「ありたい姿」のまま、続けていく〜コミュニティと株式会社のあいだ

「ありたい姿」のまま、続けていく〜コミュニティと株式会社のあいだ

株式会社という仕組みは、起業するときに何気なく選ぶ「器」のひとつに見えるかもしれません。けれど、15年かけて経営をしてみると、その器の見え方は大きく変わってきました。

ソニックガーデンを立ち上げるとき、株式会社か合同会社か、どちらの形にするかで少しだけ迷ったことを覚えています。社内ベンチャーから引き継いだ企業向けSNSの事業をしていて、法人営業の場面では株式会社のほうが説明しやすい。その程度の理由で、株式会社を選びました。

選んだ「株式会社」という仕組みについて、深く考えていたわけではありません。それから15年、ソニックガーデンの組織は何度も形を変えてきました。同時に、私の会社観も、その都度アップデートされてきました。

安易に選んだはずの「株式会社」という仕組みが、いまの私には、コミュニティを社会と接続するためのプロトコルとして見えるようになっています。これは、15年かけて辿り着いた発見です。

「ありたい姿」は、最初から手に入っていた

私はもともと、大きな上場企業で働いていました。大企業ならではの良さも知っていましたが、同時に、仕方がないとはいえ良いとは思えないところも知っていました。だから、上場企業や大企業への憧れはまったくありませんでした。むしろ、学生時代に働いていたベンチャーの雰囲気や、大学院の研究室のような自由な空気が好きでした。

そんな私が会社を立ち上げたので、規模を大きくすることや、それに伴う売上の拡大、社員の増大には、たいしたモチベーションがありませんでした。一緒に起業した仲間たちと楽しく仕事を続けていきたい、というくらいの「志の低い」起業だったと言えます。だから、創業当初に掲げたビジョンは「プログラマを一生の仕事にする」という、内向きのものでした。

幸い、売上が立って軌道に乗り始めた社内ベンチャーを買い取る形で起業したこともあって、2011年の創業初年度から黒字でした。社内ベンチャー時代は苦労しましたが、会社になってからは、自分たちの報酬額を自分たちで決められます。会社員のころから少しは下げたものの、慎ましく暮らせば十分に利益も残せました。

経営の素人ばかりだったので、当然それなりに苦労もしました。それでも、大企業のしがらみや周囲のやっかみがなく、ひたすら前向きに頑張ることはできました。報酬は大きくはありませんでしたが、それだけで十分に幸せだったのかもしれません。

つまり、起業した時点で、すでに満足できる状態だったとも言えます。なりたい姿があって、そこに向かってギャップを埋めていく、というタイプの起業ではありませんでした。「ありたい姿」はあったのですが、それは創業時から手に入っていたのです。

今から振り返ると、これはアジャイル的な経営スタイルだったのだと思います。多くのスタートアップは、為したいことや上場などのゴールを設定して、そこへ向けてギャップを埋めるように頑張ります。

しかし私たちは、起業したときから今ある状態をベストと捉え、そこから一つひとつ積み上げてきました。時には方向を変え、積み上げてきたからこそ新しい挑戦もできた。どうなるか予想できなかったからこそ、予想もつかない今に辿り着いたのだと思います。

ビジョンと「納品のない受託開発」

創業時、私たちは5人でした。最初のビジョン「プログラマを一生の仕事にする」は、どうやって決めたのでしょうか。

社内ベンチャーの頃は、ビジョンなど考えたことがありませんでした。新規事業を立ち上げるのに必死だったからです。大企業の屋根を外れて、自分たちの会社になったとき、なにか拠り所が必要だと感じました。たまたま読んだ『ビジョナリー・カンパニー2』にあった、同じバスに乗る人たちの顔ぶれを見て行き先を決める、という考え方を信じることにしました。私たちは全員がプログラマでした。私自身の原点を思い返して、このビジョンに決めました。

同時に、社内ベンチャーで続けていた企業向けSNS事業だけでは、このビジョンは実現しないと考えました。私たちが本当にやっていきたいのはソフトウェア開発でした。だから、改めて受託開発の世界に戻ることにしました。とはいえ、従来の受託開発には多くの問題があります。だから、ビジネスモデルから変えることに挑戦しました。それで生み出されたのが「納品のない受託開発」というサービスです。

