AI時代の仕事技芸論〜ソフトウェア開発で「遊ぶように働く」職人的熟達のすすめ
日本で初開催となった Laravel Live Japan 2026 に、登壇者として呼んでいただきました。「AI時代の仕事技芸論」というテーマで話した内容を、当日の流れのまま書き起こします。スライドと動画は以下です。
なぜ、Laravelのイベントで話すのか
私はソニックガーデンという会社を経営しています。日本の方ならご存じかもしれませんが、Ruby on Rails をもう15年やってきた会社で、社員もほとんどが Rails のスペシャリストばかりです。
では、なぜ Laravel のイベントで話すのか。私はもう一社、クラシコムという会社にも取締役CTOとして関わっています。「北欧、暮らしの道具店」を運営している上場企業で、その基幹システムを Laravel で作っているのです。最初は一人のエンジニアが Laravel で書いたものを、ずっとメンテナンスしながら育てて、いまや100億円規模の売上を支えるシステムになっています。
10年ほど前、そのクラシコムで、Laravel Live Japan の主催者である濱崎さんと一緒に働いていました。当時の彼はまだジュニアと言ってもいいころでしたが、Laravel への愛がすごかった。最初に作ったエンジニアがいなくなったあとも、ほぼ彼一人でずっとメンテナンスを担い続けてくれた。その積み重ねがあって、クラシコムは大きなシステムを持てるようになったのです。
その濱崎さんが、海外を経て日本に帰ってきて、なんと Laravel のスタッフになっていました。そして日本で初めての Laravel Live Japan を立ち上げ、わざわざ私のオフィスまで来て、登壇を頼んでくれたのです。
正直に言うと、一度は断ろうかと思いました。なにしろ私はいまは経営者で、コードを書く仕事をしていない。この日の私の話も、一行もコードは出てきません。話すにしても、せめて Rails の話だろう、と。それでも、かつて一緒に働いた濱崎さんが立派になって凱旋し、日本で大きなイベントを立ち上げる。何か力添えできることがあればという気持ちで、登壇させてもらうことにしました。
DHHと、同じ言葉に行き着いた
今日は、ソフトウェア開発における職人的な熟達、マスタリーの話をします。それこそが、AI時代には欠かせないのではないか、と考えています。
濱崎さんと私に意外な共通点があったように、Laravel と Rails にも、もちろん共通点があります。同じルーツを持ち、「開発者の喜び(Developer Happiness)」を大事にするという哲学です。その縁もあってか、今年の Laravel Live Denmark では、Rails 作者の DHH が、Laravel 作者の Taylor Otwell と対談することになっているそうです。いろんなものが繋がって、いまここに来ている。そんな不思議な感覚があります。
その DHH が最近、AI時代にプログラマはどう生きていくのか、というテーマで動画を公開していました。とてもいい内容で、私自身も強く共感したので、すぐに本人に連絡をとり、日本語に翻訳して公開していいかと尋ねました。快諾してくれたので、私のブログに翻訳を載せています。
そこで DHH が使っていた言葉が、「The Arts and Crafts of Work」でした。仕事を、技芸として捉え直す。実は私も、ここ数年ずっと、仕事を技芸とする文化を広めたいと言い続けてきました。それぞれの場所で、独立して、まったく同じ言葉に行き着いていたのです。この「仕事技芸論」が、今日の話の背骨になります。
その記事が、こちらです。
「審美眼こそが真実」〜DHHが語るAIエージェント時代の技芸論
「手打ちコーディング」
会場には海外から来た方も多くいました。日本食はもう召し上がったでしょうか。蕎麦を食べた人はいても、「手打ち蕎麦」を食べた人と聞くと、ぐっと減ります。
「手打ち蕎麦」という言葉は、いつできたのか。昔は、蕎麦は蕎麦でした。機械で蕎麦が打たれるようになって初めて、手で打つ方が貴重になり、「手打ち蕎麦」という言葉が生まれたのです。
最近、同じことがコードにも起きています。私自身も、コーディングエージェントでソフトウェアを作っていて、もうほとんど自分の手でコードを書きません。そうなると、手で打つことの方が、貴重になってくる。「手打ちコーディング」というわけです。
ただ、手打ち蕎麦は機械より美味しいのですが、手打ちコーディングは、残念ながらAIの方がいい。だから手打ちコーディングは、いずれ滅びていくのだろうと思っています。
プログラマは、これからどうなるのか
コードを書くのはAI。設計もAI。では、自分の役割は何になるのか。ソフトウェア開発という仕事は、これからどうなるのか。自分のキャリアは、どうなってしまうのか。
