「拡大」と「成長」は違う〜売上や規模を追わない「熟達」という生存戦略
倉貫 義人
「ソニックガーデンさんには、売上目標がないんですか?」
「会社をこれ以上大きくするつもりはないんですか?」
経営者の方とお話ししていると、驚かれたり、時には不思議そうな顔をされたりすることがよくあります。上場を目指しているわけでもなければ、シェア拡大を狙って派手な広告を打つわけでもない。
資本主義の常識からすれば、私たちは「やる気がない」「現状維持で満足している」ように見えるのかもしれません。
しかし、誤解を恐れずに言えば、私たちは決して現状維持を望んでいるわけではありません。むしろ、私たちは誰よりも貪欲に「成長」を求めているつもりです。ただ、その「成長」の定義が、世間一般のそれとは少し違っているだけなのです。
今回は、仕事を技芸と捉える私たちが、売上や規模といった数字の彼方に何を見ているのか。私たちの考える「成長」についてお話しします。
「拡大」と「成長」は似て非なるもの
多くの企業において、「成長」という言葉は「規模の拡大(Expansion)」と同義で使われています。
昨対比で売上が何パーセント伸びたか。社員が何人増えたか。グラフの右肩上がりを維持するために、無理をしてでもアクセルを踏み続ける。それが経営者の手腕だとされています。
しかし、私は以前から、この「拡大こそが正義」という考え方に違和感を抱いてきました。
中身が伴わないまま、数字だけを追い求めて急激に大きくなることは、まるで風船を無理やり膨らませるようなものです。見た目は大きくなりますが、中身は薄くなり、張り詰め、ほんの少しの衝撃で破裂してしまうリスクを高めます。
それは「成長」ではなく、「膨張」と呼ぶべきではないでしょうか。
私たちが目指す成長は、風船のような膨張ではありません。あえて例えるなら、「樹木の年輪」のような成長です。
木は、一晩で急に大きくなったりしません。しかし、毎日光合成をし、養分を吸い上げ、一年一年、確実に年輪を刻んでいきます。外見の変化は緩やかでも、その内側では密度が高まり、幹は太く、硬くなっていきます。そうして何十年、何百年という時間をかけて、雨風や嵐にも折れない、強靭な大樹へと育っていくのです。
私たちにとっての成長とは、単に大きくなることではありません。「中身が詰まること」「質が高まること」「強くなること」なのです。
そもそも「拡大」できないモデルを発明した
「規模を追わないのは、我慢しているからですか?」と聞かれることがありますが、そうではありません。
私たちが主力としている「納品のない受託開発」というビジネスモデルは、そもそも急拡大ができるような代物ではないのです。
このモデルは、月額定額で顧客のソフトウェア開発を請け負いますが、仕様書通りに作るだけの単純作業ではありません。エンジニアが顧客と直接対話し、ビジネスの課題を理解し、要件定義から設計、実装、運用までを一貫して担当する、いわば「技術顧問」のようなパートナーシップです。
マニュアル通りに動く作業員を大量に投入して売上を稼ぐ「人月商売」とは異なり、ここには高い技術力とコミュニケーション能力を兼ね備えた「職人」が不可欠です。
当然、そうした人材は市場にそう多くはいませんし、未経験から育てるにしても、長い時間(徒弟制度のような期間)を要します。つまり、構造的に「人を増やして急拡大する」ことが不可能なモデルなのです。
私がこの会社でやりたかったのは、優秀で気のおけない仲間たちと一緒に、自分たちが納得できる良い仕事をすることでした。もし、売上を倍にするために、急いで大量の人を採用し、顔も名前もよく知らない社員が増えてしまったら、それは私のやりたいことではありません。
だからこそ、私は「人を増やさなくても成立する」、あるいは「時間をかけて人を育てながらでしか成立しない」ビジネスモデルを、最初から前提として発明しました。
拡大の誘惑に打ち勝ったというよりは、最初から「拡大しない」ことを構造として組み込んだのです。
拡大しない私たちは、派手な広告も打ちませんし、無理な営業もしません。ただ、目の前の顧客と向き合い、コツコツと信頼を積み重ねていく。その歩み方は、私たちの生存戦略そのものなのです。
会社における成長=「生存能力」
では、規模を追わずに何を目指すのか。会社にとっての成長とは、売上規模ではなく「生存し続ける能力」が高まることだと定義しています。
一般的なスタートアップのように、短期間で企業価値を高めてExit(売却や上場)することを目指すなら、リスクを取ってでも急拡大する必要があります。しかし、私たちはExitを目指していません。会社とは「ゴール」ではなく、仲間と共に技芸を磨き、楽しく働き続けるための「場」だからです。
大切な「場」をなくさないこと。どんな不況が来ても、環境が変わっても、しぶとく生き残り続けること。そのための「強さ」を身につけることが、会社の成長です。
以前、私たちの会社でセキュリティに関する事故を起こしかけたことがありました。幸い、未然に防ぐことができましたが、背筋が凍るような経験でした。
その時、私が痛感したのは「身の丈」の重要性です。
