「頭がいい」が武器にならなくなる時代

かつては(というほど昔ではないが)AIの使い方といえば、会話する、検索の代わりに聞く、その程度だった。

それが今では、エージェントとして人間の代わりに仕事をしてもらう段階に入っている。実際に使っていると、よほど頭のいい人と一緒に仕事をしている感覚。

大げさではなく、「新しい人類が来ている」という実感がある。

AIの話になると、多くの人が「人間は人間の得意なこと、AIはAIの得意なこと」と言う。棲み分けの発想だ。

しかし私は、そう楽観的には考えられない。人間にできることは、いずれAIにもできるようになるのではないか。

棲み分けようとすれば、AIの領域が広がるたびに居場所を明け渡していくだけだ。いずれレジスタンスのように抵抗するだけになる。それは得策ではない。

歴史を振り返ってみると、原始時代から中世にかけて、世界を支配していたのは武力だった。

力が強い者が支配した。武力なしには国も領土も守れなかった。身体の力こそが価値だった時代。それを変えたのが銃の登場だ。人間の筋力では対抗できないものが現れた。機関車や自動車もそう。

力そのものではなく「力をどう使うか」が問われるようになった。武力の時代から知力の時代への転換。

現代社会では、どれほど腕力が強くても、それだけで評価されることはない。身体の力は、かつての圧倒的な価値を失った。同じことが、今度は知力に起きようとしている。

AIは、そんじょそこらの頭のいい人より頭がいい。筋肉より強い銃が出てきたのと同じ構造ではないか。知力で戦おうとしても勝てないものが出現した。

知力だけを武器にしていた人が、かつて武力だけを武器にしていた人と同じ位置に立たされるのではないか。知力そのものの価値が、武力と同じように相対化される時代。

AIによる変化を、IT革命や産業革命と同じレベルで語る人が多い。私はもっと大きな括りだと考えている。

武力から知力への転換と同じスケールの、時代そのものの移行。「仕事が効率化される」「一部の仕事がなくなる」といった話もあるが、そのレベルではない。社会の根本的な価値観が変わるのではないかと思っている。

私たちが生きているうちに来てしまう変化だと思う。

武力の次に知力が来た。では、知力の次には何が来るのか。

正直なところ、まだ答えは出ていない。ただ、少なくとも知力だけに頼る時代は終わりつつある。日々AIと仕事をしていて、それだけは強く感じている。

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倉貫 義人

「納品のない受託開発」を提供する株式会社ソニックガーデンの創業者で代表取締役。アジャイル開発は原点。経営理念は「いいソフトウェアをつくる。」「一緒に悩んで、いいものつくる。」「いいコードと、生きていく」著書「ザッソウ」「人が増えても速くならない」など多数。「心はプログラマ、仕事は経営者」をモットーに、ブログ書いてます。

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