正解がない仕事
「この仕事は、ルーティンワークじゃありません。僕たちが向き合っているのは、正解がない仕事」
「正解がない仕事……ですか?」
「そう、正解がないから、教科書もない。前にやっていた方法が通用しないこともある」
「は、はぁ……」
夏に向けた準備運動をしているかのような、強い日差しが入り込むオフィス。窓の遠く向こうには、梅雨におあつらえ向きのよどんだ雲がこちらの様子を窺うように漂っている。
目の前で首をかしげているのは、僕の初めての部下、赤井さん。パリッとした襟に、爽やかなブルーのネクタイ、センターで分けたセミロングが似合う、入社三年目の誠実な男性社員だ。営業部で二年経験を積んだ後、僕が初めてマネージャーを務める、マーケティング部第四グループに配属になったのだけど、これまでの仕事との違いから苦労しているようだった。
「で、でも西原さん」
「健太でいいですよ。隣のチームにも同じ苗字の人がいてややこしいですからね。みんな、そう呼んでます」
もう、三回ぐらい言ってる気がするけど……。上司を名前で呼ぶことを躊躇するのもわかる。新しいチームになってもうすぐ二ヶ月ほどが経つけど、まだ、僕とは少し距離を感じているようだ。
「あ、ああ……えっと健太さん。正解がない仕事なんて、どうすればいいんでしょう。これまでは、決まった得意先のところに行って、だいたい同じような依頼を受けて、それをミスなく処理すればよかったんですけど。マーケティング部だと、考えることとか、やらなきゃいけないことがいっぱいで……」
「そうですよね。営業部にいても、いずれ正解のない仕事に携わると思うけど、新人の頃はまだ簡単な仕事だけだろうし」
そうは言っても、赤井さんにはまだマーケティングの中では簡単な仕事しか依頼はしていないのだけど、慣れるまで大変なのはすごくわかる。
「マーケティング部の仕事は多岐にわたる。商品の企画から、中味の開発のリード、デザインやネーミングを決めるブランディングにPR施策……。新商品をゼロから作り上げ、世の中に届けるまでのほぼすべての工程に関わります」
「そ、そうですよね。配属した日に、健太さんから聞きました。すごい大変だな、と思って」
「うん、大変。めっちゃくちゃ大変。でも、なぜかやめられない。そんな不思議な仕事」
「はぁ。でも、そんな大変な仕事で、しかも正解がないって。どうすればいいか……」
「タスクばらし」
「タスクばらし……?」
「ザッソウに、ふりかえり」
「ザッソウ? ふりかえり?」
「この三つのスキルを活用できれば、赤井さんも、正解のない仕事でも成果を出せるようになる」
「そ、そんなこと言ってる人、YouTubeにはいないですけど……」
公園にはいるよ、と言いかけたけど、さすがにわけがわからないだろうと思い、喉のあたりで止めておく。
「少しずつ、教えるよ。まずは、タスクばらしからかな。今の仕事の目的を整理して、目的を達成するために必要なタスクを出してみる。そして、それぞれのタスクにかかる時間を見積もってみる」
その後、僕は赤井さんにタスクばらしの方法を教える。五年前の、あの不思議な男との、不思議な対話を思い出しながら……。
十分ほど、赤井さんと一緒にタスクばらしをしてみると、彼の顔が一気に明るくなった。
「ああ、そうか。何が目的なのかすらわかっていないのに、仕事なんてできないですよね。机に向かっているだけで、仕事した気になっていたのかもしれないですね、僕」
「そうそう。飲み込みが早いですね。その感覚、忘れないように」
「ありがとうございます。どこで教わったんですか? こんないいこと」
「ああ、えっと……。それは、またおいおい話すよ」
「ええ、なんですか、それ。気になります」
「う、うん。さぁて、次の打ち合わせが始まるかな」
僕は、わざとらしくつぶやきながら、赤井さんから逃げるように、オフィスを後にする。どうやってタスクばらしを身につけたのか、内緒にしたいわけではないけど、彼との不思議な時間は、僕だけの宝物にしておきたいような、そんな気分だった。