仕事をするときに、指示された仕事よりも、任された方がやる気が出る。というのは道理だけれど、そもそも任して良いかどうか判断が入る。
誰かと働くとき、仕事を頼む側と頼まれる側には、力量や経験や視野の違いがあり、互いのことを知ってるかも含めて関係性には段階がある。
たとえば新卒で入社したばかりだと、まず仕事は、任されるより指示されることが多い。これはまだ任して良いかわからないから仕方がない。
指示された仕事でも、真摯に前向きに取り組んで成果を出していけば、その姿勢を見ることで信頼関係はできて、仕事を任されるようになる。
仕事を任されるようになったら次は、どうすればより成果を出せるのか考える。その中で自分の強みや軸を見つけ、磨いて発信していくこと。
自分の軸が確立して強みを周りに知られるようになると、今度は周りの人から頼られるようになる。この分野はこの人に頼ろうとなっていく。
頼られる人になれば、独立してフリーランスでもやっていけるし、会社にいても自立して強い立場でいられる。生殺与奪の権を自分で持てる。
互いの強みを活かして頼り、頼られることでチームや仲間になれる。頼られたことに期待を越えて応えていくことで、社内外に評判が広がる。
最終的に、ひとかどの人物になって一目おかれるようになっていけば、何か新しいプロジェクトなどあった時に、誘ってもらえるようになる。
もはや仕事として頼られるというよりも、損得なしで一緒に遊ぶ感じで誘ってもらえて、それが良い経験になったり、仕事に繋がったりする。
そこまでいくと、仕事か遊びかわからないし、仕事相手か友人かわからなくなるけれど、自分の強みを活かして楽しく働ける。自由な働き方。
自立や自由が良いと望むとしても、それを環境に求めるのではなく、自分自身で期待を超えた成果をあげていけば、段階的に手に入っていく。
どうすれば自由に楽しく働けるかを考えたり悩むよりも、どうすれば卓越した成果を出せるのかを考えた方が、いずれ自由に働けるのかもね。
アオアシ最新刊を読んでからの、アオアシ本を読みます!サブタイトルが良いですね。アオアシは育成に携わる人は読んで欲しい。
最近、私としては若手プログラマの育成に携わり、改めて感じることが、『自分で掴んだ答えは一生忘れない』という劇中の言葉。
たとえば仕事に対するスタンス。上司から言われた仕事だと思って取り組んでいる限り、そこから得られるものは限りなく少ない。
面白くなさそうな仕事であったり、一見キャリアに繋がらなそうな仕事であったり、そうした自分の望む仕事じゃないこともある。
そうした時にさえ、自分の仕事だと考えられれば、どうすればより成果が出せるのか、学べることはないか、前向きに取り組める。
どんな仕事でも、テーマを持って頭を使って一生懸命に取り組めば、何かしら得られるものはある。それが次のチャンスに繋がる。
こうしたことを、どれだけ説明しても、懸命に伝えても、人は変わりはしない。人は知識を教えられるだけでは変わることはない。
だけど、自分で考え、気付き、自分なりの覚悟を持つことができれば、その人の仕事ぶりは大きく変わる。周りからの目も変わる。
前向きな人には仕事を任せられる。仕事は任せられるようになると面白くなる。任せてもらえるためには、自分で気付くしかない。
面白い仕事が与えられないと不平をもらしているからと、育成を担うマネージャは、面白いと思う仕事を渡そうとしてはいけない。
そんなことをすれば、その先も誰かに与えられる環境でしか生きていけなくなる。与えられるだけの人は、ずっと不満を言うはず。
だから、自分で気付いてもらうしかない。マネージャは真摯に成果を求め続けることしかできない。葛藤から気付くのは自分だけ。
『自分で掴んだ答えは一生忘れない』
とあるきっかけがあり、20年前に読んだ本「調理場という戦場」を引っ張り出して再読。やはり良い本だった。
当時は20代の後半で、少し仕事はできるようになった一方で、会社員として働いて、将来どうなるのか、どうしたいのかもわからずにいた頃に読んで、とても勇気づけられたことを思い出した。