もしあの時、私たちが実力を超えて無理な拡大路線を突き進み、組織が膨張していたらどうなっていたでしょうか。おそらく、自分たちの目が行き届かず、コントロールを失い、事故を防げなかったかもしれません。あるいは、事故への対応で会社が持ちこたえられなかったかもしれません。
「身の丈に合ったサイズで、中身の詰まった筋肉質な組織であったこと」。それが、結果として私たち自身を救いました。
自分たちが把握できる範囲で、確実にコントロールし、問題が起きても自力で対処できる。この「生存能力」を高めていくことこそが、私たちにとっての本当の成長なのです。
個人における成長=「熟達(Mastery)」
組織としての成長が「生存能力」なら、そこで働く個人の成長とは何でしょうか。
職人にとっての成長とは、売上が増えることではありません。「昨日できなかったことができるようになること」、そして「同じ仕事でも、より高い品質で、より手際よくできるようになること」です。
これを私は「熟達(Mastery)」と呼んでいます。
私たちの会社にはプログラマが多く在籍していますが、彼らは「もっと良いソフトウェアを作れるようになりたい」「もっと美しいコードを書きたい」という欲求を常に持っています。
もちろん仕事である以上、顧客の役に立つことは大前提です。しかし、顧客満足のためだけに働いているわけではありません。顧客への貢献を通じて、自らの腕を磨き、より高度な技芸を身につける。そのプロセス自体に喜びを感じているのです。
熟達すればするほど、仕事の難易度は上がりますが、同時にそれをコントロールする自由度も増します。難しい課題を、自分の技術で鮮やかに解決できた時の快感。これこそが、技芸的に働く人にとっての最大の報酬であり、成長の実感です。
売上は、その結果としてついてくる「影」のようなものです。影を大きくするために本体(技術)を歪めるのは本末転倒です。私たちが追うべきは、あくまで本体である「熟達」なのです。
「自由」であり続けるための成長
そもそも、なぜ私たちはそこまでして成長(生存能力の向上・熟達)を目指すのでしょうか。売上を追わないなら、今のままでいいではないか、と思われるかもしれません。
それでも私たちが成長を止めない理由は、二つあります。一つは「自由」であり続けるためです。
技芸が未熟であれば、選べる仕事は限られます。生活のために、やりたくない仕事や、理不尽な条件の案件も受けなければならないかもしれません。それは不自由な状態です。
しかし、圧倒的な技術力(熟達)があれば、「この仕事は自分たちの美学に反するから受けない」と断る自由が生まれます。「あなたにお願いしたい」と指名され、対等なパートナーとして働くことができます。
会社としても同じです。財務的に弱ければ、銀行や株主の顔色をうかがい、短期的な利益のために意に沿わない方針転換を迫られるかもしれません。しかし、自分たちで十分に稼ぎ、強い体質を作っておけば、誰にも指図されず、自分たちが正しいと思う経営を貫くことができます。
成長とは、自分たちが幸福に働き続けられる「自由の領域」を広げていく行為そのものなのです。
そして成長を止めない二つ目の理由は、成長すること自体が楽しいからです。少しずつでも難しいことに取り組んでいき、できることが増えることはシンプルに楽しいものです。
自分たちを「肯定」するために
ここまで、「拡大より成長(熟達)」という話をしてきましたが、正直に告白すれば、私自身が完全に悟りを開いているわけではありません。
周りのベンチャー経営者が「何億円調達した」「上場した」「社員が数百人になった」と盛り上がっているのを見ると、やはり焦りを感じることもあります。「自分たちはこのままでいいのだろうか」「世の中から置いていかれているのではないか」と。
経営者として、会社が大きくなっても「まだまだだ」と感じてしまう。その渇望感自体は、消えることはありません。
私は、決して世捨て人のように達観しているわけではないのです。吹っ切れているわけでもありません。ただ、焦りや不安を感じながらも、「それでも自分たちは、コツコツと力をつけていくしかないのだ」と、腹を括っているだけです。
だからこそ、私には「仕事技芸論」が必要でした。
世の中の「拡大競争」とは違うレースを走っているのだということ。派手さはなくても、昨日より今日、今日より明日と、確実に技芸が上達し、生存能力が高まっているならば、それは素晴らしい「成長」なのだということ。
そうやって自分たちの歩みを定義し、肯定してあげるためのロジックがなければ、この流れの速いビジネスの世界で、正気を保って自分たちの美学を貫くことは難しかったでしょう。
私たちが目指しているのは、大金持ちになることでも、業界の覇者になることでもありません。
自分たちが心から楽しいと思える仕事を、好きな仲間と、好きなやり方で、一生続けていくこと。その「幸福な自由の領域」を守り、広げていくこと。
そのために、私たちは今日も焦りを感じながら、それでも目の前の仕事に向き合い、コツコツと技芸を磨き続けているのです。
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