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第10章 実験を重ねて固められてきた、自分たちの足場

【連載】ソニックガーデンストーリー 10年分のふりかえり

「納品のない受託開発」を掲げ、フルリモート勤務や管理しない組織など柔軟な働き方を実践するソニックガーデン。
メンバーへの取材をもとにその10年の歩みを追いました。

挑戦的な取り組みとなったプログラマ育成を目的とした「アカデミー」や「ファーム」。その経験から、ソニックガーデンは様々な気づきや出会いを得ます。

そして、納品のない受託開発のモデルが一定の形になり、フルリモート化も行われるなど、徐々に組織としての足場が固まっていくのでした。

10-1 アカデミーとファーム

2015年以降、高木や岩崎(現・株式会社ラクロー代表取締役)の入社に加え、加速度的に人が増えていくことになります。そのきっかけの1つとなった取り組みが2015年に行っていた「ソニックガーデンアカデミー」でした。これは、ギルドで得た、「納品のない受託開発は時間をかけてその術を習得しないといけない」という気づきから生まれた教育事業です。

「いろいろな会社が集まった、集合研修のような形で、私たちが講師として納品のない受託開発のイロハを教える、という事業でした。結構、引き合いはあって、収益としては成功したんです。ただ、継続性に難があり長くは続きませんでした。研修で1日時間を押さえる必要があり、顧問CTOとしての開発との兼ね合いが難しかったんです」(西見)

継続はしなかったものの、アカデミーでの取り組みは、その後のファーム制度に引き継がれていきます。一人前である顧問CTOと見習いを分け、まずは修行からスタートするという仕組みです。しかし、今は「ファーム」という言い方はしていません。

「ファームと名付けることで、『自分はファームの人間だから』という先入観を持ってしまうんですよね。それをバネに頑張るぞ、という人ももちろんいますが、中には『どうせファームだから』と言い訳にしてしまう人もいる。ファームのままで、入社にいたらなかった人はたくさんいます。そういう意味で、振るいにはなっていたのかもしれませんが、くすぶり続ける人を生むリスクもあったので、ファームという言い方は辞めました」(倉貫

こうした経験のなかで、トライアウト、入社後の見習い期間、一人前という採用から育成のステップができあがっていきます。どうすれば、一人前の顧問CTOになれるのか。どうすれば、ソニックガーデンのカルチャーにあう人を採用できるか。そうした自問自答を繰り返しながら、少しずつ“人”に対する考え方が固まっていきます。

10-2 採用の形

こうした採用や育成に関するプロセスを通じて、藤原はソニックガーデンが組織としての形を成していく実感を得ていました。

「2014年に倉貫さんが納品のない受託開発の本を出して、ビジネスモデルとしては1つの形ができた実感がありました。その後、アカデミーやファームを通して人がどんどん増えていくなかで、採用や育成などの思考が深まり、組織の面でもどんどん成熟していくのを実感していったんです。2015、16年あたりから、私も少しずつ現場仕事ではなく、人事的なことに意識が向くようになっていきました」(藤原)

2015年には、アカデミーやファームの流れも受け、先述の高木、岩崎に加え、大野坂川池上木原が入社。翌、2016年には秋田、楠本(現在ケアコラボ社)、森田、川村、藤原が入社しており、この2年間で加速度的に人が増えていきます。その後も、毎年6人から8人程度の新しいメンバーがジョインしており、2015年が採用や育成などにおいて足場が固まっていった時期だとよくわかります。

この間、採用プロセスであるトライアウトを進めるための「ソニックガーデンジム」という仕組みもでき、オンラインでの技術試験や作文など入社までに経ていくプロセスも固まっていきます。ただ、大きな枠組みはありながら、その人の背景にあわせて採用方法を考える点、技術力の高さ、カルチャーへの理解に加え「信頼関係の構築」にも重きを置く点、というのは実は“トライアウトがない時代”に入社してきた人たちが経てきたプロセスでもありました。

「トライアウト、という仕組みはありますが、誰もが同じ流れで採用に至るわけではありません。見習い制度についても、以前は採用ページに記載していましたが、今は記載していません。ですから、現在の採用サイトもいろんなケースがあるよ、ということがわかるようにしています。仕組みは大事ですが、仕組みに人を当てはめるのはソニックガーデンらしくない。採用においても、自分たちらしい方法や伝え方を常に模索しています」(倉貫)

