仕事がつまらなくなる4つの理由〜「結果しか見ない」という、ひとつの構造
仕事は楽しいだろうか。やっていて夢中になれているだろうか。そう問われて、迷わずに「はい」と答えられる人は、そう多くありません。仕事は賃金を得るための苦役だと思っている人もいれば、週末を心待ちにしながら平日を耐えている人もいます。
それなりの結果は出している。それなりの評価も得ている。なのに、面白くない。この感覚は、どこから来るのか。
この記事では、仕事をつまらなくしている四つの原因と、その四つが同じひとつの構造から出ていることについて書きました。
自分が担当するのは、全体のごく一部でしかない
私のいるソフトウェア開発の世界なら、企画する人、設計する人、作る人、テストする人、運用する人。仕事は工程ごとに分かれていて、自分が受け持つのはそのうちの一つです。渡された仕様のとおりに作って、次の工程へ渡す。誰が使うのか、使われてどうだったのかは、最後まで知らないままです。
自分の手から「作品」が生まれている感覚は薄れ、残るのは、ただの「作業」になります。これが、仕事をつまらなくしている原因の一つ目、「分業」です。
数字に出ない仕事は、評価されない
お客さまがどれだけ喜んだか、同僚との信頼がどれだけ深まったか。仕事の中身は、たいてい数字になりません。数字に出るものだけが評価され、出ないものは評価から落ちていきます。数字で測れるものだけを見ていると、測れないものを見る力が衰えていきます。
私も会社員のころ、技術力には自信がありましたが、どの案件に就くかで評価は変わりました。自分の力の及ばないところで決まっていくことに、ずっと憤っていたのを覚えています。二つ目は、「評価の単純化」です。
今期の数字に効かないことは、良い案でも通らない
四半期決算、来期の予算、目先のキャンペーン成果。仕事の期限は、そういう単位で区切られています。いま手をかけておけば後で効く、という話は、たいてい後回しになります。じっくりやりたいと言えば、落ち着いてからにしよう、と返される。その落ち着く時期は、なかなか来ません。
腕を上げるにも、信頼を積み上げるにも時間がかかりますが、その時間は予定に入っていません。来期には、担当も変わっているかもしれない。三つ目は、「短期主義」です。
「あの人だから」は、属人化と呼ばれて消される
誰がやっても同じ結果になるように、仕事は均質化されていきます。手順は決まっていて、そのとおりにやることが求められる。うまくいかなかったときに問われるのは、工夫したかどうかではなく、手順どおりにやったかどうかです。
自分なりのやり方は「属人化」と呼ばれて、消される方向で「改善」されます。誰が抜けても回るように、という理由は、それ自体もっともです。ただ、その先にあるのは、自分でなくてもいい仕事です。四つ目は、「標準化」です。
仕事の手応えは、誰も見ていない過程に残る
分業、評価の単純化、短期主義、標準化。この四つを見比べると、共通するものがあります。どれも、やっている最中のことが、誰にも見られていない。何ができたかは記録されるのに、どう作ったかは誰も見ていない。
自分が面白かったと思う仕事を思い返すと、覚えているのは結果ではありません。うまくいかずに考え込んだ時間や、やり方を変えたら通った瞬間や、一緒にやった人の顔です。仕事の手応えは、結果よりも過程に残ります。
その過程が、仕事から消えていった。過程を見なくなった世界では、仕事から喜びが失われていきます。これが、つまらなさの正体ではないかと考えています。
別々に見えて、出どころは「結果しか見ない」ひとつだ
では、なぜ過程が削られるのか。結果の側から眺めると、過程は、無駄で、測れなくて、遅くて、ばらつくものに見えるからです。
四つとも、それ自体は真っ当な打ち手です。生産性は上がるし、評価は分かりやすくなるし、お金は早く回るし、品質は揃う。結果だけを見るのであれば、どれも正しい。過程が削れるのは、そのついでに起きていることです。
どれが強く出るかは、職場によって違うはずです。ただ、もとが同じなので、どれか一つを直しても、別のかたちで現れます。分業をやめて一人で全部を担えるようにしても、評価が結果だけを見ているなら、過程は戻ってきません。
なぜ、こうなったのか。たどっていくと、資本主義の論理が行き過ぎたところに行き着きます。技術が進歩して生産性が上がっても、労働時間が減るのではなく、生産する量が増えていく。その経緯は長くなるので、新刊に書きました。
仕事のつまらなさは、意欲の問題ではない
ここまで並べてきたことは、どれも、働く個人の外側で決まっています。分業の設計も、評価の指標も、決算の期間も、標準化の方針も、自分の裁量で変えられるものではありません。
それなのに、仕事がつまらないという話になると、たいてい個人に返ってきます。やりがいを見つけよう、当事者意識を持とう、と。
順番が逆ではないか。意欲が足りないから過程を楽しめないのではなく、過程が見られなくなった場所で働いているから、意欲の持っていきどころがない。
過程に手応えがないのであれば、働く側も、結果だけを効率よく取りにいこうとします。コスパやタイパで仕事を測るようになるのは、その裏返しです。会社が結果しか見ないのだから、こちらも結果だけを最短で出す。同じことをしているだけです。
構造の問題を個人の心構えとして扱うと、うまくいかなかったときに、自分を責めることになってしまいます。
仕事を、労働ではなく技芸として捉え直す
構造の問題であれば、自分の側で変えられるのは、仕事への向き合い方です。結果だけに振り回されず、その奥にある「誰のために何を作っているのか」という問いを手放さない。仕事を、こなす「労働」ではなく、自分の技芸として捉え直す。
この考えを一冊にまとめたのが『自分と社会をいい感じにする 仕事技芸論』(ミシマ社)です。ここまで書いてきた「なぜ仕事はつまらなくなるのか」は、その第5章にあたります。
そして「ではどうするのか」の答えは、手前の第1章から第4章に置いてあります。なぜ技芸なのか、技芸とは何か、どう磨くのか、どんな場でなら磨けるのか。
目次や推薦のコメント、もとになったブログの連載は、特設ページにまとめました。
発売日は、2026年9月18日です。