先日、「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコムの青木社長と対談をさせてもらったのだが、個人的にも非常に楽しい機会だった。

ソニックガーデン倉貫義人×クラシコム青木耕平対談
【前編】激動の時代、社員が自ら変化に対応できる環境を。
【後編】激動の時代、会社の不安定さが社員を安定させる?

これまでリモートワークについてのテーマ設定が多かったので、今回の「これからの安定した会社とは?」というテーマは私にとって新鮮だった。

この対談を通じて、自分はこれまで言われてきたようなマネジメントの常識とは大きく違う考えをしていることが再確認できた。それは、言葉にするならば「逆転のマネジメント」と呼べるものだ。

本稿では、あえて不安定さや弱さをさらけ出すことによって、ひとりひとりが自律的に考えて動けるような組織になる「逆転のマネジメント」について書いた。

管理ゼロで成果はあがる

不安定な会社にいるから、安定した人生になる

「資本が厚いから、人数が多いから、100年続いてる、だからこの会社は大丈夫!なんてことが予測しにくい時代になっていて、だったらリアルな状況をぶっちゃけてくれたほうが予測可能性ができて、安定するのかなあ」(対談より)

一昔前ならば、大きな企業、知名度のある企業に就職することが安泰だと思われていた。大きな企業で働くことは安定しており、安定した職につくことは、社会人にとって大事なことなんだと。

しかし、安定した職につき、その組織に最適化して働いていくほどに、個人の能力も資産も、その企業に依存することになる。そして、大企業とて安泰とは言えない時代になり、その依存が仇になってしまう。

安定できる場所で安定しすぎてしまったが故に起きる悲劇もあるだろう。

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小さな会社にいて安心できないと思えばこそ、何かあったら自分の力こそが頼りだと感じるようになれば、改めて人生や将来のことを考えるようになるし、そのために努力もするようになるだろう。

逆説的な話になるが、不安定な会社にいることで、頼らずに生きる力を望んで努力する人が、どこにでも通用するようになれば、それは結果として安定した人生を得ることができた、とは言えないだろうか。

かといって、過酷な環境であれば良いという訳でもないし、心理的安全のない組織ではパフォーマンスが出ない。私たちの取り組みは、社内の情報を経営の議論や数字まで、あらゆる角度からオープンにしていることが特徴だ。

情報がオープンになって、現状を理解できれば、無闇に不安を煽ることもなく、安心しすぎて思考停止することもなくなるのではないか、と考えている。自分で考えるためには、材料となるだけの情報が必要だからだ。

ちゃんとしてない方が、新しい事業を産む

人が増えて組織が成熟すれば、ルールや制度がしっかりと用意されていく。それは集団を維持するためには仕方のないことだ。会社や組織は、社会の縮図なのだから。

会社は時間をかけて徐々に、その主力事業に最適化されていく。その事業に適した人材を採用し、重用する。そこから外れる人材は組織を去っていくことになるだろう。

そのように既存事業にチューニングされた組織の生産性は高くなるが、新規事業が生まれにくくなってしまう。それが、イノベーションのジレンマに陥る原因だ。

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新規事業に繋がるようなアイデアは、考えようと思って出てくるものではない。何気ない会話の中から見つかるかもしれないし、普段の仕事や生活の中で思いつくかもしれない。

私たちが新しいことを始める時は、だいたいが何かやってみて、そこで得た発見を共有しているうちに、他の人からの視点が入って、今度やってみよう、というアイデアが生まれる。

これは抽象化したプロセスだが、共通するポイントは時間だ。試してみる時間、雑談して共有する時間がないと実現しない。最適化しすぎることの問題は、そうした遊びの時間すなわち「ゆとり」がなくなることだ。

まだ最適化されていない、若くて統制もとれないようなカオスな組織こそ、そうした遊びとエネルギーがある。放っておけば最適化されていく組織に、あえて混乱を持ち込むことも経営者の仕事じゃないかと考えて行動している。

自由にできる方が、規律を守り秩序を保つ

人数が増えてくると、想定した運用から外れたイレギュラーケースも登場する。そうした例外的なケースもすべてルールに盛り込もうとすると、がんじがらめのルールが出来上がる。

例えば、出社する際の服装をどうするか。制服やスーツをやめてカジュアルで良いとなっても、カジュアルの定義もないため、各自が自分で考えた結果、ちょっと非常識だと他人の多くが感じる格好の人が出てくる。そうしたときに、服装の定義をきっちりとしていく対策をとってしまえば、結局は制服と変わらなくなってしまう。

どんなことでも、イレギュラーケースは必ず発生する。そうしたときは、その例外ごとに個別に対応すれば良いのだ。全体ルールにするから息苦しくなってくる。

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先日読んだ、『宇宙兄弟 「完璧なリーダー」は、もういらない。』には、こう書いてあった。