おそらく、私たちも含めて、みなさんが不安に感じているところだと思います。
ソニックガーデンという会社は、そこにどう向き合ってきたのか。これからどう向き合おうとしているのか。私たちが一つ大事にしてきたのが、「遊ぶように働く」というキーワードです。
「遊ぶように働く」とは何か
定義はとてもシンプルです。
本人は、いたって真面目に、一生懸命にソフトウェア開発に向き合っている。それでも、周りから見ると、なんだかとても楽しそうで、夢中でやっているように見える。これが「遊ぶように働く」という状態です。
これを実現するために、組織として大事にしてきたことが二つあります。
一つは、内発的動機づけです。外から与えられる評価や報酬やボーナスのため、あるいは怒られるから、仕事だからやる、のではない。いいソフトウェアを作りたい、いいコードを書きたい、いい設計をしたい、いいものが作れたら嬉しい。そういう自分自身の気持ちで作っていく。
もう一つは、フローです。チクセントミハイが提唱した概念で、難易度と自分のスキルがちょうど合うところにいると、人は夢中になれる。ゲームをしていて、ちょうどいい手応えの面のときに没頭してしまう、あの感覚です。仕事でも、同じことが起きるのではないか。
この内発的動機づけとフロー。私たちはこれを大事にしてきました。そして、それを大事にしてきたら、意外なことに、ビジネスとしてもしっかり成果を出すことができています。
ソニックガーデンには「ない」ものばかり
ソニックガーデンは創業15年、この夏で16年目に入ります。約60名の会社で、ほとんどが腕のあるプログラマたちです。
どんな仕事をしているかというと、いわゆる派遣ではなく、お客さまのCTOのような立場で参画します。CTOのような仕事ですから、事業戦略や経営戦略を考えながら、システムを設計し、ときにコーディングもし、運用もする。すべてを一気通貫でやる。しかも、弁護士やコンサルタントのように、一人で複数のクライアントを担当します。そういうプログラマたちが集まっている会社です。私たちはエクストリーム・プログラミングが好きなので、いわば「エクストリームなアジャイル」を目指してやってきました。
では、内発的動機づけとフローを、どうやって実現するのか。私たちは、いろんなものをなくしました。
売上目標がない。管理職もない。評価制度もない。指示命令もなければ、経費の決裁もない。オフィスもなければ、働く時間も決まっていない。ないないづくしです。
それでも会社は動いている。一人ひとりが、自分で考え、自分で判断し、自分で進めているからです。そのかわりに私たちが大事にしているのが、セルフマネジメントです。
なぜ、セルフマネジメントなのか
なぜセルフマネジメントなのか。ソフトウェア開発を考えてみてください。みなさん、一行一行「こう書け」と指示されますか。されないですよね。もし一行ずつ指示してくる上司がいるなら、その上司が自分で書けばいい。
プログラマは、指示を受ける側ではありません。AIを使うなら、むしろ指示を出す側です。細かく指示命令されるより、自分で考えて作った方が、生産性は高い。だとすれば、外からの指示や管理や評価は、なるべくなくしてしまった方がいいのではないか。
そう考えてやってみました。会社が潰れるかもしれないと思っていたのですが、意外なことに、ずっと成長を続けてくれています。
もちろんセルフマネジメントとは、自己管理さえできればいい、という話ではありません。周りの仲間とうまく協調していくこと、お客さまとうまくやっていくこと。そこまで含めてのセルフマネジメントです。
そういう人たちが集まると、何ができるか。上下のない、フラットなコミュニティが出来上がります。
セルフマネジメントできる人は、特に指示がなくても、自分から前向きに取り組みます。お客さまのシステムを作っているのに、それを自分の作品だと捉えている節がある。作品づくりそのものに喜びを感じているし、少しずつ上達していくことに喜びを感じている。ピーター・センゲは「自己マスタリー」という言葉を使いましたが、自分で自分を上達させていく状態になると、楽しくてしょうがない。そういう人たちが集まっているのが、ソニックガーデンというコミュニティです。
育てるために、徒弟制度を選んだ
セルフマネジメントで組織を作って、10年ほどやってきました。すると、私たちの会社はほとんど人が辞めないので、だんだん全体が年を取っていきます。それはそれでいいのですが、このままでは、ただ年を重ねただけの集団になってしまう。新陳代謝を起こしたくて、5年ほど前から、若い社員の採用を始めました。学生や新卒のような、ジュニアなプログラマの育成に、本格的に取り組み始めたのです。
