仕事に対して前向きに取り組むにもコツがある。前向きに、一生懸命に取り組んだ方が良いことは誰でもわかっているけど、難しい時もある。
以前に、取材を受けたときに「あなたにとって社長の仕事って何ですか?」みたいな質問があった。これは考えてみれば、なかなか奥が深い。
それに対して、今やってる作業を羅列だけしても取材の答えとしては面白くないし、なによりカッコ悪い。それなりに良いことを言いたいもの。
なので、具体的な仕事を挙げながら、少し抽象化した話もする。そう考えた理由や背景なんかも話をすると取材してくれた方も喜んでくれる。
「新規事業の立ち上げは社長の役割なんです。失敗しても怒られないからチャレンジしやすい。会社に変化をもたらすことが私の仕事ですね。」
みたいな感じのことを、当時は回答した気がする。今は違うけど、こうやって聞いてくれたことで、自分なりに考えが整理されて指針になった。
それ以降は仕事をするときも、その意義に従って考えて動いたり、自分で話した言葉に励まされたりもした。言葉にして出すことは大きい。
なので仕事に迷いがあるなら、取材を受けたつもりで「あなたの仕事は何か?」を自分に問うてみて、自分なりに言語化してみると良いかも。
仕事を自分で意味づけできて、抽象化して考えられたら、目の前のことよりも広い視点で仕事に取り組めるようになる。きっと成果も広がる。
なんとなく定期的に思い返して、自分だったらなんて答えるかなって考えてみるのが良いんじゃないかな。私も久しぶりに考えてみようかと思う。
サッカー漫画「アオアシ」にも出てくるし、色々とよく聞くのが、サッカーの基本は「止める・蹴る」ということらしい。よくわかる。
私たちソニックガーデンの流派における「止める・蹴る」にあたるものは何かなって考えた時、やっぱり「タスクばらし」だろう、と。
どんな仕事をするときも、まずは分解をして、見積もって、想定してから仕事に取り掛かること。これは、どんな仕事にも通じる基本だ。
大きいまま仕事をすると、自分にも周りにも進捗がわからない。タスクを小さくして、終えていかないと、いつまで経っても仕掛かり中。
タスクを分解するときには、必ず仕事の目的から確認すること。目的を確認しないで分解だけしても、本当の成果に繋がるか不明になる。
見積もりができるかどうか、中身が想像できないときは見積もりができない。ならば見積もりできるまで分解し、細かくステップを刻む。
最初のうちは、未熟だから細かくなってしまうけれど、それで良い。腕があがれば、一つのタスクは大きくできる。まずバラす方が大事。
タスクの粒度にこだわるのではなく、時間にこだわってタスクをばらすこと。日をまたぐほどのタスクは大きすぎる。まず30分でも良い。
タスクばらしをすると、自分自身で成長が実感できる。個人のタスクばらしができると、プロジェクトのマネジメントもできるようになる。
タスクばらしで本が1冊くらい書けそうなほど奥が深いけど、わかっていても実践の中でしか身につかない。私たちにとっての大事な基礎。
詳しくは、こちらの記事も。
「やっぱり」って言葉は、うまくいかなかったり失敗したときに、自分たちで言う分にはともかく、外野から言われると嫌な気持ちになるよね。
「やっぱりダメでしたか・・」とかって言われるとモヤモヤする。いやいや、それよりも挑戦したことを讃えてあげた方が良いんじゃないかな。
(一方で「やっぱりさすがですね!」とかって言ってもらえると、嬉しくなるけどね)
やってみたからわかることって沢山あるから、いきなり大博打は打たないようにしながら、早めにちょっとやって失敗してみた方が良いかもね。
歳をとって経験が増えると、やってみる前にわかることが増えてしまって、つい言いたくなってしまうから、よくよく気をつけていこうと思う。
(無意識に言ってしまってる気もして、反省の気持ちになってる)
なるべく小賢しくわかったふうにしてるよりも、いつまでも何かやってみてわかっていく人でありたいなー。
久しぶりにブログを書いているけど、書き始めるまでは億劫だったくせに、いったん書くと楽しくなって、ついつい文章が長くなってしまう。
伝えたいテーマを決めるまでが時間がかかる。どういった内容を盛り込むか考える、話の流れを考える。執筆自体は、さほど時間かからない。
ブログの1記事の長さは、どれくらいが適切なのか。短い方が良いのか考えた時期もあったけれど、自分の記事は長くても良いと思うように。
あくまでテーマが先にありきで、テーマにあっていれば長さは気にしない。長いので読まないという人がいたら、読んでほしい人と違うかな。
広告の付く一般的なウェブ記事だったら、たくさんの人の目に触れることを優先するかもしれないけれど、それが目的じゃなかったのだった。
