「動けばいい」では、もったいない〜AI時代にプログラミングを学ぶ意味
AIがコードを書く時代になりました。プロンプトを投げれば、動くプログラムはすぐに手に入ります。検索して見つけたサンプルを、理解しないまま繋ぎ合わせる必要もありません。
こうした時代に、これからプログラミングを学ぼうとする学生にとって、学ぶ意味はどこにあるのでしょうか。実のところ、社会人として現場にいる私たち自身も、同じ問いに向き合っています。AIに任せる範囲が広がるほど、人が手を動かすことの意味を、自分の言葉で語りにくくなっていく。
それでも、一つだけ確信していることがあります。学生のうちに体験しておいてほしいことがある、ということです。
仕事ではAIを、学びでは自分の手を
念のため書いておくと、仕事でAIを活用することを、私たち自身は積極的に推奨しています。私もAIエージェントと一緒に日々働いているし、社内でもAI活用はすっかり当たり前になりました。成果を出すのが仕事である以上、わざわざ遅いほうを選ぶ理由はありません。
ただ、学びの話になると、少し事情が変わります。動くだけのコードを手にするのが目的なら、AIに任せた方が速い。これは否定しようがない事実です。けれど、AIに任せて動くものができたとして、その体験から作り手に何が残るでしょうか。動いたという結果はあるかもしれない。課題は提出できるかもしれない。けれど、作り手自身の中に、何か確かなものが残っているかは別の話です。
「動けばいい」で済ませてしまうと、作ることの面白さに触れないまま終わってしまいます。仕事ならそれでも成果が出るならいい。けれど、学びや面白さの芯を育てたい場面では、あえてAIに任せないほうが得られるものが大きい。そう考えています。
作って面白い、が出発点
プログラミングの学び方について、よく「どの言語から始めるか」「どの教材を使うか」と議論されます。どれも大事な問いではあります。けれど、もっと大事なことがあると思っています。
それは「作って面白い」という体験を、自分の中にしっかりと根づかせることです。
自分の頭で考えて、自分の手で形にして、動かしてみる。想像通りに動くこともあれば、全然動かないこともある。動かないから、調べて、直して、また動かす。動いたときには嬉しい。誰かに見せて、喜ばれたらもっと嬉しい。
私自身、学生から若手の頃にかけて、プログラミングに没頭した時間がありました。仲間と作っては動かし、議論しては直す。誰に指示されたわけでもないのに、寝食を忘れて続けていました。あの時間があったからこそ、その後ずっとソフトウェアの仕事を続けてこられた、と振り返って思います。逆に言えば、あの体験がなければ、今の自分はいません。
この一連の体験が、プログラミングの面白さの芯です。技術の習得や知識の積み上げは、この芯があってこそ続けられる。逆に芯がないまま学ぼうとすると、どこかで続かなくなります。面白さは才能ではなく、体験することで発火するものです。
AIの時代になっても、この面白さは失われません。むしろ、AIに任せられる部分が増えたからこそ、「何を作るか」「なぜ作るか」を考える時間が増え、自分の作品だと感じられる余地は広がっているとも言えます。
つくりたいものがあって、それをつくる。そこに没頭できる時間を持てること。それがプログラミングを学ぶ一番の意味だと、私は思っています。
面白さの芯を持つ人は、強い
AIによって効率化が進むほど、面白さの芯を持っている人と持っていない人の差は、これから大きく開いていくのではないか、と感じています。
芯がある人は、AIを道具として使いこなします。何を作りたいのか、どこを面白くしたいのか、自分の中に基準があるからです。AIにどんな指示を出すかも、出てきた結果をどう判断するかも、自分の芯から決められる。AIが速くなるほど、自分の芯から生み出せる仕事の量と質が増えていく。
芯がない人は、AIに使われていきます。とりあえず動けばいい、それらしくできていればいい。判断の軸を外側に預けてしまうから、AIの出力に引きずられる。仕事の手応えは薄くなり、続けるほどに自分の輪郭がぼやけていく。
これは学生だけの話ではありません。社会人としてキャリアを重ねた人にも、同じことが起きています。私自身、自分の芯が揺らいでいないか、ときどき問い直すことがあります。
芯は、知識として教わるものではありません。自分で何かを作り、夢中になり、動かしてみる。そのプロセスの中でしか育たない。だから、芯を持てる体験をどこかで一度持っておくことが、これからの時代を生きる上で、ますます大事になっていくのだと思います。