自分の思いに真っ直ぐ、小賢しくならず、だけど愚鈍にもならず、自分の頭で考えて、だけど先達からは素直に学ぶ。そうして、ひたすら技術に向き合うことで、辿り着く先があることを知った。
その頃は仕事そのものが楽しかった記憶はなく、仕事で何かを達成したり、できることが増えることに楽しく感じることはあったけれど、それよりも、もっとできるようになることに必死だった。
料理とプログラミングに違いはあるけれど、技術に向き合う仕事人の姿勢には、なんら違うところはないと思う。どんな職業も、まずは技術に没頭し、突き詰めるところから。それが共通点かも。
プログラミングやソフトウェア開発の技術とプロセスにこだわりぬくことは、私たちにとっては大事にしていきたいことだし、そこに共感する人たちと働きたいのだ、と再認識することができた。
改めて読んでみて、当時とは少し違う視点で感じる部分もあるのは、この著者の方の立場や年齢に近づいているからだろうか。今の自分には、若い人たちに伝えられる言葉は持っているだろうか。
それは私なりに伝えていきたいし、今うちで働く若い人たちにとって、ここは厳しいけれど人生にとって得られるものが大きかったと後になって思える場を作っていければ、経営者として本望だ。
若い人たちに教えると同時に、私自身にも学びがあり、刺激をもらえて、まだまだ真摯に向き合える仕事があることに喜びを感じる。社員の誰もが、そんな風に思えるような会社にしていきたい。
いつか、こういう本が書けるようになりたいな。
今日のザッソウラジオでも話したけれど、仕事人生において、加減乗除みたいなフェーズがあるのは、自分のことを振り返ってもそう思う。
「納品のない受託開発」というビジネスモデルに辿り着くまで、思い返してみればシステム開発で仕事を始めてから10年くらいかかっていた。
社会人になって、システム開発の現場で苦労して、アジャイル開発に出会い、なんとか理想とするソフトウェア開発を実現したいと頑張った。
途中から、自分のやりたい仕事にこだわるのではなく、自分のやりたい理想にこだわるようになって、営業から管理職まで何でも取り組んだ。
その時々では、将来や未来とか、業界や社会のことなんか考えるわけでもなく、ひたすらやるべきことを一生懸命にやってきただけだったな。
どんな仕事も、せっかくやったことは意味があったと考えたいし、どんな意味があったかと後からでも見出せたら、やって損することはない。
たまたま独立して会社を作れるチャンスが得られた時に、それまで取り組んできたことが、「納品のない受託開発」みたいな形に昇華できた。
そう思うと10年以上かかってしまったし、目指してきたわけでもないけれど、時間をかけて積み上げていくのも、悪くないんじゃないかな。
そんな「納品のない受託開発」も始めて10年が経ち、少なくない実績もできました。お客さまと開発者が幸せになるモデルを広げていきたい。
苦手な仕事と下手な仕事は違う。下手は状態なので訓練や経験によって上達できる。だけど、苦手は気持ちなので時間かけても変わらない。
苦手な仕事だけど、なんとか出来るようにと頑張るのは結構つらい。見てる方もつらい。苦手で下手だと、上達までの時間がつらいはずだ。
野球選手になりたいけど、野球が苦手なら努力はつらいものになる。果たして本当になりたいのか。どの職業でも似たようなことがある。
苦手を克服するのは、とても大変で、頭ではやるべきだと考えていても、心で感じていることと合っていないと、いつか心が折れてしまう。
下手でも苦手でなければ、人によって時間はかかっても、いつかは上達するだろう。その努力の時間も苦しくなければ、続けられるはずだ。
下手なうちは楽しくないのは同じ。けれど苦手で楽しくないなんて、たとえ修行だとしても耐えられない。苦手なまま上達することはない。
苦手なことからは逃げても構わない。頭よりも心に従った方が良いのではないか。心が先で、頭がついてくれば、時間をかけて上達できる。
それでも、もし苦手だけど、取り組みたいと思うならば、まずは苦手意識を克服することではないか。そもそも苦手と苦手意識は違うはず。
苦手意識は、苦手に感じていることだけなので、下手と違って一瞬で切り替わることもある。だから、最初は小さな成功体験から始めたい。
