マネージャの責任は、自分でやることではない

マネージャになった人たちを見ていると、うまくやれている人と、そうでない人がいる。その差は、能力の高さだけではなさそうだ。うまくいっていない人ほど、全部を自分で背負おうとしている。

私たちの会社では、マネージャの仕事を人を活かす「上司」と、人を育てる「親方」に分けて考えてきた。ここで書くのは、人を活かす側の話だ。

うまい人は、上司の使い方が違う。

自分で決めてから承認をもらいに行くのではなく、決める前に相談に行く。一緒に悩んでもらう。上司は、承認した人ではなく、一緒に決めた人になる。

これは、上司を「共犯」にするということだ。責任を押しつけるという意味ではない。決めたあとに持ち込めば、ただの報告になる。決める前に持ち込むから、共犯になる。

上に立つ側から見ても、相談されるのは嫌なことではない。決まったあとに報告だけ上がってくるほうが、よほど遠い。

メンバーに対しては、仕事ではなく、役割を与える。

作業を割り当てられた人は、その作業をやるだけになる。役割を任された人は、自分で考えはじめる。

人は、使命があると元気になる。ここはあなたに任せた、と言われた途端に顔つきが変わる。

13年前にも、少しハードルの高い仕事を任せて、期待を伝えると書いていた。任せること自体が、人を動かす。

では、何を任せるのか。

やりたいことを任せたほうが、元気は出そうに思える。だが、やりたい気持ちだけで任せると、できないまま時間が過ぎていく。周りも待たされる。

できることを任せると、頼られる。役に立って、感謝される。元気は、そこから出てくる。やりたいことは、たいていそのあとに出てくる。

やりたいことは、本人が持ってくるものだ。持ってきた人には、役割ではなく領域そのものを任せればいい。それはもう、リーダーの話になる。

そして、責任のこと。

マネージャになると、責任という言葉が重くなる。自分がやらなければ、と思う。

だが、責任を果たすというのは、与えられた使命を、なんとかすることだ。マネジメントとは、そういうことだ。価値観や倫理観に反しない限り、手段は問われない。

だとすれば、自分でやるかどうかは、手段の一つでしかない。人に頼る、やってもらう、感謝する。それも、なんとかするための手段だ。

上司を共犯にするのも、メンバーに役割を渡すのも、同じことだ。上にも下にも頼っている。

ひとりで背負わないほうが、結果として責任を果たせているのではないだろうか。

倉貫 義人
倉貫 義人
ソニックガーデン 創業者
クラシコム 取締役CTO

「納品のない受託開発」の実践者。著書多数。心はプログラマ、仕事は経営者。

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