弟子の仕事は「見る」こと〜AI時代の「見て盗む」2.0

以前のブログで、育成に必要なのは観察と自己決定だと書いた。親方が弟子のプロセスを見て、課題とフィードバックを渡すという話だった。

しかし「見る」が大事なのは、弟子にとっても同じだ。ただし向きが逆だ。親方が見るのは弟子のプロセス、弟子が見るのは親方のプロセスだ。

教えるとき、「説明→実践→フィードバック」で進めがちだ。一見まっとうだが、落とし穴がある。「お手本なし」で試させることになるのだ。特にAIの使い方や仕事の進め方には、確立された手本がない。

最近、エンジニア以外のメンバーにもAIを触ってもらっている。口で説明してもなかなか伝わらないが、画面を見せるとすぐ伝わる。百聞は一見に如かず、とはよく言ったものだ。これくらいでいいのか、こういう粒度でやり取りするのか、と具体が伝わる。

伝わっているのは成果物ではなく、プロセスの方だ。

弟子が見るべきも、まさにそのプロセスだ。最初は親方のコピーであるべきだ。同じやり方で同じ品質と生産性を出せてから、自己流を磨けばいい。

コピーのポイントは、見よう見まねではない。親方がその時々に何を考えているのか、思考プロセスごとコピーしようとすることだ。お客様との会話も、AIの使い方も、動作確認の方法も。見て、真似る。

「学ぶ」の語源は「真似ぶ」だと言われる。思考まで真似ようとすれば、とてつもない集中力がいる。それくらい真剣に「見る」ことが必要なのだ。

親方のほうから場を作ってやればいい。「2時間この案件に取り組むから横で見ておいて」と弟子を呼ぶ。それで十分に伝わる。教える側がまずやって見せる。それが遠回りに見えて、一番の近道なのだろう。

親方と弟子の「見る」は対になっている。親方が課題とフィードバックを渡し、弟子は思考プロセスを写し取る。双方向に機能することで、徒弟制度は回る。

そう考えると、弟子の一番の仕事は「見る」ことそのものだ。最初のうちは中途半端に仕事を振って試行錯誤させるより、親方の仕事を徹底的に観察・理解・再現させた方が、立ち上がりが早い。

このサイクルを回すほど、解像度も精度も上がっていく。それがトレーニングになる。

これは、昔ながらの「見て盗め」の発想だ。ただ古い「見て盗め」には欠点があった。熟練者の手が速すぎて、何をやっているか見えない。

AI時代では事情が違う。親方とAIの会話ログに、暗黙知が言語化されて残る。手が速すぎて見えなかった仕事も、弟子は後からAIで確認できる。

見て盗む2.0だ。AI時代だからこそ、むしろ効く学び方になっているのではないか。

倉貫 義人
倉貫 義人
ソニックガーデン 創業者
クラシコム 取締役CTO

「納品のない受託開発」の実践者。著書多数。心はプログラマ、仕事は経営者。

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