ヒエラルキー型は「愛情と信頼で機能する」のに対し、ネットワーク型は「規律と秩序で機能する」

これは一見すると逆に思える。しかし、フラットな組織を経営している立場になると、非常にしっくりくる。ヒエラルキー組織よりも、構造的に分散されやすいので、フラットでいるためにこそ規律が必要だ。

そして、ルールや制度で縛り上げずに、自由に働けるようにすればするほど、人は秩序ある行動を取ろうとするように思う。私たちはよく「もう大人だから(任せよう・きっと大丈夫)」といったように「大人」という言葉を使っている。

子供のように扱えば子供のように振る舞い、大人として扱えば大人のように振る舞うという「小さなチーム、大きな仕事」に書かれていたことだ。二十歳も過ぎた大人にルールを徹底する方が愚かしい。

独立できる力をつけた方が、会社を辞めない

離職率に悩む経営者も多い。人材不足で採用が難しい時代に、少なからず教育コストをかけて、仕事にも慣れてもらった人が辞めてしまうのは会社にとって大きなダメージとなるからだ。

社外の勉強会に参加することを禁止する企業があるという噂も聞いたことがあるが、そんなことをしてもインターネットでいくらでも情報は手に入れることが出来る。今の環境よりも良い会社など幾らでも見つかるだろう。

それではと、人が辞めてしまう前提で、属人性の排除を徹底しすぎてしまうと、自分でなくても良いんだと思うようになって、これもまた辞める理由になる。一体どうすれば良いというのか。

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私たちはセルフマネジメントが出来る人材で構成された会社だ。そうすると、社員は辞めてしまいませんか?と聞かれることが多いが、今のところ7年経営してきて、一人前のキャリアで辞めた人はいない。

質問してくる皆さんの多くが誤解していることは、社員が独立できるほどの力を付ければ辞めてしまうということだ。その背景には、力がないから会社で雇ってあげているのだという考えが少なからずあるのではないだろうか。そして怖いから、ドアに鍵をかけて、力を付けすげさせず、思考停止させようとするのではないか。

逆なのだ。独立してもやっていける位のスキルがあるから、得意なことでチームに貢献することが出来るし、引け目を感じずに苦手なことを誰かに任せることも出来る。独立できる力があることと、会社を辞めることに関係はない。

社員たちがもっと外の世界を見るようにすれば、本当に良い会社なら社内の良さを再確認するだろう。あえて自分の人生について考える機会や時間を与えたら、より一層に周りとの関係を考えるようになる。会社のことよりも、その本人の人生の方を大事にしてあげることだ。人生を大事にさせれば、おのずと本人は周りを大事にするだろう。

そうすれば、ドアを開けていたって、去っていくことはないし、多少出ていっても帰って来てくれる。そんな会社でありたい。

弱さを見せ合えるから、強みで頑張れる

組織で働く限り、避けて通れないのが評価だ。人はいつでも誰かからの評価を受けている。顧客にせよ上司にせよ、良い評価こそが価値と言わんばかりだ。だから、良い評価を受けるために、あらゆる努力を惜しまない。

良い評価を受けるための活動は、本質的な生産的活動とはかけ離れたものだ。その時間は何も生み出すわけではない。そして、より評価されるためには、自分を自分以上に強くみせなければならない。弱さを見せるなどもっての外だ。

しかし、そうした組織は本当の強さを持つことができるのだろうか。

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私たちの会社では、個人評価をしていない。詳しく制度設計まで書かないが、給与は一律、賞与は山分けが基本だ。だから評価が要らない。短期評価の難しいエンジニアの組織だから、というのもあるだろう。

評価をなくしたことで、互いに弱みを表明することがしやすくなった。弱いところがあっても評価が下がることはなく、得意なところがあれば、それで仲間を助ければ良い。弱みを隠すより、その事実を認めて、より強みを活かすことに頭を使うのだ。それが戦略だ。

そもそも人は弱い。ストイックにいたいと思っても、怠惰な気分に負けてしまう。そうならないためには、気持ちを強く持つという根性論でなく、仕組みで解決するようにする方が現実的だ。

「仕組みで勝って、人で圧勝する」これは、俺のイタリアンの創業者の言葉らしい。まずは勝てる仕組みを作ることが経営だ。

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同じ仕事を一生やり通すだけで済む時代は終わりを告げた。人の寿命は長くなり、仕事の内容も生きているうちに変わるだろう。

変化の激しい時代の中で、いつだって強く正しくあることは難しい。たとえ、組織のリーダーであってもそうだろう。リーダーでさえ、いつだって未熟であり、その代わりに、まだ成長の余地があるんだ。そんな希望は残されている。