これまで商業出版で、何冊か書籍を出させてもらって感じたことは、編集者によって本の作り方・売り方が全然違ったということ。
編集者なので、文章を書く訳ではないけれど、書くこと以外の書籍作りのすべてを担ってくれる。書籍の企画から売るところまで。
この仕事は何かに似ていると思ったら、プロダクトマネージャの仕事だ。よく考えたら、抽象化すれば書籍もプロダクトなんだな。
編集者には、本を作ることは得意だけど、本を売っていくマーケティングが苦手だったり、自分の役割だとは思ってない人もいる。
だけど、プロダクトマネージャだとするならマーケティングまでやって、ユーザに届けてスケールするところまでが仕事といえる。
良い本を作ることも仕事だけど、本当のゴールは読んで欲しい読者に届けて、読者に何かしら良い影響を与えることなんだろうな。
プログラマが、自分の好きに作っても、ユーザが喜ぶサービスを作ることが難しいのと同じで、著者だけでは良い書籍は作れない。
プロダクトマネジメントは、ここ数年で知見が共有されるようになってきたけれど、編集の仕事はそうはなっていないように思う。
それが編集者によって非常にバラツキが大きい理由かもしれない。プロダクトマネジメントを参考に、もっと共有されると良いね。
心理的安全性は、単なる仲良しではなく、遠慮なく目的達成のために率直に意見を交わせることなのだけど、乱暴な言い方で良い訳ではない。
率直に意見を言うことと、乱暴な物言いをすることは別なのだ。言うべきことを言うにしても、丁寧なコミュニケーションを忘れずにいたい。
たとえば、仕事の品質で妥協しないよう、プロとして厳しさは必要となるが、厳しく伝える必要はない。ただ、優しくしろという訳でもない。
コミュニケーションは、厳しい優しいではなく、丁寧にすること。姿勢には厳しさや優しさがあっても、伝え方は丁寧であることが望ましい。
同じことを言うにしても、言い方ひとつで相手を傷つけたり、不快にさせて聞く気をなくさせたりする。伝え方は伝わり方に影響するものだ。
だからといって堅苦しさは要らない。丁寧さは、カジュアルさと併立できる。ざっくばらんに話すときでさえも、丁寧に伝えることはできる。
言いたいことを我慢するのも違うし、言うことに気を使うというのも少し違う。気をつけるのは表現の仕方、ユーザインタフェースの部分だ。
丁寧なコミュニケーションは、才能ではなく、スキルなので訓練すれば身につけられる。慣れてくれば、意識せずにできるようになると思う。
そう言いながら、若い頃はできてなかったし、今もできてないときもあって落ち込むこともあるから、反省と自戒を込めて。丁寧でありたい。
何か難しい問題や決断のために考えるときの自分の癖は、複数の案を出してみて、それぞれ選択したらどうなるか思考実験をしてから決めていた。
論理的に筋道たてて考えていても、なかなか良い案が出ないときは、けっこう極端な案を出すことも多い。極端な案を出せば、案が出やすくなる。
案を出すときは、頭の中だけで考えるよりも、テキストに起こしてみる。案1、案2と書いていくことで、まだ案だからな、と思えて気軽になる。
アイデアって、ずーっと考えてたらパッと浮かぶみたいなイメージがあるけど、自分の場合は、そういったことはなくて、選択肢から選んでいる。
とはいえ普段から考えておくことはしていて、時には直感が働くこともある。あるけれど、直感だけで決めることはせずに、案の一つとしている。
複数の選択肢から、それぞれの思考実験をしきったあとに決断すれば、その選択したロジックを持つことができて、それを仮説として検証できる。
なにか考えるときは、たとえ案が1つしか思い浮かんでいなくても、まずは案1としてみると良いかもしれないな。
立場が人を作るって言うけれど、実際のところ人を変えるのは立場ではなく視座じゃないかな。視座が変わって人が変わる様子を見た。
そして、視座は上下だけではなく、どこに眼を置くかということでもある。より広く見える視座もあれば、逆から見える視座もある。
