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第5章 リモートワークのはじまりは、1人の“海外で働きたい”という宣言から

【連載】ソニックガーデンストーリー 10年分のふりかえり

「納品のない受託開発」を掲げ、フルリモート勤務や管理しない組織など柔軟な働き方を実践するソニックガーデン。
メンバーへの取材をもとにその10年の歩みを追いました。

7人になったソニックガーデンは、働き方においても先進的な取り組みを行っていきます。代名詞でもある「フルリモートの会社」のきっかけとなったリモートワークの実験は、前田の“海外で働きたい”という宣言がきっかけでした(なんと、10年以上も前の話です!)。

そして、前田が帰国した“偶然的なタイミング”での8人目の男との再会。自分たちらしいあり方を模索するために、ソニックガーデンは実験を続けていきます。

5-1 宣言大会

ここで、話は少し時を遡ります。ソニックガーデンが独立の準備を進めていた2011年7月、前田は実はアイルランドへの短期移住を開始していました。事の発端は、ソニックガーデン名物「宣言大会」での発言でした。

「宣言大会では、その年にしたいことを各メンバーが発表します。何を話そうか、ギリギリまで悩みながらも、『海外で働く』ということを宣言したんですよね。ちょうどそのときに、海外で働く人のブログを読んでいて、憧れていたのと、英語を勉強してみたいという思いはあったんです。でも、難しいだろうなとは思っていたので、ただただ願望を話してみるみたいな気持ちで宣言しました」(前田)

しかし、前田の予想に反して周囲は乗り気でした。「いけるんじゃない?」と他のメンバーは好意的に前田の宣言を受け止め、後押しをしたのです。その頃のソニックガーデンは社内ベンチャーながら、ノートPCを使い、システムはすべてクラウドに置き、厳密な勤怠管理はしないなどリモートワークの下地が整っていたことも大きな要因となります。

「引くに引けなくなった」という前田は、試しにカナダへの2ヶ月間の短期滞在のビザを申請することに。「まあ、取れないだろうなと思っていた」という前田の予想にまたもや反して、ビザはすんなりと取得できてしまいました。

「もう、行くしかないですよね(笑)。僕も、他のメンバーもリモートで仕事をするのは始めてだったので、まずは当時住んでいた川崎の自宅で1週間ぐらいリモートワークの練習をしてみました。その頃はSkypeを使っていましたね。画面共有でどう仕事をするか、コミュニケーションに不都合はないかなどを試しながら仕事をしました」(前田)

今でこそ、フルリモートで働く“先進的”な企業として注目を集めるソニックガーデンですが、そのはじまりは「海外で働きたい」という1人のメンバーの願いを実現するためでした。ギリギリまで何を話すか悩み、半ば勢いで発した前田の宣言が、ソニックガーデンの代名詞ともなる働き方のきっかけとなったのです。

前田のリモートワークについて書かれた倉貫のブログ記事「『国境なきプログラマ』を目指す~ノマドワークの究極のかたち」

5-2 リモートワークの実験

カナダでの2ヶ月の短期滞在の後、前田はアイルランドへ1年間の移住ができるビザを取得。2011年夏に、アイルランドへと出発します。そして、遠く海外の地でSkypeを使いながら、納品のない受託開発をつつがなく進めていきます。

「お客様もすごかったと思います。リモートで、しかも海外から開発をすると言っても仕事を継続してくれましたから。当時、Skypeを仕事で使うなんて発想はほとんどの人は持っていなかったんですよ。今でこそ、Zoomとかオンラインのコミュニケーションツールはたくさんありますけど、当時は数はそこまでなかったですからね。そういう働き方を許容してくれた倉貫さん、ソニックガーデンのメンバー、そしてお客様がやっぱりすごかったんだなって、改めて思いますね」(前田)

海外で働く前田について、倉貫も当時のブログでこう触れています。

前田の海外移住での“実験”は多くの気付きをソニックガーデンにもたらしました。大きかったのが、Skypeのような同期型のコミュニケーションツールだけではなく、非同期型のコミュニケーションを可能にするツール「youRoom」の開発と活用です。アイルランドとは9時間の時差があるため、同期型のコミュニケーションだけだと時間が限られてしまいます。また、オンライン電話やリアルタイムでの応答を求められるチャット(Skypeのチャットは、スレッド機能などがなくどんどん流れていってしまう)などは、プログラマの時間を拘束し、生産性を阻害する要因ともなります。

こうして使われることになったyouRoomは、後にRemottyへと進化していくことになります。こうしたオンラインコミュニケーションにまつわる話は、リモートワークが普及した今では当たり前に感じられますが、2011〜12年当時はほとんど話題にもならない、まさに実験的な働き方です。