採用に時間をかけるという発見

受託開発である限り、お客さまが増えるほどプログラマも必要になります。しかも「納品のない受託開発」は顧問型で、契約が継続するので、たくさんのお客さまには対応できません。そのため、新しい人を採用しようということになりました。

ここで、苦い失敗がありました。人材紹介の会社経由で、フリーランスの方に入ってもらったのです。凄い経歴のベテランの方、という触れ込みでした。しかし、いざ一緒に働き始めると、私たちのカルチャーとはまったく合いませんでした。プログラミングは多少できましたが、レビューをしてくれない、こちらのレビューを受け入れてくれない。その経験を境に、人材紹介経由のフリーランス採用はやめました。

代わりに取り組んだのは、自分たちの考え方を発信することでした。コーポレートサイトを作り込み、自分たちの理想や開発手法について書きました。創業当初だったので、私が一言一句すべて書きました。同時に、私のブログ「Social Change!」で考えをしっかりと伝え始めました。そのブログは、15年たった今も続いています。

そうしていると、ぽつりぽつりと応募がくるようになりました。私たちはカルチャーこそが重要だと考えて、フィットするかどうかを見極めるために時間をかけるようになりました。転職の相談を受けてから、半年以上の期間をかけて決断する。その時間をかけるスタイルは、今も続いています。

当時はまだ自分たち創業メンバーを入れても一桁の人数だったので、報酬の差はもちろん、役割や権限も含めて役員と社員の違いはほとんどありませんでした。一緒に会社のことを考え、一緒に働いていました。

これも今に続くカルチャーです。リモートワークも、この頃から始まりました。

カルチャーを守り、「ありたい姿」でい続けることを優先していた私たちにとって、採用は事業拡大の手段ではありませんでした。目の前で困っているお客さまを助けるために必要な仲間であり、仕事という楽しみを一緒に過ごせる友人でもある、そんな人を増やす手段です。だから「人ありきで案件を準備する。案件のための採用はしない」というピープルファーストの姿勢を貫いてきました。

「ギルド」という挑戦の断念

それでも、採用を慎重にしていると、増えていくお客さまにすべて応えきれません。お待ちいただくか、お断りするしかない場面に経営者である私は苦慮していました。とはいえ、採用のハードルを下げることはしたくなかった。

そこで取り組んだのが「ギルド」でした。フランチャイズに近い形で、「納品のない受託開発」を他社にもできるようにし、お客さまを紹介していくモデルです。ソニックガーデン自体を大きくする必要はない、お客さまを救えればいい、という発想でした。

しかし、これは失敗しました。理由は、開発手法の難易度と、それを実現するための教育コストの高さです。

「納品のない受託開発」で提供しているのは、一人で顧客との対話から実装、運用までを一気通貫でこなす幅広さと、ヒアリング能力や保守性の高いコードといった高度な技術です。即戦力のベテランでさえ、入社前から準備し、入社後も1年以上かけて、ようやく独り立ちできるのが現実でした。ギルドに加入したからといって、すぐにできるものではありませんでした。

教育するとなれば、相当な期間と労力が必要になります。加入したい側にとっても、私たちにとっても、手っ取り早い手段ではありませんでした。

それなら結局、社員として採用しているのと変わらない。事実、ギルドとしてフリーランスで契約していた人のなかから、社員として加わってくれた人たちもいます。そうしたこともあって、ギルドという形は諦めました。

オフィスを手放してわかったこと

20名ほどの組織になっていく頃、地方在住で在宅勤務をする社員が増えてきました。その流れもあって、2016年にはオフィスを撤廃しました。物理オフィスを持たない会社、全社員リモートワークを始めたのもこの頃です。バーチャルオフィスを使った仮想出勤というスタイルでした。上司・部下の関係を持たないホラクラシー的な組織として、注目もされました。

オフィスをなくしてみて、改めて「会社とは何か」を考えるようになりました。会社とは、ビルやオフィスのことではない。学校と校舎の違いと同じで、オフィスは器にすぎません。理念とビジネスモデルがあって、そこに集まる人たちがいれば、会社と呼べる。そう気づいたのは、オフィスを手放してからのことでした。

