「手打ちコーディング」がなくなっても、作り手であることは変わらない

このごろ、プログラマが手でコードを打つことが、ほとんどなくなってきた。コーディングエージェントに任せた方が、キーボードを叩くより圧倒的に早いからだ。

少し前なら、コーディングと言えばキーボードを叩いてコードを書くことだった。今は違う。エージェントが書くのが当たり前になり、人間が手で打つ方が特別なことになった。

私はこれを「手打ちコーディング」と呼んでいる。

「手打ちそば」も、昔はなかった言葉のはずだ。そばはそばだった。機械でそばが作られるようになって、初めて手で打つそばを「手打ち」と呼ぶようになった。標準が機械側に移ったときに、それまで標準だったものに名前がつく。コーディングにも、同じことが起きた。

そういえば「手打ち」と言いつつ、コーディングで実際にやっているのはキーボードを叩くことであって、手で書いているわけではない。それでも「手打ち」と呼ぶことに、自分でも違和感がない。比喩は不思議なものだ。この先、エージェントに指示を出して書かせることまで、いつか「手で書く」と呼ばれる日が来るのかもしれない。

これはコーディングだけの話ではない。文章を書くときも同じ。

この記事も、エージェントを使って書いている。多少のミスや違和感はある。それでも書き直させた方が、自分で手打ちするより早いし、楽だ。人間、一度楽を覚えると元には戻れない。

パンチカードからキーボードに変わったときも、きっと同じことが起きたのだろう。手打ちからエージェントに変わるのも、その延長線上の出来事だ。

やり方が変わるだけで、作ることそのものがなくなるわけではない。エージェントに任せても、プログラマがソフトウェアを作っていることに変わりはない。文章だって同じだ。

とはいえ、手打ちが残る世界もある。

文章の世界では、いまだに原稿用紙にペンで書く小説家がいると聞く。キーボードで打った方が圧倒的に早いのに、ペンで書いた方がいい作品ができると信じている。それも、人の手による作品作りのひとつの道だ。

ただし、コーディングはそうはならないだろう。小説と違って、コードの読み手は書き手の手の痕跡を求めて読んでいるわけではないからだ。コーディングはエージェントの手に渡って、それが当たり前になっていく。

手で打たなくなっても、作り手であることは変わらないんだろうな。

倉貫 義人
倉貫 義人
ソニックガーデン 創業者
クラシコム 取締役CTO

「納品のない受託開発」の実践者。著書多数。心はプログラマ、仕事は経営者。

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