それよりも、伝えたい内容を、伝えたい人にしっかりと伝わるように書くことの方が大事だ。なるべく誤解なく伝わるためなら長くても良い。
そもそも私がブログを書いて読んでほしいのは、社内の人だったり、応募してくれる人に考え方や仕事の進め方を知ってもらいたいのが一番。
だから多くの人に読んでもらうことも大事にしつつ、伝えたい相手に中身がきちんと伝わることの方が優先順位は高い。広げるよりも伝える。
そういえば、自分の場合は本を書くときもブログを書くときも、同じスタンスで書いてるので、文章が長くなっても仕方ないのかもしれない。
もちろん、読みやすく短い文章で、きちんと伝わる内容にできればベストだけれども。まだまだ精進がたりないな。
相談って、実のところ、相談できたら相手が誰であれ、問題が何であれ、ほぼ解決してるようなところはあるんだよね。結局は自分で考えてる。
それでも聞いてくれる相手がいるだけで、自分なりに説明しようと考えて話すし、筋道を立てて説明すれば、自分の中で整理することができる。
会社やチーム、いや社外でも、気軽に相談できる人がいたり、損得なしに相談できる時間があることは、問題解決の仕事においては欠かせない。
プログラムのバグなんかは、ほぼそれで解決するものだから、人形のクマにでも聞いてもらえば済むことから、「クマる」という言葉になった。
もはや相談に乗って欲しいと言わず、クマって欲しいと言う。それでも聞くだけなのに、クマの人形でなく、人間を求めるのが、人のサガかな。
人間だから、相談に乗ってるうちに面白くなって、一緒になって問題に向き合うことがある。そうやってチームになっていくのって理想だな。
指示してやってもらうのも時には大事だけど、相談して巻き込んでいく方が好みだ。指示されるより相談される方が助けたい気持ちになるよね。
相談されて巻き込んでもらえる人でいたいと思う。暇そうにしてることが大事ですね。
孤独のグルメが好きで、一人で外食するのも好きになって、旅先などで良さそうな店を見つけて開拓するのだけど。
先日の話、金沢に行った際には雨雪が降っていて、色々と歩きながら店探しが出来ず、宿の近くの店に入ることに。
とても良い店ではあったけれど、そこそこ大きな店で、全個室みたいな感じになっていて、一人で部屋に通された。
そこで食べた料理は美味しかったものの、シーンとした中で一人で黙々と食べるのは流石に寂しくなってしまった。
やっぱり、もう少しこじんまりとした店で、カウンターとかに座って、話し声が少し聞こえたりする感じが良いな。
マニュアルがしっかりしていて対応してくれるのは、一定のクオリティになるけれど、一方で少し味気なく感じる。
これからは機械的なサービスは機械に任せて、人のマニュアルにない対応にこそ贅沢さを感じるようになるのかも。
お店との一体感、心のこもったおもてなし。ソフトウェア開発をしてる私たちも、顧問サービスなので目指したい。
もちろん、お店で言えば料理の味も大事で、それにあたるプログラミングも職人として極めていくことも忘れずに。
どんな店が良いかは人それぞれだけど、私たちは小さくても常連に愛される店みたいな会社にしていきたいと思う。
・・・なんてことを考えながら食事するくらい、こないだは単なる孤独なグルメだった。
友人の仲山さん(組織のネコ本の著者)が、新年の抱負の代わりに、人生を12年周期でふりかえって今年をワクワクするというのをやっていて、面白そうなので私もやってみました。
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36年前(1986年)
・4月から小学6年、あまり記憶はない
・ファミコンで遊んでた(ドラクエが発売された年
・中学受験の受験勉強もしたが、落ちた
・翌年から、中学生に。
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24年前(1998年)
・4月から大学院2年生。
・就職活動はしたはず(あまり苦労してない)
・研究室の仲間とゲーム作って、ネットで公開した
・翌年から、社会人に。(TISに入社)
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12年前(2010年)
・社内ベンチャー2年目に。
・youRoom作って、マーケティング活動していた
・サンフランシスコ初出張、海外展開を進めた
・翌年から、経営者に。(TISからMBO実施)
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ということは、今年2022年は・・・
・ソニックガーデン12年目、新経営体制2年目に。
・何か作品を作って、広めていく活動をする?
