「遊ぶように働く」の体験談として、仮想オフィスツール「Remotty」の開発秘話を語った2人。“遊びの感覚”があることが、結果的によいソフトェア開発につながるという興味深い考察にたどり着きました。第二回では、前回、野上さんがこぼした「プログラミングは体を動かす感覚と同じ」という言葉から、新たなプログラマ像を探る対話が交わされていきます。
真剣に遊ぶから、楽しい
倉貫 プログラミングは体を動かすのと同じ、っていうのは本当にそう思うよ。僕も、昔から「プログラミングとスポーツは似ている」っていうことは言っている。 野上 そうそう、スポーツとも言えるかな。 倉貫 という意味では、野上さんは常に練習をしているとも言えるよね。野球やサッカーで言う練習試合をたくさんしている。ハッカソンしたり、自分でアプリを作ったりっていうのが、すべて練習試合になっている。 野上 うーん、そうとも言えるけど、自分では練習だと思っていないかな。全部が本番という感覚。 倉貫 へー、そうなんだ。その感覚も面白いね。 野上 全部が本番試合。ハッカソンでも、趣味的にアプリを作るのでも、真剣にやっているし。

ドヤれば、勝ち
野上 プログラミングを始めたばかりの人にも伝わるといいなぁ。でも、すごく大事な視点だよね。スポーツに似ているとか、プログラミング筋みたいなことを言っている人ってあまりいないと思う。 倉貫 そうだね。でも、プログラミングの本質だと思うけどね。プログラミングを学べるスクールも最近すごく増えているけど、そこで得られるものってあくまで一部だと思う。座学で学ぶ知識ももちろん大事なんだけど、それさえあればプログラミングで価値を生み出せるか、というとまた違うから。 野上 サッカースクールで、座学だけってことはないからね。むしろ、まずはボールを蹴ってみようってところから始まるし。だから、とりあえずコードを書いてみようっていうことかな。 倉貫 ところで、野上さんがそうやって日々プログラミングをするようになったのって、どういう経緯からなのかな。最初からそうだったの? 野上 うーん、どうだったかなぁ。最初の頃は身近な人が、自分が書いたコードを褒めてくれたのがうれしかったのが大きいかもしれない。ほぼ同じタイミングでプログラミングを始めた仲間がいて、彼にコードを見せるといいリアクションしてくれるんですよ。最初の頃はそれが楽しくて、毎週何かしら作っては見せていたかな。 倉貫 ああ、なるほど。身近な人を楽しませる喜びがスタートか。 野上 そういう小さな成功体験で、プログラミングが楽しくなっていったし、自信もついていったかな。それで次第に、自分で作ったソフトやアプリを公開するようになって、いい評価をもらうとこれがまたうれしくて。昔、Androidが出たばかりの頃に、アプリをたくさん作って公開していたんです。その頃はまだ黎明期ということもあってかアプリに対する反応も穏やかで、星5つとか、優しいコメントとかが多かった。そういうのがうれしくて、ずっと続けてきたってのはあるかな。 倉貫 なるほどね。作って、公開して、いい反応をもらうってのをずっと繰り返しているのか。 野上 そう。それが目的と言ってもいいかな。作って、公開して、ドヤる。このサイクルをずっと続けているだけなんですよ。特に、遊びでするプログラミングは、ドヤれば、勝ち(笑)。 倉貫 そのサイクルを続けていくうちに、自然とプログラミングに必要な筋力がついていくってことだよね。ドヤれば勝ちだから、例えば他の人が似たようなアプリを作っていたとしても関係ない。 野上 うん、関係ない。そもそも他の人が何作っているかは調べないし、調べない方がいい。そういうことを意識しすぎると、途端につまんなくなっちゃうから。作って、見せられれば、自分にとっては満足。
ギャップのある場所を見つけてみよう
倉貫 野上さんの例で言うと、身近な同僚からスタートして、黎明期のAndroidアプリといった場所で、いいサイクルにハマっていった。でも、今はAndroidアプリは溢れていて、シビアな反応をもらうことも多いよね。iOSも同じだと思う。
プログラミングをスポーツに例えるという新たな視点で進んだ対談。「遊ぶように働く」の言葉の裏には、真剣になる重要性やトレーニング的な観点でのプログラミングとの向き合い方など、多くのポイントが潜んでいることもわかってきました。
若手プログラマの活躍の場まで話が広がったところで、話題は「プロフェッショナル」に。2人がたどり着いたプログラマの第三の道とは?
(第三回に続きます)
文=長瀬光弘