顧客の視座を持てば、より大きな成果を出せたり、信頼してもらえたりする。顧客に向き合うのではなく、顧客と同じ目線を持つから。
上司の視座を持てば、自分に求められている仕事の意味を慮ることができる。上司の成果を上げることが自分の評価も上げることになる。
転職しようとすれば、会社の外からの視座や自分の社会での価値といった視座が得られる。実際に転職しなくても視座は変えられる。
政治家の視座を持てば、様々な政策や決断に対して、ただ批判的にいるだけでなく、社会に対しての問題意識も持つことができる。
強制的に視座を得るために、立場を変えることは手段としてあり得るけれど、必ずしも立場を変えなければ得られない訳ではない。
立場や意見の違う人と話をする。フィクションでも良いから本を読む。いつもと違う場所に旅に出る。出口さんの言う「人・本・旅」。
相手の立場になって考える、と言えば簡単だけど、実際には難しい。日々ふりかえりして身に付けていくんだろうな。
オードリー・タンさんの本を読んだけど、すごく共感できたなー。「保守的なアナーキスト」とか「保守というより持守」とか、まったく同じスタンスだし、すごく的確に言語化してくれた気持ち。
https://gentosha-go.com/articles/-/33369
無政府主義とアナーキズムは、同じではありません。私が考える「アナーキスト」とは、決して政府の存在そのものに反対しているのではないのです。政府が強迫や暴力といった方法を用いて人々を命令に従わせようとする仕組みに反対する。つまり、「権力に縛られない」という立場です。
アナーキストとしての私は、どんな場面であれ、「権力や強制といったものをどのように平和的に転換させればいいのか」「皆がお互いを理解し合った新しいイデオロギーに持っていくにはどうするのがいいのか」といったことに関心を持っています。もちろん、古くさい権威主義や上から目線の命令、高圧的な態度などにはまったく興味がありません。
「保守」という言葉にはいろいろな解釈があります。「堅持するのに値する何かを守る」と解釈するのであれば、私を保守派と呼ぶのは正しいと言えます。しかし、「保守」は時に攻撃的な意味を持ちます。その意味で「他の人が新しい物事を試すことを許さない」と解釈するのであれば、私は保守派ではありません。
私は自分が守りたい伝統文化について確たる意識を持っています。そして、それを守るために多くの人を巻き込んで、なんとか実現したいと思って行動しています。「自分が守っていればいい。他人のことは知らないよ」というような傍観者的な態度でいるわけではないのです。
もう1冊。ウェルビーイングの本、面白かった。推しと信仰の相似は、なんとなく感じてたけど、言語化されると納得感が大きい。自分より大切なものを見つけると安定するよね。上ではなく奥というのも共感できる感覚。
僕らソニックガーデンは、何かをするために始めた会社じゃなく、一緒にいることから始めた会社なので、とても志は低いけれど、割とウェルビーイングでいられるのは、そういうことなのかも。
この本を読んで、自社で使ってる成長という言葉も表現を変えて、技能の熟達と精神の成熟と言った方がフィットしてる感じがした。上に行くというより、道の先に行くという感覚の方が近い。
移動と遊びがウェルビーイングに繋がる話も、人事異動がイノベーションに繋がる話も、まさに会社で取り組んでることにリンクしてる感じがしたのも嬉しかったな。色々とアップデートできました。
先日、ザッソウラジオというポッドキャストを始めました。仲山さんこと「がくちょ」と私で、ゲストをお呼びして、雑談・相談のザッソウで、ゆるくおしゃべりする番組です。第1シーズンのゲストは、篠田真貴子さんでした。
ザッソウラジオは、ゲストとの収録もとても楽しいんだけど、それを公開前に自分で聴き直すのだけど、普通に楽しんで聴いてしまった。
そもそも用事もなく話をするのに声かけるの苦手だから、こんな機会で、しかも、なんでもない感じでおしゃべりさせてもらえて幸せだなーって感じる。しかも、自分なりに学びや気付きがあるので、得しかない。