一人では、没頭できない
ただ、その芯は一人で育てるには限界があります。一人でつくっているだけでは、どこかで物足りなくなる瞬間が来るのです。
仲間と一緒に、一つのものをつくってみる。同じ画面を見て、意見を出し合い、ぶつかり、落としどころを見つけ、また動かす。一人では絶対にたどり着けなかったアイデアが、会話の中から出てくる。一人では詰まっていた問題が、誰かの一言でほどける。こういう体験は、独学ではなかなか得られません。
大学の授業やサークルで、グループ開発をした経験がある方もいるかもしれません。けれど、平日の昼間に朝から夕方まで、同じチームで一つのソフトウェアに没頭する、というような時間は、なかなか取れないはずです。バイトや授業の合間に少しずつ、というのでは、没頭には至りにくい。
もちろん、社会人になっても、仲間と打ち込む時間はあります。けれど、納期や数字に追われながらの時間と、ただ夢中になってつくる時間とは、同じようでいて質が違います。多くの現場では、責任や効率が優先されるうちに、没頭の感覚が少しずつ遠ざかっていきます。
もっとも、それはすべての会社の話ではありません。私たちソニックガーデン自身、納期に追われる開発ではなくお客さまと一緒にソフトウェアを育て続ける形を選び、大人になっても夢中で働ける環境を意図してつくってきました。仕事は本来、夢中になれるものだ、という確信があったからです。
没頭は、時間と集中の密度があって初めて生まれるものです。仲間と過ごす濃い時間の中で、ソフトウェアが少しずつ形になっていく。手が動き、会話が生まれ、何かが動いたときに一緒に喜ぶ。この経験は、社会人になってもそう何度も味わえるものではなく、とても得難いものだと思います。
一度でもこの濃さの時間を過ごしておくと、ソフトウェアづくりへの構えが変わります。
プロのやり方を、そばで見る
面白さを味わい、仲間と没頭する時間を経たその先に、もう一つ見えてくるものがあります。「プロはどう仕事をしているのか」という世界です。
プロが書くコード、プロが使うツール、プロが交わす会話。そのどれもが、教科書には書かれていないやり方でできています。なぜその実装を選んだのか。なぜそのタイミングでお客さまと話したのか。なぜそこで立ち止まって考え直したのか。
こうした判断の一つひとつは、言葉にして教えるのが難しいものです。だからプロの仕事は、そばで見るのが一番早い。同じ机で、同じ画面を見て、同じ問いを一緒に考える。それが、本を読んで学ぶのとは違う、プロのさわりに触れる方法です。
私たちの会社でも、この「そばで見る」ことを大切にしてきました。若手は最初、先輩のそばで、その仕事の進め方を写し取るところから始めます。コードだけではなく、考え方の癖、判断のタイミング、お客さまへの言葉の選び方まで含めて、丸ごと見る。それが一番早い、と感じているからです。
ただ、学生のうちから、こだわりを持って仕事をしているプロのそばに身を置ける機会は、そう多くはありません。インターン、アルバイト、研究室の先輩、知人の紹介で入った現場。形はどうあれ、そういう機会に出会ったら、意識して掴んでおくといい。一度でもプロの世界に触れておくと、そこから先の進み方が変わってきます。
若いうちに、こだわりを持って没頭する
今の学生は、AIをはじめ、便利な道具をたくさん手にしています。そのこと自体はとても恵まれている。けれど、便利さの中だけで完結してしまうと、面白さの芯が立ち上がる前に、すべてが手早く片付いてしまうかもしれない。それは少しもったいないことに思えるのです。
面白さに発火する。仲間と没頭する。こだわりの手触りに触れる。この三つを、できれば若いうちに、まとまった時間の中で経験してほしい。
大人になってからの働き方は、そこで一度掴んだ感覚をもとに、自分で選び取っていけばいい。夢中になれる仕事を選ぶこともできるし、自分で環境をつくることもできる。けれど、一度もその感覚に触れないまま社会に出てしまうと、選ぶときの物差しが持てない。
だから若いうちに一度、というのが、社会人として現場を見てきた私の実感です。
付け加えておくと、今年の夏、私たちソニックガーデンでも学生向けのキャンプを開催します。夏のあいだ、チームで一つのソフトウェアに取り組む場です。キャッチコピーは「あなたのこだわりが、いいソフトウェアをつくる。」
これを読んで、そういう夏を過ごしてみたい、と感じた学生がいたら、一つの選択肢として見てもらえたら嬉しく思います。
ソニックガーデンキャンプ 2026
https://www.sonicgarden.jp/join_us/camp/2026