2021年にリニューアルされた採用ページ

10-3 断る、ということ

少しずつ、組織としての形を固めていったソニックガーデン。それと同時に、納品のない受託開発への相談件数も右肩上がりに増えていきます。その頃、新規案件を担当していたのは藤原上田でした。

「時には、100件を超える面談をしていました。一社一社、真剣に向き合って、自分たちが価値を発揮できるか、お客様が目指すことは何かを見て判断を重ねていくんです。この断る、という行為が骨が折れるんですよね。なぜ、受けられないかを考えて、相手に伝えるのってすごく難しいんですよ。心苦しいですしね」(藤原)

「成約率は5%ぐらいなんじゃないかな。ソニックガーデンのことをしっかり調べてきてくれる人はスムーズに話が進むし、そうでない人は私たちのスタイルを理解してもらうところからスタートします。仕事のスピード感、意思決定の仕方、納品を前提としない契約…いろいろな条件があります。それらをしっかりと伝えながら、相手の目指したいことも聞いていく。じっくり考えたなかで、『合わない』、『引かせてください』と何度お伝えしたことか」(上田)

納品のない受託開発では、お客様とパートナーのような関係を結ぶために、一緒にやれるかどうかをしっかりと判断してから契約へと進みます。採用と同じように、信頼関係を結べそうか、お互いに良好な関係を続けながら、事業成長を成し遂げられそうか。過去にうまくいかなかった案件での経験も礎にしながら、「自分たちの価値は何か」が固まっていきます。

「断るプロセスを繰り返すことで、自分たちはどんな存在なのか、どうやって価値を提供するのか、の思考が深まっていったんです。大事なのは、本気で相手のことを考えること。そのために、相手を知らなければいけませんし、我々のやり方も包み隠さず、オープンに伝える必要があります。取り繕ったロジックで断ろうとしても、相手は『それならこうしましょう』と返してきます。断るときこそ、本気で、確固たる考えを持って伝えないといけないんです」(藤原)

コーポレートサイトでは、大ボリュームで納品のない受託開発について説明がされている

10-4 フルリモート

2016年7月には、全社フルリモートへの切り替えが行われました。前田の思いつきに近い(?)宣言大会での発言に端を発したリモートワークは数年の時を経て、ついに全メンバーに適応されることになります。

「リモートとオフィスを両立していると、やっぱり情報格差みたいなのはどうしても生まれてしまうんですよね。オフィスで会話していたことが、リモートのメンバーには共有されていなかった、みたいなすれ違いも増えてきた。うーんと考えていたら、倉貫さんが『俺もリモートワークする』って言い出したんです」(藤原)

当時、神南にオフィスを構えていたソニックガーデン。倉貫は契約更新を前に、このまま同じオフィスを使い続けるか考えていました。決して売り上げに難があったわけではなく、特段オフィスに不満があったわけでもない。そうした物件に関する条件ではなく、会社としてどうあるべきか、を倉貫は考えていたのです。

「全国から応募も増えてきて、我々が会社としてどうしていくかを考えていたんです。このまま、神南を本社とするままでいいのか。本当にオフィスは必要なのか。いろいろ考えた結果、フルリモート化をしてはどうかと。それで、まずは自分からリモートワークを始めて、問題ないと感じたので、決断しました。これは、会社としての社内外へのメッセージでもあったんです。私たちはオフィスを持たない、全国どこにいても働いていい。選択制ではなく、全員がフルリモートです、という意思表示でもありました」(倉貫)

ここで、少しだけ筆者の思い出話に付き合ってください。筆者がソニックガーデンと出会う2年前の2018年。とある取材相手から、こんな話を聞いていました。

「ソニックガーデンっていう会社は、フルリモートで、全員離れたところで働いているんですよ。私もそれを聞いて、『え?』って思ったんですけど、普通に仕事できてるんですよね。年に1回、メンバーが集まって合宿みたいなことをするんですって。こんな会社が増えると面白いですよね」

そう、今思うとこのときすでに筆者はソニックガーデンとある意味“出会って”いたのです。その翌年、筆者は東京から地元の岐阜にUターンすることを決めるのですが、心のどこかで「フルリモートの会社があるぐらいだし、大丈夫だろ」と考えていました。ソニックガーデンの「フルリモート化の意思表示」は、回り回って、1人の男にも影響を与えていたのです。その後、本当に筆者がソニックガーデンと“リモートで出会う”ことになるのも、事実は小説よりなんとやら、ですが。

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