しかし、器を持たないからこそ、内側を支える仕組みがなお重要になります。30名近くになるまで、社員の自主性のみに頼った経営を続けてきましたが、それだけでは会社としての運営に綻びが生まれてしまう。その大きな出来事が、2017年に起こしたセキュリティ事故でした。結果として未遂で終わりましたが、改めて会社としての経営をしっかり整え直す機会となりました。

自由でフラットなカルチャーは維持しつつ、抜け漏れなくお客さまに安心していただくこと、社員も働く上で安心できること。リモートワークやホラクラシー的な仕組みの土台には、しっかりしたセルフマネジメントと会社経営が必要なのです。ビジョンの共有だけでなく、ガバナンスにも力を入れるようになりました。

「株式会社」というOSの自由度

そこから、労務や財務、さまざまな面での法令遵守はもちろん、セキュリティ診断や個人情報保護の認証取得など、外部審査も活用しながら、内部統制のとれた会社にしてきました。

その過程で考えたのは、株式会社という仕組みが、資本主義に則った形ではあるけれど、その「OS」の上では相当に自由度が大きいということでした。守るべきものはありますが、社内の制度や倫理については、経営者にかなり任されています。

しかも、株主と経営者が一体となっていれば、なおのことです。資本を創業者かつ経営者である私が握っている、ということの重要性に、ここで初めて気づきました。

楽しい仲間たちと、素晴らしいお客さまと、「遊ぶように働く」状態で長く続けていける。それが望む理想だとしたら、その「ありたい姿」は既に手に入っています。あとは、それを続けていけるかどうかです。

若い世代を迎え入れる

そうした思いがあって、創業10年を機に、若い人たちを徒弟制度で迎え入れることにしました。若い人たちにソニックガーデンのカルチャーや理念を継いでいってほしい。それに、若い人がいるだけで会社には活気が溢れます。ベテラン社員にとっては、後進を育てるという新しい挑戦の場にもなる。今は60名ほどの会社になりました。

この先も大きくなるかどうかは、わかりません。以前「のれん分け」のような仕組みも考えたことがありましたが、会社という仕組みの柔軟さと、それを新しく作ることの大変さを比べると、何も再発明する必要はないのではないか、と考えるようになりました。子会社のような形はあり得るかもしれない、とは思っていますが、それも今は決めていません。

改めて思うのは、会社の規模は社長が決めるものではない、ということです。創業当時、私は少数精鋭で大きくしたくないとさえ思っていました。一方で、大きくしたいと思っても大きくできない会社もあるでしょう。会社の規模は、社会が決めるものなのではないでしょうか。社会に求められれば、自然と大きくなっていくのだと思います。

コミュニティと株式会社のあいだ

ソニックガーデンは、同じビジョンに向かって進む仲間たちのコミュニティとしての組織でありつつ、資本市場でビジネスを成立させ、経済を循環させていく株式会社でもあります。

私にとって、どちらかではいけませんでした。両方を成立させることが大事だったと、今なら思えます。理想を掲げているだけで、現実社会に影響を及ぼせないようでは、希望がありません。一方で、めちゃくちゃ稼ぐことができても、それが「ありたい姿」とかけ離れていては、幸せとは言えない。両方が大事なのです。

株式会社という仕組みは、コミュニティである私たちが、社会と接続するために必要なプロトコルでした。コミュニティであり続けられるように、会社の仕組みを整えていくこと。それが経営の一つの仕事です。逆に、コミュニティを守ることができるなら、その仕組みは、いかようにでも変えていけるでしょう。

創業時には考えもしませんでしたが、上場やバイアウトといった選択肢も、まったく排除はしていません。ただし、それは経済的な出口戦略としてではなく、ここまで作ってきた会社のあり方を引き継いでいくための手段として、です。コミュニティを守れる選択であれば、形は問いません。

こうした新しい会社の形が、これから「ありたい姿」で起業しようとする人たちにとっての一つの希望になっていくと嬉しい。

倉貫 義人
倉貫 義人
ソニックガーデン 創業者
クラシコム 取締役CTO

「納品のない受託開発」の実践者。著書多数。心はプログラマ、仕事は経営者。

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