AI時代になって、若いプログラマを採用する会社はどんどん減っています。そんななか、私たちは今年、高卒の社員を採用しました。18歳、19歳の人たちが働いている。自分でもちょっと驚きます。それでも、若い人にはしっかりお金をかけて投資していきたい。そう考えてやっています。
とはいえ、ソフトウェア開発の経験が浅い人が、フラットでセルフマネジメントな環境で、いきなり活躍できるかというと、そんなに甘くはありません。ソフトウェア開発は、本当に難しい。では、どうやって育てればいいのか。
私たちが取り組んだのが、徒弟制度でした。正解というより、私たちの場合はこうしてきた、という話です。
私たちは、師匠のことを「親方」と呼んでいます。親方と弟子の関係でやろう、と。弟子に入ると、まず親方のいる場所に引っ越します。親方は全国でリモートワークをしているので、弟子のあいだはリモートワークをやめて、親方のところへ移ってもらう。いまは岡山、広島、兵庫、愛知の4カ所に親方がいます。
「親方にわざわざ出社させるのか」というと、それは違います。親方はもともと在宅勤務をしていたのだから、親方の家の近くにオフィスを借りる。若い人はそこへ引っ越してくる。広島などは、オフィスと部屋がくっついたような場所で、ほぼ住み込みのようにして一緒に働いています。
そうやって、親方と弟子が一緒にソフトウェア開発をする。ずっとペアプログラミングをしているようなものです。そうしているうちに、だんだんと仕事の仕方を覚えていく。
これは、非常にアナログで前時代的に見えるかもしれません。けれど、よく考えてみると、ソフトウェア開発とは、本来そういうものではないでしょうか。私たちは誰も、最初から一人きりでプログラミングできるようになったわけではない。私自身も、振り返れば師匠がいました。自分で考えたものを、結果だけ見せて「いい・悪い」と言われるのではない。やっている途中を見せて、「そのやり方は違う、こうするといい」と教えてもらう。なるほど、こうやるのか、と。途中の過程を、見せて、見てもらう。
そして、いいソフトウェア、いい設計、いい振る舞いを見極める力は、一緒に働くことでしか身につかないのではないか。だから私たちは、徒弟制度という形で、一緒に働くことを選びました。実際にもう5年やってきて、最初に入ってくれた弟子たちは、戦力としてしっかり活躍するようになっています。
仕事を、技芸として捉え直す
ここまで話してきたのは、こういうことです。ベテランが自分の作品として仕事をし、自己マスタリーで上達していき、徒弟制度でそれを次の世代に伝えていく。これを一言で表すなら何か。私たちはそれを、技芸(Arts and Crafts)だと考えています。
仕事を、単なる労働だと捉える。時間だから働く、給料のために嫌々働く、生活のためには仕方なく働く。そうやって捉えていると、AI時代に仕事が奪われていくという話のなかで、つまらないものが、さらにつまらなくなっていきます。
そうではない。仕事を技芸として捉え直すことで、より楽しく、より自分のものとして、より自分の人生を豊かにするものとして、考えることができるのではないか。
この「アーツ・アンド・クラフツ」という言葉は、DHHと重なって驚いたのですが、もともと私は、19世紀のウィリアム・モリスが好きで、彼の起こしたアーツ・アンド・クラフツ運動からオマージュして使っていました。技術(エンジニアリング)は再現性を究極まで高めていくもの。一方で芸術(アート)は、再現性ではなく、創造性でやっていくもの。その両方のあいだにあって、結果だけでなく過程を大事にする。それが、仕事を技芸として捉えるということに通じます。
これはソニックガーデンに限った話ではありません。おそらくみなさんの中にも、技芸として大事にしたいという心があるはずです。多くのプログラマが、仕事を技芸とする働き方をできるようになれば、幸せなプログラマがもっと増えるのではないか。そう思っています。
ソフトウェア開発は、コードを書くことだけだったのか
では、過程を大事にするというのは、手打ちコーディングに戻ることなのか。いいえ、そうではありません。コーディングエージェントは、どんどん使えばいい。技術と芸術のあいだなのですから、エンジニアリングの効率化は、どんどん進めていけばいいのです。
その一方で、こう問い直してみたい。ソフトウェア開発とは、コードを書くことだけだったのか。
私たちの仕事は、コードを書くことが目的だったか。そうではなかったはずです。ソフトウェア開発とは、まず、何を作るのかを決めること。お客さまやユーザー、あるいは自分のアイデアをもとに、何を作るかを決める。次に、どう作るのかを設計する。どうすれば最適になるか、どうすれば長く使われるか、どうすれば保守性が高くなるか。そして、作ったものを運用し、改善し、育てていく。ここまでやって、初めてソフトウェア開発でした。