・翌年に向けた仕込みの時期か?
・来年から、何か肩書きが変わる?
周期性ありそうですね。(今年はともかく来年が怖いけど)
新年を機に、12年周期で振り返ってみてはいかがでしょう。
2021年を振り返っての皆さんの投稿を見ながら、自分は今年はあまり語ることないんだよな、と思いつつ書いたら長くなってしまいました。。
ソニックガーデン10周年でしたが、特に派手なことをすることなく、個人としても目立つアウトプットができた訳でもない静かな一年でした。
お陰様で会社は成長していますが、働く人が増えると、問題も増える。まるでお手玉。修行だと思って淡々と取り組んでいくのも経営かな、と。
取り組みとしては、執行役員の制度と社長室を作り経営のチーム化、子会社ラクローの独立、編集チームの立ち上げなど、社内でのことが多め。
新卒採用に本格的に取り組み始めて、私たちなりのインターンや業界貢献を考えるようになり、プログラミング合宿を始められたのは良かった。
12月半ばから始めた未経験向けのプログラミング合宿は、年末の本日まで実施してた。やる気のある若者たちが頑張ってる姿は尊いものですね。
運営自体も若手メンバーで取り組んでくれて、それ自体が良いアクティビティになって成長できたと思う。年末の最後まで頑張ってくれて感謝。
全社員リモートワークの次の段階を目指して、リアルな土地で村を作る企画も動き出したのも今年だった。実現まで数年越しの企画になりそう。
組織を作るのも、人を育てることも、事業を生み出すことも、時間がかかるけど、むしろ効率より時間かけることを考える、そんな静かな一年。
前向きに解釈するなら、次の10年に向けての大きな意思決定をして、仕込みを始めた年だったかなと。数年後に、そんな風に思えたら良いな。
昨日、ふりかえりをすると自分がやってきたことに意味が見つかることがあるって書いた。これ実は、人生を良くするヒントなのかもしれない。
大変なことがあっても、喉元を過ぎてからふりかえってみると、あの出来事があって良かったと思えることがある。生存バイアスだと思うけど。
それでも、取り組まざる状況になり、それに取り組んでる最中は意味なんて考えられなかったことも、終わってから意味があったと考えられる。
確かに、昨日の皆んなの発表でも、自分からチャレンジした訳ではない仕事だったけど、やってみたら良い経験になったという話が多かったな。
意図や意味は考えて取り組まなくとも後になって気付く。気付くというより、都合の良いように意味づけをしている。いや、意味付けができる。
これができれば、どんな失敗でもポジティブに意味付けすれば、失敗とは言えなくなる。後悔するようなことでさえ意味があったと考えられる。
スティーブ・ジョブズの点と点を繋げるって話も、過去に起きたことを意味があるように繋げていくって話なのだろう。ある意味、過去の改変。
よく考えたら、自分がやってきた経営のスタイルも同じだ。未来を決め過ぎず、日々を一生懸命に過ごし、過去に意味付けをして経営してきた。
あんまり未来のことを壮大に語ったりするのは苦手なんだけど、起きた出来事をふりかえって、後から意味付けしていくことは得意なんだよな。
過去に意味ができると、未来に希望が持てるよね。来年も、日々ふりかえっていきたい。
会社の人数が少ない頃から、年末になると1年のふりかえりを一人ずつプレゼンしていくというのをしてきたのだけど、人が増えた今年もできた。
徐々に人が増えていく中で、毎年のことだけど、そろそろ限界だと思いながら続けてきたので、もはやカルチャーと言っても良いのかもしれない。
全員がプレゼンするとなると、一人5〜10分としても相当な時間になる。数年前に1日がかりになって、翌年から何人かずつのプレゼンに分けた。
ただし、もちろんリモートで実施するので、発表者の人たちは数人でやるけれど、その様子は仮想オフィスの機能を使って、社内に生放送される。
仕事をしながら聞いたり、録画もあるので時間差でも見ることもできる。録画だと倍速にして見ることができるので、そこまで大変ではなかった。
50人近くいる全員がプレゼンするのも、それを見ていくのも狂気の沙汰だなと思ったけれど、一人ずつの発表を聞けたのは、やっぱり良かった。
1年を振り返る機会があると、まあ大変なこともあったけど、頑張れて良かったよなとか、助けてくれた人たちへの感謝の気持ちも生まれたり。
