本気でAIを使うと、まったく楽にならない
今週来週で講演や登壇が続く。そのうち2つは新ネタで話すことになり、資料作りに追われている。かなり追い込まれているが、AIのおかげで、資料だけはなんとか進んでいる。
AIを使うと、脳が拡張された感覚があって、品質もスピードも確かに上がる。しかし、まったく楽にはなっていない。
講演資料は、自分が壇上に立って発表するものだ。納得のいっていない内容のまま話すのは嫌だ。だから、納得がいくまでAIにフィードバックを続けることになる。
ふと気になって、AIとのやり取りのログを数えてみた。いま作っている3本の講演資料に対して、私が出したフィードバックは、合わせて300回を超えていた。
中身を見返すと、タイトル案に「うーん、違うなぁ」「迷子に入ってきたな」と言い続けていたり、3周回って「今のままでも良い気はしてきた」と戻ってきたりしている。スライドの1枚に「気持ち悪い」と言って、なぜ気持ち悪いのかを自分で言語化してもいた。このスライドが気持ち悪いのは、私の大事なスタンスと違っているからだ、と。何が違和感で、何を大事にしたいのか。それを言葉にするのは、いつも自分の側だった。
結果として、出来上がった資料は、自分で作ったのと同じようなものになっている。これは自分の作品だと言えるし、だから納得して壇上に立てる。手は動かしていないが、考えることは何ひとつ減っていない。むしろAIが賢くなった分、こちらの考えの浅さがすぐに露呈する。手は楽になっているが、頭は楽になっていない。
AIを使った作品は賞に応募できない、という話を聞く。「AIを使っていません」という表明が、作品の価値になることもあるようだ。AIを使うことを良しとしない風潮は、楽して成果をあげることへの忌避感から来ているのではないか。使ったら、ずるだというわけだ。
AIに丸投げしたら、そりゃダメだろう、とは思う。考えの浅いまま任せれば、浅いものが出来上がるだけだ。しかし、本気でAIを使ってみれば、決して楽ではないことがわかる。良いものを作ろうとすれば、結局は本人の力が要る。逆に、AIを駆使した上で、自分の思考を乗せることも、自分らしい表現にすることもできる。AIを使ったからといって、クリエイティビティが本人のものでなくなるわけではない。
いずれ全員がAIを前提とするようになれば、結局はその土俵での差が出てくる。それなら、どんどんAIを使いこなすことに取り組んだ方がいい。