完璧主義者への癒しの書「完璧主義の罠」

常に「自分は欠けている」と思うことは、自分を罰しながら生きるようなものだ。たとえ成功しているように見えても、賢明にふるまい自他ともに慈しんで生きたいと心から願っていても、「自分は欠けている」と考えるかぎり、心は決して満たされない。

2025年1冊目に選んだ本はこちら「完璧主義の罠」。例年は割と会社や組織に関する本を読んできたけれど、今年はパーソナルな側面から選んだ。

己を顧みると、幼い頃から完璧主義者であったように思う。チェックリストを与えられたら全部達成しないと満足しない。なにか少しでも欠けたら失敗したように感じる。良いものができても、他人から褒められても、満足できない。

ストレングスファインダーの上位には「最上志向」「達成欲」が入っており、それが強みとして発揮されてるうちは良いのだけれど、暴走すると自身が傷つくだけでなく、周囲の人たちにも迷惑をかけたこともある。

そんな完璧主義者である私にとって、何か気付くことがあるのではないかと、書店で見つけて手に取った。読み終えた今、直感に従ってよかったと思えた本でした。

完璧主義は成功に欠かせないか

スティーブ・ジョブズを例に出して完璧主義者だったからこそ成功したというエピソードがある。他にも完璧主義者たちが成功した逸話は多くある。しかし、それらは生存バイアスではないかと、本書では語っている。

完璧主義者であることは、必ずしも成功の条件ではない、と。

完璧主義者は、完璧でありたいために、完璧にはできなさそうな無理な挑戦をしない。少しでも完璧でなかったら、すぐに挫折をしてしまう。むしろ完璧主義であることは、成功から遠いのではないか。

完璧主義者は、表面的に強く振る舞うことを自らに強いてしまうし、それができるからこそ完璧主義としていらられるが、それで内面が傷ついていないわけではない。

むしろ、完璧さを失うような問題に直面したときに、そのギャップに苦しみ、欠点ばかりに目がいくようになってしまう。非常にストレスが溜まるが、それも表面に出さないが故に、より苦しみが続く。

完璧でないと存在していられない

そうした完璧主義者であること、そうした人物像であることを維持しようとするのは、そうしないと、尊敬されなくなる、愛されなくなる、そうしたパラダイムに支配されているからだと。

生きていると大変な出来事は沢山ある。そうした際に受ける精神的な苦痛も、成長や成熟のための糧であると考えられてきた。ニーチェいわく「われわれを殺さない試練が、われわれを強くする」。

そこに完璧主義が入り込むことで、あえて苦しみを受け取り、前向きであることを肯定しようとし、表面で見えば完璧主義者であるように振る舞ってしまう。しかし、苦しいものは苦しいのだ。

成長や成功のためにベストを尽くして努力するために、完璧主義が有効に働いているのだろうか。最初のうちはそうかもしれないが、どこかで限界がくる。しかし満足できない。

手に届かないものを目指して努力することは健全とはいえない。つまり健全な完璧主義などありえない。完璧主義とは精神的な病理なのだという主張をしている。

完璧主義はどこから生まれるのか

本書では、完璧主義を3つの側面があると表現している。「自己志向型」「他者志向型」「社会規定型」である。

自己志向型の完璧主義は、一般的にイメージされるもので、完璧であろうとする内的な衝動とプレッシャーがある。完璧でありたい自分と、不完全な自分のギャップに苦しむことになる。たとえ成功しても軽んじてしまうし、苦闘していれば卑下してしまう。幸せにはなれない。

他者志向型の完璧主義は、自分の考える基準を周囲の人間に対して求めてしまうものだ。当人はさておき、周囲からすると厄介な人間であるといえる。そうした人は良い人間関係を築くことはできない。

社会規定型の完璧主義は、逆に周囲から完璧さを求められている、と思い込んでいる。常に周囲から評価され、欠点を咎められているように感じる。このタイプの完璧主義者は、他者の期待に応えて承認や愛を得ることが動機であり、欠点を隠し続けようとする。

誰もが羨む完璧な姿を見せて、不安をかりたて、経済を推進させるという広告やSNSが広まった現代社会において、この社会規定型の完璧主義が急増している。

そうした完璧主義はどこから生まれるのか。遺伝による部分もあったり、家庭環境でもあったり、学校での評価制度、経済的な不安からの働きすぎ、それらの前提となる経済や文化といったものが影響している。

とりわけ、完璧主義は社会的なプレッシャーから生まれると考察している。個人主義的な発想であれば、完璧主義は個人の気質であり、解決するのは個人の自力でしかないとなってしまう。しかし、そうではない。

完璧主義を受け入れて生きていく

現代社会が生み出す完璧主義、それがもたらす「自分は不完全」という認識は、ちょっとしたライフハックやマインドフルネス、ポジティブ・シンキングくらいでは、変えられない。そうした不安に依存して今の経済があると知っても、慰めにはならない。

完璧主義はどうにもならない。しかし、完璧さへの執着は自分のせいではない。自分は、そのままで十分だが、とりまく社会や文化は、それを心から受け入れることを許してくれない。

このことを理解することができれば、耐えることができる。世界の現実と向き合えることこそが、嘘偽りのない希望なのではないか。変わるべきは、自分ではないのだ。完璧主義を治そうとしなくてもよい。受容することなのだ。

そして、受容するには世界に対する知識が必要だ。本書では、完璧主義に関する知識を得ることができる。完璧主義者であると感じている私のような人に届くことを願っている。

自分や自分の限界を意識し、広い世界で起きる制御不可能な物事が内面の葛藤にどう影響するかはっきり意識したうえでの受容だ。ホーナイは、「脅威となりうる世界」で自分を受容するのは「困難な旅」であり、「完全には実現しないかもしれない」が、それでも「心から取り組む」ことには計り知れない価値がある、と述べた。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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