ふりかえることで、その年にあった出来事に意味を見つけることもできる。むしろ、過去に起きたことに意義を見つけることで、前を向けたり。
さておき、一人ひとりの発表を聞いて、それぞれの成長や思いなんかも知ることができて、頼もしい気持ちになり、未来への希望も感じられた。
今日、また1年を皆んなと共にふりかえることができたのは幸せなことでした。
新人が議事録を書くのに苦労していて、どうしたら楽に書けるようになるでしょうか、という相談。今なら録画もできるから要らないのでは、と。
議事録を楽に書くことを考えるよりも、そもそも、何のために書くのかを考えましょうか。後で揉めないためだけなら、録画でも良いでしょう。
そうでなく、話す内容を空中戦にしないように、発展的に議論できるように、「問題vs私たち」の図式にするために、メモを共有するのが有効。
それも、画面共有で同じメモを見ながら話をして、話す内容をそのままリアルタイムに構造化してまとめていくと、とても良い議論ができるはず。
リモートワークのテレビ会議になり、大型モニタなくても、全員で画面共有して話している内容を見ながら議論ができるようになったのは僥倖。
これだけで、会議の生産性は大きく上がる。会議が終わったら、そのまま話した内容をまとめたメモが残る。各自の担当のタスクも共有される。
そのメモを共有すれば、参加していない人も内容を把握することができる。なので「議事録を書く」という行為そのものを見直してみませんか。
ただし、リアルタイムに構造化してメモを取ってまとめていくのは、新人には難しい仕事ですが、これこそ身につけてもらいたい仕事ですよね。
そのために、まず先輩が目の前でやってみせるところから。真似してやって、フィードバックをもらうことで、できるようになっていくでしょう。
これはチームで仕事を進めたいときなんかは、けっこう良いやり方だと思うのだけど。
そういえば、以前にリアルタイムにメモをとる話を記事にしていた。使ってるツールが変わっているので、内容をアップデートした方が良いな。
誰にどの仕事をしてもらうのか、各自が適性を活かしパフォーマンス出せるような適材適所の配置を作り出すのは組織マネジメントの肝と言えるけれど、なかなか難しいのが現実で。
やってしまいがちなのが、能力(できること)と期待(やってほしいこと)を取り違えてしまって、期待する仕事を渡してしまうこと。だけど、できる訳ではないので成果は出ない。
もちろん中には期待を超えて成果を出せる人もいるけれど、多くの場合は当人にとって新しいことは慣れてもいないし、すぐには成果を出すことはできない。成果まで時間がかかる。
これが、能力で出世する階層組織において、有能だった人も無能になる段階まで出世するため、階層の全員が無能になってしまうという有名なピーターの法則に通じることなのかも。
似たケースで、当人にとって成長の機会にするために、チャレンジとして難しい仕事や負荷になる仕事をしてもらうことがあるけれど、これも予想通り、大抵の場合うまくいかない。
当初はチャレンジの狙いだったのに、やってみて失敗したらマイナスな評価がされてしまう。チャレンジなのだからできなくて当たり前くらいのつもりでいた方が良いのに忘れがち。
だから仕事は、あくまで当人ができることを任せる方が良いんじゃないかな。それで成長しなかったり、つまらないと思うのは当人なので、当人が自分でチューニングした方が良い。
意図されたチャレンジの機会よりも、自分でやってみようってチャレンジした方が、たとえ失敗しても痛みは少ない。だから、チャレンジできる余白は残しておいた方が良いけども。
やったことのない仕事に取り組んでもらうなら、まずは誰かのもとでやってみる経験を積んで、できるようになって、できたから任せるのが良いのだろうな。期待はしても任せない。
つい人は生存バイアスでマネジメントしがちになっちゃうけど気をつけないとね。
少しずつ外出して人に会ったりするようになって、移動をしたり、時間調整の待ちがあったり、1日に何本もミーティングは入れられないし、存外と稼働時間がないことに気づく。
リモートワークって、うまくやれば生産性が高まる。テレビ会議だったら連続でできるし、チャットを駆使して非同期で同時並行のコミュニケーションもできる。とても効率的だ。
特に効率厨のエンジニアたちが集まると、驚くほど効率が高まって生産性も出る。これは、会社を数字で分析すると良いことなんだけれど、なんだかスピード出過ぎで心配になる。
