チームとコミュニティの違い、会社・組織をどう捉えるか

会社や組織を経営するときに、チームビルディングを意識することは多いかもしれないが、コミュニティを意識することはあまり聞かない。

一方で、昨今はビジネスにおけるコミュニティづくりが注目されている。多くの製品やサービスがファンを大事にする施策に取り組んでいる。

「チーム」と「コミュニティ」は、どちらも人が集まったものだが、その性質はまったく違う。では、会社や組織は一体どちらなのだろうか。会社や組織をチームと捉えるか、コミュニティと捉えるか。その違いは以下の通り。

本稿では、上記の違いについて深堀りしつつ、辞書としての正確な定義はさておき、私の経験から考えたチームとコミュニティの違いについて、そして会社の捉え方を示そうと思う。

チームは共通の目的を持ち、コミュニティは参加者に目的がある

チームとコミュニティの違いを考える前に、まずはチーム、コミュニティのそれぞれについて、どちらも単なる人の集まりである「グループ」との違いから考えてみよう。

チームとは、共通の目標や目的のために協力して行動する集団(グループ)とされている。何かしらの共通のゴールに向けて協力しあうためにチームワークが発揮される。目的達成を目指さないならチームではない。

野球チームやサッカーチームと言うけれども、野球グループやサッカーグループとは言わない。あくまで力を合わせて、競技スポーツでいえば勝利することを目指して、人が集まっているのがチームである。

一方で、コミュニティとは何か。地域の共同体や、趣味・関心で集まった団体と言われているがピンとこない。昨今のインターネットで盛り上がっているコミュニティを見るに、グループとは違うことがわかる。

最近読んだ「コミュニティづくりの教科書」によれば、「参加者一人ひとりが主体的に動き、それぞれが目的を持ってつくる「場」のこと」と定義されている。参加する人たちが対等にコミュニケーションしあう場でもある。

その本では、コミュニティづくりは「ビジョンから始まる」と書かれている。コミュニティはビジョンに共感して人が集まることが特徴である。一方で、目的達成を目指すチームには力を合わせて果たすべきミッションがある。

ミッションで始まるチーム、ビジョンで集まるコミュニティ

ミッションとビジョンの違いは何だろうか。ミッションは日本語にすれば使命や任務であり、達成すべきものだ。ビジョンは、未来のイメージで実現された結果のようなものだろうか。

ファンタジーゲームで例えてみれば、「魔王を倒すこと」これはミッションになる。「平和に暮らすこと」これはビジョンだ。ミッションは為すべき行動がクリアだが、ビジョンの方には行動が伴うわけではない。

ミッションによって集められたチームは、その使命が達成されたときに解散される。チームは活動(Do)である。ビジョンに共感して集まったコミュニティにはゴールもなければ解散もない。コミュニティは状態(Be)である。

多くの会社では、ミッションとビジョンの両方を設定して、ミッションを果たした先にビジョンがある、もしくはビジョンを実現するためにミッションがあるとしている。しかし、ミッションとビジョンは必ずしも連動するとは限らない。

先ほどの「平和に暮らすこと」というビジョンは叶ったら終わりといったものではなく、ありたい姿や状態であり、それを続けていくことでもある。もし状態を脅かす外敵や障害が発生するなら、それを取り除くことはミッションになるだろう。

他にミッションには、存在意義という意味合いもある。その場合、ビジョンがどうであれ続けていく理由になる。しかし、その場合のミッションは達成して終わるようなものではないので、チームのミッションとは少し違うものになる。

会社や組織をチームと捉えるか、コミュニティと捉えるか

会社や組織はチームなのか、コミュニティなのか。会社を創業したばかりの頃は、チームの要素が強いはずだ。いきなり大人数で始めることもないし、何かしら目標があるから起業するのだろう。そうでなければ起業するまでもない。