登場して頂けるゲストの皆さん、きっちりディレクションしてくれる水谷さん、軽快なジングルまで作って音声編集してくれる大島さん、一緒に始めてくれたがくちょ、みなさんのおかげで楽しくやれてます。ありがとうございます。
そんなザッソウラジオ、私たちが楽しそうにおしゃべりしてるってだけの番組ですが、けっこうな方々に聴いてもらえて、なんだったら「お便り出したい!」って声も頂いたので、調子に乗ってフォーム作りました。
ゲスト回とゲスト回の間に、がくちょと二人でザッソウする回を収録して、そちらでお便りを読ませてもらいますので、ぜひ投稿ください〜。ラジオネームもOKですよ。
毎週水曜に更新ですが、今週は編集してるので一回やすみで、また来週の水曜から次のゲストのシリーズが始まります。また豪華なゲストにきてもらって、ただの雑談・相談をします。Spotifyなどでフォローして、お楽しみにお待ちください。
#ザッソウラジオ
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セルフマネジメントについて記事を書きました。セルフマネジメントの解釈が人よって違いすぎるので、自分なりに解像度を高めてみました。
私にとって、セルフマネジメントとは自由に働くための能力で、今にして思えば、それが身につくまでは時間も経験も必要だったなぁと思う。
若い頃はセルフマネジメントなんてできなかったから、会社でマネジメントされる環境で働けたことは、自分にとってありがたいことだった。
管理されたくないセルフマネジメントで自由でいたいと思っても、最初から何でも自由で放置されたら、セルフマネジメントは身につかない。
まずは適切にマネジメントされる環境に身を置いて、徐々にセルフマネジメントを身につけていくことが、実は遠回りに見えて王道だと思う。
私たちソニックガーデンでも、今までフラットで管理ゼロでやってきましたが、若い人を採用していくにあたり、この辺りを考え始めました。
来月に入社する新卒社員には第1段階から、若いプログラマで成長を望んで中途入社される方には第2段階から身につけられる環境を作ろう。
その環境は、今までのソニックガーデンとは違ってくるかもしれないけれど、セルフマネジメントで自由に働けるようになるまで支援したい。
自立して自由に働ける人を増やしていくのは経営の目的で、そんな自立した人たちがなお働きたいと思える環境を作ることは経営の使命だな。
そして、セルフマネジメントで自由を目指したら、仲山さんの『組織にいながら、自由に働く。』に出てくる「自己中心的利他」に繋がった。
記事は以下から。
私は、もともとプログラマを仕事にしていた頃からアジャイル開発が好きで、中でもエクストリーム・プログラミングという考え方が好きだった。
今思えば、メソッドやプロセスというよりも、実践を伴った哲学が詰まったもので、その通りに従うものではなく、考え方の一つだったとわかる。
価値・原則・プラクティスという3層構造になっていて、プラクティスにはペアプログラミングやテスト駆動開発、リファクタリングなどがある。
おそらく、モダンな開発をしているスタートアップやSaaSの事業会社の開発で取り入れられているものの殆どが、ここに源流があるのだと思う。
もちろんエクストリーム・プログラミング自体も、それまであった多くのベストプラクティスを整理してまとめあげたものなので、知見の蓄積だ。
とはいえ、そのまま真似をしたり、決まったプロセスとして使おうとしても、うまくはいかない。大事なことは、裏側にある原則であり価値観だ。
「シンプルさ」「コミュニケーション」「フィードバック」「尊敬」「勇気」この5つの価値観は改めて2022年の今みても色褪せることがない。
問題を複雑にせず、シンプルに対処する。問題vs私たちで対話する。結果をもとに改善する。人間の尊厳を重んじる。困難にも毅然と立ち向かう。
この価値観は、私たちが経営をしていくときにも、現場で仕事に向き合うときにも大事にしていることと同じ。開発以外にも十分に通用する哲学。
らせんが2周近くまわったけど、私たちの出発点はアジャイル開発のエクストリーム・プログラミングだったし、それは今も息づいているんだな。