また、雑談の重要性もこの頃すでにメンバー間で話されていました。オンライン上でのコミュニケーションだとどうしても仕事の話だけになってしまう。かといって、リモートランチやリモート飲みをしようにも、時差や回線の問題(当時のアイルランドのネット回線はとても弱く、ビデオ通話ができなかった)もある。それであれば、仕事の話をする前後でなんとなく雑談を入れていこうかと、メンバー間で意識の共有がされたのです。

非同期コミュニケーションの重要性、雑談を大切にするカルチャーなど、今に繋がる考え方を生み出し、“リモートワークの実験”は大きな成果を残したのでした。

5-3 タイミング

2012年8月、1年間のアイルランド移住から前田が帰ってきました。無事、リモートワークをしながらの海外生活を終え、メンバーと合流した前田。メンバーも、新しい働き方への挑戦に手応えを感じていました。

前田の帰国とちょうど時を同じくして、小学生の頃から憧れだった「プログラマ」としての生き方に苦悩していた男がいました。

「俺の理想の働き方なんてあるのかよぉって、半ば諦めていましたよ。自分の考えていることは、プログラマにとっては理想論でしかないのかなって」(遠藤

遠藤はちょうどその頃、ガラケーのアプリ開発を行う会社を辞め、知人が起こした会社で働いていました。しかし、その会社の雲行きが怪しくなってきており、自身のプログラマとしての人生も暗礁に乗り上げていたのです。

「めちゃくちゃ悩んでました。ガラケーのアプリ開発会社では、ビジネスサイドとプログラマにものすごい壁があって、全然プログラミングに集中できなかった。知人の新しい会社では楽しく働けていましたが、事業としてはどうもうまくいかない。どうしようかなぁってときに、前田さんから『飲みにいかない?』ってメールがきたんです」(遠藤)

かねて親交があった前田と遠藤。前田から仕事の話を聞きながら、遠藤はソニックガーデンという会社について深い興味を抱いていきます。前田からすれば、日本に帰り、久しぶりに友人を飲みに誘っただけでしたが、遠藤にとってはそれが大きな救いの手となりました。

「ソニックガーデンのことは知っていましたが、前田さんから改めてどんな会社かを聞いて、すごく興味を持ちました。あれ、自分が進みたい道ってもしかしたらソニックガーデンにあるんじゃないかって。それをきっかけに、ボス(倉貫)のブログを全部読んだんです」(遠藤)

心の奥底では、納品のない受託開発について「理想としてはわかるけど、現実的なの?」という懐疑心もあった遠藤。しかし、月額定額制や小さく開発して実際に触りながらアップデートしていくという至極「現実的」なビジネススタイルを理解していくにつれて、ますますソニックガーデンに惹かれていきます。

そして、遠藤はソニックガーデンが主催する勉強会に参加。繋がりをつくったことをきっかけに、オフィスへ訪問するなど徐々にソニックガーデンとのコミュニケーションを深めていきます。

2012年6月、ソニックガーデンは1歳の誕生日を迎えた

5-4 「最初からいいと思っていた」

「サービスを一緒に作っていたと思います。遠藤さんはガッツもあるし、キャラクターもいいし、一緒にやれるかもな、という感覚はありました。ただ、伊藤さんのときもそうだったように、採用は慎重に行いたかった。伊藤さんと同じように一緒に開発をしながら、少しずつお互いの理解を深めていきました」(倉貫)

伊藤と同様、共に開発を行いながら理解を深め合っていく両者。機を見て、倉貫はメンバーに遠藤を採用してもいいか確認をします。

「自分の中ではOKでしたが、最後の最後にメンバーと話し合って確認をし、他のメンバーからもOKが出ました。ただ、その場に前田さんはいなかったので、後は前田さんのOKが出たら採用だな、と。でも、前田さんは遠藤さんを紹介はしたけど、特に推薦するようなことは言ってなかったんですよ。だから、採用については本心ではどう思っているかはわからなかったんです」(倉貫)

前田は、遠藤と親交が深い分、もしかしたら「合わないのでは」と思っているかもしれない。倉貫は一抹の不安を抱きながら、前田に遠藤の採用について尋ねます。すると、前田は飄々とした顔でこう答えます。

「最初からいいと思ってましたよ」(前田)

後から聞くと、前田は最初から遠藤をソニックガーデンに入れるつもりでいたといいます。しかし、最初から推薦するような形で話を進めてしまうと、他のメンバーがもし「合わないかも」となったときに断りづらくなる。それは、仮に遠藤が違和感を抱いた場合も同様です。だから、聞かれるまでは薦めるようなことは一切言わないように前田はしていたのでした。

無事、満場一致で迎えられた遠藤。ついに、自分が思い描いていたエンジニアとしての道にその足を踏み出します。しかし、その道は美しい風景ではありながらも、決して歩きやすい道ではありませんでした。ここから、遠藤は長く曲がりくねった道を歩き続けることになります…。

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