私たちソニックガーデンも、創業当時はチームだった。元々は大手システム会社の社内ベンチャーだったので、むしろ新規事業を起ち上げるというミッションしかなかった。そこから、MBOして独立することになって初めてビジョンを考えた。

ビジョンを考えるのに参考にしたのが書籍「ビジョナリー・カンパニー2」だった。同じバスに乗っている人たちの顔ぶれを見て行き先を決めるという指針に従い、全員プログラマの顔ぶれを見て「プログラマを一生の仕事にする」に決めた。

そして「納品のない受託開発」のビジネスモデルを始めると、少しずつ人が増えた。中途採用で応募してくれる人たちは「プログラマを続けたい」という意思があり、ビジョンに共感してくれたことが応募の理由だった。

このビジョンは、よく「内向きですね」と言われてきた。たしかに、一般的な会社で言うビジョンは「世界を変える」「社会をどうする」と外向きなのに、私たちのビジョンは「自分たちがどうありたいか」だったので恥じるばかりだった。

しかし、会社をチームとして捉えずに、コミュニティと捉え直したら、どうだろう。コミュニティは、自分たちがありたいビジョンに共感した人たちが集まるのだから何も違和感はない。そう、いつしか私たちソニックガーデンはコミュニティになっていた。

コミュニティの中に、ミッションを持ったチームができる

チームの価値が、事業を拡大して経済に貢献したり、社会をよくするための外向きの活動であることに対して、コミュニティの果たす価値は、そこに居る人たちに安心と安全の場を提供することである。あくまでコミュニティは内向きに価値を提供する。

会社をコミュニティとして捉えたことで、そこに居る社員たちに働きやすい環境を提供したり、リモートワークに取り組んだりすることにも意味ができた。会社経営がコミュニティ運営だとしたら、そこにいる人の居心地の良さを作っていくことは仕事なのだ。

そして、会社に人が増えて、取り組む事業が多様になったことで、全社一丸となって1つの目標に向かうワンチームでいるよりも、社内には新規事業を起ち上げるチームや、組織運営をしていくチームなど、様々なチームが生まれてきた。

それぞれのチームにはミッションがあり、所属するメンバーには役割がある。そして会社のビジョンに共感して集まった人たちでチームを作るので、最初から価値観が揃った状態でスタートできて、チームビルディングはしやすい。

ビジョンのもとに人が集まってできたコミュニティの中に、ミッションを持ったチームがある。何人かで役割を分担してチームを組む一方で、どのチームに入らない人もいる。それでも良いのは、コミュニティだから居るだけでも意味があるからだ。

チームは目的を達成したら解散するが、コミュニティにはゴールがない。たとえチームが成功しても失敗しても、安心して戻れる場所がコミュニティになる。そう考えると、コミュニティとしての会社は、もはや住んでいる街みたいなものだ。

チームはスキルで採用し、コミュニティは価値観で採用する

チームで人材採用する際の観点は、その目標や目的の達成に貢献できる人かどうか。そのため即戦力で働ける人材が望ましく、チームに足りないピースを埋めることのできるスキルを持っていれば尚良い。逆に、そこまで価値観の一致は求めていない。

会社というコミュニティからチームは発生するが、チームは必ずしも社員だけで構成されるわけではない。足りないスキルを埋めるパートナーがいたり、ときにはお客さまとチームになることもある。目標がハッキリしていればチームになれる。

逆に、コミュニティに入るのはチームほど簡単ではない。チームのようにすぐに役立つ必要はないが、価値観の一致は外すことができない。コミュニティは人が入ることに保守的にならざるを得ない。コミュニティ運営は、そこにいる人がすべてだからだ。

コミュニティはチームと違って長く続くことが前提のため、入ってしまったら長く居続けることになる。不可逆性が非常に高いため、会社=コミュニティとするならば、入社のハードルも厳しくし、時間をかけて採用するようにしている。