「ふりかえり」を続けることで身につけて欲しいな、と思うことの一つは、「どうあるべきか」と「どうしたいのか」を混同しないで考える視点。
仕事をしていると、色々と考慮した上で最後は判断しなければいけない場面が出てくる。大小あれど、その決断は周りに影響を与えることになる。
そうしたときに、若いうちは、どうしても自分が「どうしたいのか」で考えてしまいがち。果たして、その選択はベストなものになるのだろうか。
仕事をする上で信頼できる人だなと思えるのは、自分のことは一旦置いといて、組織や社会にとって「どうあるべきか」から考えて決められる人。
全体として良い感じになる理想を考えて、そこに辿り着くまでのプロセスを考える。そのロジックが通ったら、自分がすべきことは自ずと決まる。
自分を犠牲にしろということではない。全体には自分も含まれているのだから、自分も満足のいくような「どうあるべきか」を徹底的に追求する。
とはいえ、人間なかなか自分の視点を外して考えることは難しい。そこで、ふりかえり。ふりかえりで自分を客観的に見て内省する機会にできる。
ふりかえりで自分のことを俯瞰して見れるようになったら、自分のことを分離して、問題を解決するために「どうあるべきか」を先に考えられる。
チームでも「どうしたいのか」を持ち寄ってもすりあわないが、「どうあるべきか」は議論を尽くせば全員が納得する結論を出すことができる筈。
チームのメンバーの誰もが、この視点の分離ができると、とてもスムーズに物事が決まっていくよね。
社内規定について改めて考えている。これまでは、セルフマネジメントできる人だけを採用してきたので、ルールなしで運用をしてきたけれど。
これからセルフマネジメントを身につけていくような若い人の育成に取り組んでいくことを考えた時に、どうしてもルールが必要になってくる。
一人でも成果を出せるだけのスキルや経験を身につけていて、社会性をもって周りと協調しながら仕事を進められることがセルフマネジメント。
しかし、新卒のように経験が浅いなら、ある程度の乗っかれるレールがあった方が成長もしやすくなるはず。ということでルールを考えている。
ルールはマニュアルではない。これだけしていれば良いというものではなく、その中で自由に創意工夫してよい範囲を決めるようなものにする。
ルールによって生産性や成果を落とすようなものにはしない。ルールがあることで、取り組むべき仕事や問題そのものに集中できるようにする。
ルールがあるから従うのではなく、そうした方が自分も周りも良い状態になるから取り組むようにしたい。ルールより良識に従う方が本質的だ。
たとえば、勤務時間のルールに従って出社するってことより、フレックスであっても、チームワークが発揮しやすいから出社するって考えたい。
遅刻をしない・遅れるなら連絡するというのも、ルールじゃなく周りの人に心配させないため。そんな良識が身につけば、ルールはいらない。
なるべくしょうもないルールは作りたくはないし、良識を持った大人になってもらえるようにしたい。ルールだけでなくガイドが必要なのかも。
事業でも人でも組織でもマネジメントする人には、具体と抽象を行ったり来たりしながら目線を変えつつ、取り組んでいくのが良いですね。
見える範囲の先に何があるのか、リスクはあるのか、課題の優先順位を考えること。つまり、長期的な目線と広い視座を持っていること。
一方で、目の前に起きている問題を解決していくことも大事な仕事。現場の仕事が滞りなく進むように、邪魔になるものを排除していく。
具体的な問題を解決していくためには、具体的に取り組んだ経験が必要になる。泥臭いけれど、現場で問題に向き合えば身についていく。
一方で、ただひたすらに同じことを繰り返しているよりも、たとえ経験していないことも、自分の経験に当てはめて考える抽象化をする。
組織を動かしていくときも、一覧表で人を眺めているよりも、個別の一人一人に向き合ってコミュニケーションしていくと、よく見える。
一方で、個別対応ばかりだと手間ばかりが増える。組織を俯瞰して見ることで、一貫性を保った制度や仕組みを考えていくことができる。
