エンジニアだけでチームを組むと、作ることがゴールになる
先日の対談で、エンジニアだけでチームを組むと、作ることがゴールになってしまう、という話をした。
チームとは、共通の目的のために協力して行動する集団のこと。目的の達成を目指さないなら、チームではない。人が集まっているかどうかではなく、同じゴールを持っているかどうかで決まる。だから先にゴールを決める。必要な顔ぶれは、そこから決まる。
人数は関係ない。二人でもチームだ。逆に、一緒に働いていても、チームとは限らない。私たちソニックガーデンの親方と弟子は、毎日一緒に仕事をしているが、チームではない。育てる側と、上達する側の関係だ。チームは、形の違うピースの大きさが揃ってはじめて、一枚の絵になる。親方は弟子の上位互換で、弟子にできることは親方にもできる。だから、隣に置いても噛み合わない。
エンジニアだけを集めると、形の同じピースばかりが並ぶ。そこで共有できるゴールは、作ることしかない。つまり納品だ。動くものができたら、そこで終わる。どれだけ結束が強くても、その先へは行けない。AIエージェントがメンバーのように働くいま、同じ力量の人を何人も並べる理由も減っている。
作ることがゴールになるのは、作る人の腕の問題ではなく、構造の問題だ。完成をゴールにすると、その外側にあることは後回しになる。使われ方も、その先の運用も、締切が迫れば真っ先に削られる。引き継いだシステムが扱いにくいのは、たいていそれが理由だ。しかも、それに気づきにくい。そういうチームは、作り終えたときに、ちゃんと達成感を得てしまうからだ。
私たちが「納品のない受託開発」を始めたのは、この構造を変えるためだった。納品をなくせば、完成は区切りにならない。目指すのは、お客様の事業がうまくいくことになる。そうなれば、役割は違うまま、同じゴールを持てる。
このとき、事業を知っているのはお客様で、ソフトウェアを作れるのは私たちだ。形は違うが、大きさは揃っている。提案ができるのも、同じところを目指しているからだ。「一緒に悩んで、いいものつくる」とは、お客様とチームになるということだ。
社員はそれぞれ、お客様とチームを組んでいる。そうなると、私たちの社内でチームを組む場面は、ほとんどなくなる。では、ソニックガーデンという集まりは何なのか。コミュニティだと考えている。ありたい姿はあるが、達成して終わるゴールがないからだ。
ゴールを目指すチームであるならば、ゴール達成のために体制を考えることが王道だろう。コミュニティだったら、誰と一緒にいるかが先にくるけれど。