私たちソニックガーデンでは、中途採用の場合は実力がある方に入ってもらいたいし、それを見極めるためにも、採用の最終段階で副業でも構わないのでチームに入ってもらって一緒に働くことにしている。

チームには目標というお題があるので貢献しやすいし、そこで活躍できると仲間から認められる。そうしたチーム活動を通して、価値観や仕事の仕方をすりあわせて、合いそうだとわかってから、会社というコミュニティに入ることができる。

中途採用はチームから入り、新卒採用はコミュニティから入る

チームは、コミュニティに人が入ってくる際の出島みたいなものだ。会社=コミュニティの外部との境界線上にチームがある。コミュニティは内向きの活動、チームは外向きの活動だと考えたら、その関係性にも納得がいく。

チームに参加したからといって、価値観やビジョンが一致しない場合は、コミュニティに参加することはできない。スキルのあるベテランでもコミュニティに入るのは難しいこともあるが、一方でコミュニティには新卒社員を採用することができる。

チームで新卒を採用するのは難しい事が多い。新卒を教育するのに時間はかかるし、そこに労力をかけることは目標を達成することとはベクトルが違うからだ。しかし、コミュニティでは長く続くことを目指すので、新卒を育てることができる。

もちろんスキルは高いに越したことはないが、新卒の採用で見極めるのはポテンシャルと人間性だ。その人の価値観やビジョンが共感しあえるものであれば、入社してからスキルを身につけてもらい、いずれチームに参加してもらえばいい。中途と順番が逆だ。

私たちソニックガーデンでも、創業から5年目くらいから新卒採用を始めた。徐々にチームからコミュニティに変わってきたタイミングだった。新卒から育てる方が会社のカルチャーをゼロからインストールできるので、後継者の育成ができることが当時の目論見だった。

新卒を採用してきたことで、コミュニティの多様性は大きく増した。明確や役割やキャリアがあって入社するわけではないので、コミュニティの中で育つことで、その人自身のやりたいことが見つかり、新しいキャリアや事業を切り開いてくれるようになった。

チームでの仕事はジョブ型、コミュニティはメンバーシップ型

こうして整理すると、チームで求めているのは明確なスキルであり、今風にいえば「ジョブ型」で人を採用することになる。コミュニティではスキルは求めないから、いろんな形で貢献すればいい「メンバーシップ型」だと言える。

チームとしての会社には目標管理がある。目標を達成するのがチームだから当然だろう。最近だとOKR(Objectives and Key Result)のような手法も注目されている。いかにして個人の目標を会社の目標につなげるかがポイントになる。

コミュニティに目標管理は必要だろうか。共通のビジョンに集まっている人たちなだけで、管理されることはない。それぞれが実現したいことを能動的に動けば良い。いかにして個人と会社のビジョンをすりあわせるかがポイントになる。

私たちソニックガーデンでは、まさしく「すりあわせ」と呼ぶ経営層と社員が1on1で面談する機会を作っている。そこは目標を管理して評価する面談でなく、社員一人ひとりが自分のビジョンを語り、やりたいことを伝える場になっている。

そこで本人の興味関心のあることと、会社で抱えている課題を解決できる仕事がすりあえば、内発的動機づけで働くことになって、目標管理は不要になる。ジョブに人を当てはめるのではないので、非常にコミュニティ的である。

コミュニティなので、目標達成に貢献する意識よりも、自分たちの居場所だから自分たちで良くしていく意識がある。とはいえ、誰もが望まない仕事もあるが、それは私たちの場合は、委員会という公平に義務付けられた活動がある。言わば町内会のドブ掃除みたいなものだ。

チームは成長と共に変化し、コミュニティは文化と共に成熟する

チームはミッションを達成するために集まるところから始まり、そこからチームが形成されて、チームワークを発揮できるようになっていき、達成したら解散する。チームは成長とともに、その状態は変化していく。

