、プログラマがやることでもない仕事を受け付けていました。Remottyの事業化をはじめ、賞に応募したり、広報的な動きも当時はしていましたね」(岩崎)

高木、岩崎というこれまでにない2人の入社があった2015年のソニックガーデン。新たな色が加わることで、組織としての厚みも増していきます。

2015年4月16日、Remottyがリリースされた
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