長期的な目線を持ちつつ目の前の問題を見ること。抽象化して考えつつ具体的な経験を積むこと。組織全体を俯瞰しつつ個別に話すこと。
放っておくと具体に寄りがちなので、マネージャをマネジメントをする際は、現場から意識を引っ張り上げる方向で意識する位で良いかも。
要はバランスってことだけど、どうバランスとるのかってところが肝心なところですね。
「いや本当にね。全部繋がって循環してる。」
東京から山梨の富士吉田に家族で移住をしたソニックガーデンのまーくんこと 西見 公宏 の近況をインタビューしてもらいました。
これこそがプログラマの仕事って感じだし、プログラマの考えを広げて生きてってる感じがあって良い話だった。
「何を作っていくか」は重要なポイントですよね。一緒に開発を続けるプログラマとしても、そこをちゃんと押さえておくことはとても大事なことです。
実は、プログラマをやっていて1番辛いのが「言われた通りのものを作る」ことなんですよ。なんのために作るのか、どういう効果のあるものかがわからない。わからないまま作るのって、すごく辛い。
「これを作ってほしい」とお客様が最初に言うものは本当に作ってほしいものとは違うことも多いんです。
お客様の中に「やりたいこと」があって、「『そのためにはこんなものがあったらいいんじゃないか』とお客様が考えたもの」を「作ってください」と持って来られることが多いですね。それは「やりたいこと」という大元を実現するための最善策ではない場合があります。
「事業設計や作りたいものが理路整然と説明されているか」ではなくて、「新規事業を立ち上げたい想いがどこからつながっているのか、そこがロジカルであるか」を対話から引き出すのがポイントですね。
お客様の想いを実現するためのパートナーとなるわけですから、信頼関係を築くことはすごく大切にしています。最終的には、お客様の想いが実現されるだけでなく、そこを超えてさらに価値あるものが生まれるところにまで耳を傾ける。
私の中にはずっと変わらない行動指針があります。
まず「お客様と私たちが刺激し合いながらも楽しく共創できる関係性に満ち溢れること」というビジョン。一方的に依頼されて作るのではなく、「一緒に」作っていく関係性ってすごく幸せだと思うんです。
そのために「ソニックガーデンに出会って本当によかったと思われるサービスをご提供する」というミッションがある。
ただ仕事をこなすだけでは「ソニックガーデンに出会って本当によかった」とは思ってもらえないですよね。ここに辿り着くためにどうしたらいいのかをいつも考えています。
幸せに働くことがきっと社会を変えていく〜「対話するプログラマ」が見出した最高の仕事
チームで成果をあげる上で心理的安全性が欠かせないし、重要なことには異論はない。けれども、それを殊更に意識しすぎてもうまくいかない。
大事なことはプロジェクトがうまくいくことであり、心理的安全性を高めることを目的にしたり、うまくいかない時の言い訳にしたら本末転倒。
どうすれば良い感じになるのかを、チームのメンバー全員が考えて、憚らずに意見を言えるような状況を作ることがマネジメントの仕事になる。
そこで一旦、心理的安全性って言葉を忘れてみると良いと思う。プロジェクトの成功だけに集中してみよう。成功に必要なのは何か考えてみる。
目指すべき目的が無ければ、考え抜いて意見するほどのことがない。意見をぶつけない方が楽だけど、それでは良い成果を出すことはできない。
自分の仕事だと思っていなければ、意見を言うほどの強い気持ちは持つことはない。言われたことをやってるだけでは自分の仕事とは言えない。
当人にとって、なぜ取り組むのか、どんな意義があるのか、納得と決意が要る。そのための思いを伝えることも、腹落ちするための時間も要る。
コンピュータと違って一度、伝えたら伝わるわけじゃない。コミュニケーションの量を増やすことは欠かせない。その辺りザッソウ本に書いた。
色々とやってるうちに、いつのまにか心理的安全性のある状態になっているのかも。心理的安全性を作るのではなく、心理的安全な状態になる。
ツールの導入じゃないから、一歩ずつやっていくしかないんだよな。