タックマンモデルではチームビルディングの5つの段階で示されている。すなわち、形成期(フォーミング)混乱期(ストーミング)統一期(ノーミング)機能期(パフォーミング)散会期(アジャーニング)である。

一方で、コミュニティは最初から状態なので、その関係性は大きく変化することはない。人の入れ替わりも少なく、その場における文化のようなものが醸成されていく。そうして文脈の揃った集まりになるのは、成長よりも成熟と呼ぶ方がふさわしい。

私たちソニックガーデンでも、非常に離職率は低い。10年近く会社をやっているが、これまでに転職する理由で辞めた人はいない。しかし、帰属意識が高い感じではない。所属しているよりも、共感で集まっているだけに近い。

コミュニティに依存しないのと同じで、会社に依存する人はいない。それぞれが自立した上で、その場に集まって一緒に活動している。経営がすることは、依存させることよりも、より自立させること、その上で共感してもらい居心地を良くしていくことだ。

コミュニティのような会社はチームとは違って、ゴールがなく平坦な日々が続くので、定期的なイベントが必要だ。言ってみれば、お祭りを開催するのだ。たとえばソニックガーデンでは、ハッカソンというプログラミング大会を開催している。

船のように経営するチームと、街のように経営するコミュニティ

チームとコミュニティが違うように、会社には、チームのような会社と、コミュニティのような会社がある。これは、どちらが優れているとか、良い悪いではなく、そこには明確な違いがあるだけだ。しかし、これまで意識されていなかった。

スタートアップであれば、コミュニティではなくチームのはずだ。だからこそ、目的のためなら急成長もできるし、意味がある。しかし、チームとコミュニティの違いは、必ずしも規模ではない。大きくなってもチームで進む企業はある。

よくチームの経営は船に喩えられる。社員のことをクルーと呼ぶ会社もある。お宝を探す海賊たちかもしれない。船の速度が上がれば振り落とされる人もいるだろうし、目的地が違えば船を降りる人もいる。それでも、目的地に進み続ける。

それに対して、コミュニティは国や街の統治に似ている。移動していくのではなく、土地を開梱し、そこを発展させていく。住みよいと感じる人は居続けて、そこで新しい産業などが産まれるかもしれない。人が増えれば整備するの繰り返し。

私たちソニックガーデンは、昔からコミュニティのような会社だった。「プログラマを一生の仕事にする」がビジョンの一つなのでゴールも解散もない。人が増えれば、それに合わせて制度を整え、健全でいられるように意識してきた。この経営は政府のようなものだ。

経営者は、その経営する会社をチームと捉えるのか、コミュニティと捉えるのか、そのスタンスをハッキリとさせることで、今まで以上に経営しやすくなるのではないだろうか。少なくとも経営者と社員で意識のすりあわせがあると良いだろう。

コミュニティのような会社があってもいいのではないか

会社と一口に言っても、チーム型とコミュニティ型の2つのOS(Operating System)がある。そもそもOSが違うのだから、それぞれの働き方やマネジメントの施策を、そのまま真似しようとしてもうまくはいかない。

これまで会社と言えば、ミッションの元にチームとして取り組むものだと常識として考えられてきた。そのため、コミュニティ的な会社を経営していると不思議に思われて、居心地の悪さを感じることがあっただろう。

しかし、これからはコミュニティのような会社が存在していることが認知されていき、もう一つのスタンダードな会社の形になっていけば、そういった会社づくりを目指す人が増えてくるかもしれない。

必ずしも大きな目標を掲げなくても、仲間と共に起業して居心地の良い場所をつくることも肯定される世の中になっていけば、今の会社や組織にしがみつくことなくチャレンジしやすくなるかもしれない。

もちろん今までのようにチームのような会社もあっても良い。そこにコミュニティのような会社が増えて、多くの人が自分の考える平和の国を作れるようになることは、良い社会の実現に繋がるのではないだろうか。

コミュニティ思考でのマネジメントの実践編はこちら。合わせてどうぞ。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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