分業、分業、分業と切り刻んでいくと、効率だけが求められて、技芸ではなくなります。「コードを書いていた人はいなくなる」と言われますが、ソフトウェア開発は、全部やればいい。全部をやるとき、AIは味方になります。AIがあることで、生産性が高まり、喜びの時間が増えるのです。
「AI vs 私たち」ではなく「問題 vs AIと私たち」
AIへの向き合い方を、もう少し考えてみます。
コードを書くのはAIがやってしまう。では、自分の仕事はどうなるのか。だったら今度は、「AIに奪われない仕事を探そう」となる。けれど、残念ながら、それももうありません。AIに奪われない安全圏を探しても、見つからない。ほとんどのことは、AIができてしまうからです。
そうではなくて、AIとは一緒にやっていく方がいい。私たちの会社でよく使う言葉に、「問題 vs 私たち」というものがあります。あなた vs 私、ではない。問題に対して、私たちが同じ側に立って向き合う。そこにAIが加わる。これからは、「問題 vs AIと私たち」です。AIを敵にするのではなく、同じ側に置いて、課題に、事業に、社会の問題に向き合っていく。それが、AI時代のソフトウェア開発者に求められる姿勢ではないかと思います。
似たことは、10年以上エンジニアをやってきた人なら、覚えがあるはずです。クラウドが出てきたとき、「インフラの仕事はどうなるんだ」と言われました。けれど、Infrastructure as Code が登場して、プログラマがインフラまで自分で見られるようになった。これは、プログラマにとっての福音でした。AWSのおかげで、自分でインフラまで用意できるようになったのです。
同じことが、AIでも起きているだけです。AIで効率化されても、ソフトウェア開発という仕事がなくなることはない。そのかわり、一人でできる仕事の幅が広がる。昔はパンチカードを打つだけの人がいましたが、いまそんな人はいません。それと同じで、できることの幅が広がり、少ない人数で大きなソフトウェアが作れるようになる。これは、いいことです。より良いソフトウェアが増えていくし、AIとともに、より良いソフトウェアを作れるプログラマが生き残っていく。
ソースコードに、設計の美しさは宿る
今日、私はずっと「プログラマ」と言ってきました。「エンジニア」ではなく、あえて「プログラマ」と言いたい。なぜなら、依然として、ソースコードが重要だからです。
DHHは「Aesthetics is truth.(審美眼こそが真実である)」と言っています。最終的に、ソフトウェアを動かすのは何か。それはソースコードです。GitHubに保存するのも、自然言語の仕様ではなく、ソースコードです。文脈として日本語を残すことはあっても、コンピュータを動かすのはソースコードなのです。
だから、ソースコードを大事にしていかなければいけない。とはいえ、それは手で打たなければいけない、ということではありません。
プロの敷居は、むしろ高くなる
そうした審美眼を持ったプログラマは、これからどうなるのか。
AIによって、プログラミングの裾野は、すごく広がるでしょう。誰でもプログラムを作れる時代が来る。その一方で、プロフェッショナルなプログラマの敷居は、おそらく高くなります。
少し前なら、儲かるからプログラマになる、流行っているからプログラマになる、柔軟に働けるから、リモートワークができるから。そんな理由でプログラマを選ぶ人もいました。これからは、そういう付随する動機で選ぶ人は、減っていくかもしれません。
私はむしろ、それを良かったと思っています。付随する理由でプログラマを選ぶのではなく、ここにいるみなさんも、そして私も、プログラミングが好きだからプログラマを選んでいる。これからの社会は、その動機が、より尊重される場所になっていくのではないか。
いいソフトウェアを、つくる
ソニックガーデンの理念は、ずっと変わらず「いいソフトウェアをつくる(Make Great Software)」です。
時代が変わろうが、道具が変わろうが、いろんなことが起きていきます。社会は変わっていくし、不安になることもある。それでも、私たちは、いいソフトウェアを一生懸命につくりましょう。
私の話は、以上です。ご清聴、ありがとうございました。
質疑応答:弟子は、いつ親方に聞くのか
司会の方から、こんな質問をもらいました。
親方と弟子のチームが、AIとも一緒に働いているとき、弟子が疑問を持ったら、AIに聞くのは簡単です。では、AIにではなく親方に聞くべきときが来た、と弟子はどうやって分かるのでしょうか。
いい質問ですね。実は、AIに聞くか親方に聞くか、を分けてはいません。弟子も親方も、ずっとAIに質問しながら進めていきます。どちらかというと、AIは一緒に作るもの。そのうえで、出来上がったものがいいものかどうかは、親方に見てもらう。そういう関係になっています。
当日の様子や会場の雰囲気は、別の記事に書いています。