リモートワークと言うからワークのことだけに集中しがちなのだろう。PM理論でいうパフォーマンスばかりに目がいって、人間関係のメンテナンスが疎かになっていないか、と。
短期的な目線で見れば良いことでも、長期的に考えたら問題を育んでいるのかもしれない。生産性を高めた上で何を得るのかコンセンサスがないと、ずっと数字を追求してしまう。
無駄はなくしても良いけれど、ゆとりはなくさないようにしたい。仲間で合宿や旅行にいったり、飲み会したり、社内イベントをしてみたり。ゆとりには短期的な成果を求めない。
ゆとりでやることは非日常だ。ハレとケみたいなもので、毎日は業務のパフォーマンスを高めていき、できたゆとりを非日常に使えば、未来への種まきと人間関係の構築ができる。
ゆとりは「あそび」と言ったりもする。車もハンドルにあそびがないと反応が良すぎて事故ってしまう。リモートワークの中には、あえてあそびの時間を作ることが大事なのかも。
実現したいことは、リモートワークみたいな業務だけに焦点を当てた働き方ではなくて、リモートコミュニティみたいに離れていても仲間でいられる関係だったことを思い出した。
そもそもリモートかどうか関係なく「ゆとり」は大切だけど、リモートだと失われがちなので気をつけていかないとな。
ビジネスを進めていく限り、決めるということから避けては通れない。合ってようと間違っていようと決めることで仕事は進み、結果に繋がる。では、誰が決めるのか。
決めることには責任が伴う。責任が伴うから面白いとも言える。自分で責任もって決めることができるようになると、俄然仕事が楽しくなる。自分の仕事になるからだ。
一方、チームで仕事をする場合は、決めることがリーダーの仕事だとよく言われるけれど、この複雑さの増した時代に、一人の頭で決めることは現実的なことだろうか。
もちろんリーダーは責任者でもあるから、決めないわけにはいかないが、判断が難しいことも勇気が出ないことも多い。そんな時に、どうやって決めていけば良いのか。
当然だけど、多数決はやめておいた方が良い。誰かに決めてもらうのも、意見をそのまま取り入れるのも後悔することになりそう。やはりメンバーに相談するのだろう。
相談を通じて考え尽くして、様々な可能性を思考実験し、アイデアを出し合った結果、これしかないんじゃないかって案に落ち着くところまでいって決まることがある。
リーダーは相談をすることで、決断することの後押しとなる勇気が得られるし、メンバーにしてみれば、決めるプロセスに関われば、自分の仕事だと思えるようになる。
こうした決め方は時間はかかるかもしれないけれど、決めようとしている時間そのもので、チームとしての一体感を作ったり、価値観や哲学がすりあっていったりする。
こうした話し合いの場に、いくら知識があっても当事者意識のない人がいると、途端につまらなくなってしまうから、難しい仕事ほどチームビルディングは欠かせない。
良い関係のチームで、難しいことを決めていく対話は、それ自体が楽しかったりするんだよな。
「遊ぶように働く」と言って働き方を説明することがある。当人は一生懸命に働いているんだけど、他の人からみたら遊んでいるように見える位に楽しそうにしているって言葉。
だから、仕事を遊びにしようというニュアンスで、仕事以外の趣味をしながら働くというよりは、仕事そのものが趣味みたいになっていれば良いな、と。楽しめる時間にしたい。
仕事を楽しむという話をすると、常にワクワク楽しいって勘違いされるけれど、そんなことはない。仕事だから、もちろん大変なこと、心身ともにきついことだってあるはずで。
それでも、前向きに働くことができて、良い作品を作れたり、相手に喜んでもらえたり、仕事を通じて成長ができたり、チームで力を合わせて目標を達成できたりすると楽しい。
それには目的に納得ができるか、自分で考えて試行錯誤できるか、価値を直接提供できるか、適切な難易度の高さか、チームの成果になっているか、などポイントになりそう。
そんな風に仕事をデザインできれば、自然と遊ぶように働く感じになると思う。そんな仕事になれば、仕事自体から楽しみや経験、交友など人生の喜びも得ることができるかも。
そう考えてみると「遊ぶように働く」の先にあるのは「豊かな働き方」と言っても良いのかも。「豊か」という言葉には、富の豊かさだけでなく、心の豊かさにも通じているね。
報酬が多くても、自身の健康や家族を犠牲にしたり、成長できる経験や思い出が得られなかったりすると、豊かとは言えないような気がする。物質だけが豊かさの象徴じゃない。
仕事をすることを、金銭を得るための対価としての労働だけにしてしまうのは、もったいない。それぞれ働く人たちの人生にとって得られるものが沢山あるようにしていきたいな。
簡単ではないけれど、そんな物心両面で豊かな働き方を目指していきたいんだよな。
先日ラジオで聞いたのだけど「良い経験をしたというけれど、それは次のための経験だったのか、それとも経験ができたこと自体が宝物だったんじゃないか」という話で、ハッとした。
つい経験って言うと、ゲームのイメージがあって、レベルアップして、次のステージに進めるためのものと思ってしまいがちだったな。
だけど、次に活かすかどうか関係なく、経験をしている、まさにその瞬間自体に価値があるという考え方って、とても素敵だと思った。
経験することで、成長や未来に目が向いてしまいがちで、それも大事だけど、そもそも経験ができていること自体を感謝したくなった。
一生懸命にやって、結果が出れば一番いいけれど、経験を得られたことも良かったことで、なにより経験できたこと自体が価値なのだ。
そう思えば、どんなことも人生の経験になるし、経験していることに価値があるなら、なんでも本気で取り組んだ方が良いじゃないか。
歳をとったせいもあるのかもしれないけれど、将来のために経験することより、経験そのものにフォーカスする考えに魅力を感じたな。
若かりし頃は、未来のために経験を積むこと、経験値を貯めてレベルアップをすることも、とても大事だったので、時期があるのかも。
いずれにせよ、どんなことでも経験できるのは貴重なことだし、どんなことも貴重な経験をしてると思えば、人生は楽しめるのかもね。
何か作品を生み出そうとするとき、文章でも絵でも、仕事の成果物でも、一発勝負や一筆書きで、良いものや完成品を作ろうとしてもうまくいかないんだよね。
いきなり完成度や理想の高いものを作ろうとすると、二の足どころか一歩も動けなくなってしまう。頭の中で考えるばかりで、何も進まず時間だけ過ぎて辛い。
だから、最初に作るものの完成度は極限まで下げてしまった方が良い。そのまま世に出す訳でもないので、こんなレベルで良いの?というハードルにして作る。
いったん作ってみたら、直したくなってくるので、あとは改善していけば良い。よほどの天才でもない限り、一度で完成するレベルのものは作れないと思う。
ゼロから作るよりも、既にあるものを改善していく方が楽だし、まわりの協力も得やすいし、チームで何か作るときは、叩き台があった方がやりやすくなる。
一人で作るときも、自分のための叩き台として作ってみれば良いんだな。むしろ、雑に作った方が直したいところが無限に出てくるから、やる気も続きそう。
少しずつ直していって、完成に近づける。そのとき締切がないと、ずっと直し続けたくなってしまうのが最上志向。どこかで諦めたなら、それで完成となる。
かのレオナルド・ダ・ヴィンチは「芸術に完成はなく、あるのは放棄されたものだけだ」と言ったとか。という呟きも時間がきたので放棄して完成としよう。
組織のネコ本のトラリーマンの特徴に「経営者に理解者がいる」というのがあって、確かに自分も理解してくれる経営層の方々がいた。
組織の中で自由に動くためには、現場のルールや部署の枠組み、決められた役割などを、どうしても越えなければできないことがある。
アジャイルの社外活動をしたときも、社内ベンチャーを立ち上げたときも、いつも上司や経営層に理解者がいてくれたから実現できた。
どうやって理解者を見つけるのか。それが『提案より相談』という手。提案は、求めてない人にすれば、ともすれば敵を作りかねない。
だけど相談なら、話は聞いてくれるし、アドバイスもらえるかもしれないし、味方になってくれることも。相談されて悪い気はしない。
組織のネコだと自覚があり、やりたいことがあるのなら、経営層に相談してみると良いと思う。たぶん経営者の多くはネコ人材が好き。
そもそも組織のネコという既存の枠組みからはみ出るような人材は貴重で、自分の意思で仕事をしようとする人はもっと大事にしたい。
人が主体的に何かをしたい動機は、お金で買えない貴重な資源だし、自分でできないことをしようとするのだから、応援したくもなる。
今度は自分が実際に経営者になって、そう思うようになったな。ネコ人材と経営者が、もっとザッソウしあえたら嬉しいことなのかも。