第1章 変わりたいですか ── 思考を他人に委ねる癖

思考を委ねる癖

男がまた話しかけてきた。どうせ落ち込むなら、一人きりで落ち込みたいと思い、僕は席を立とうする。

「……聞かせてくれませんか? ため息の理由を」

その言葉を聞き、僕は数センチだけ腰を浮かしたままで止まった。頭では一人になりたいと考えながらも、なぜか心の中ではこの男に話をしたほうがいいような気がしたのだ。理由はわからなかった。どうしよう。でも、こんな見ず知らずの男にFVSの話をしたって、そもそも信じてくれないだろう。というかFVSすら知らないだろうし、いちいち説明するのも面倒だ。

「あれ、そのスマホの画面。今話題のFVSですか? そうですか。もう、リリースされたんですね」

知っていた。その口ぶりからすると、詳しそうな雰囲気も出している。

「腰を痛めますよ。そんな体勢のままだと」

ちょうど、足がプルプルしはじめていた時だった。僕は、どしっとお尻をベンチに戻す。

「当たったんです、抽選に。FVSを一年間無料で使える」

「へぇ。おめでとうございます」

「当たったのはいいんですが……」

「どうしたんですか?」

「あまり、見たくない未来を見てしまって」

「ああ、それでため息を。どんな未来だったんですか?」

「十年後に、冴えないおじさんになった僕が、リストラを言いわたされる。そんな未来です」

「それは、とんでもない未来ですね」

「どうして、そんな未来になるのか。座り込んで考えていました」

「よかったですね」

ええ? なんで「よかったですね」なんだ? 最悪な未来を見て、気分が落ち込んでいる人にいう言葉? やっぱり変人だ、この人は。さっさと帰ろう。

「嫌な未来なら、変えればいい」

「え?」

「変えればいいんです」

「あ、ああ……」

確かに言われてみればそうだった。

「でも、どうやって?」

僕は無駄だと思いながら、質問を続ける。

「さぁ。ただこれだけは言えます。周りを変えるより、自分が変わるほうが簡単です」

「自分が?」

「そうです」

「自分を変えるなんて、どうすればいいんですか?」半ばやけっぱちに質問を投げかける。

「あなた次第ですよ」

「こ、答えになってませんよ。自分が変わるには、なにが必要なんですか?」

男は黙ったまま首をかしげた。なんだ、それっぽいこと言っておいて、なにも知らないんじゃないか。

「どうすればいいか、本当は知らないんでしょ?」

「そんなにむやみに質問されても、なにも出てこないですよ。私はロボットではありません」

今日二回目だ、その言葉は。密かに動揺する僕には目もくれず、男は空を見上げながらつぶやく。

「……それで?」

「え?」

「さっき考え込んでいたと言っていました。なにか、いい考えが浮かびましたか?」

「いえ、特には」

「考え込んでいたんじゃなくて、悩んでいたのかもしれないですね。考えると悩むは違いますから」

「そ、そうですか」

「さっきも、私の質問にろくに考えもせずに答えましたよね? わかりません、と」

「そうですね。でも、それは……」

「まぁ見ず知らずの男の質問なんか、考えたって仕方がないと思うのも、わかります。ただ、そういう頭の使い方ばかりしていると、癖になってしまいますよ。もしかしたら、もう癖がついているかもしれませんね」

「癖?」

「思考を他人に委ねる癖です」

その言葉を聞いて、僕はドキッとした。今日の昼休みにテレビから聞こえてきた「ロボットのようなビジネスパーソン」という言葉、十年後の僕が上司に言われていた「従順だけど、仕事の質が低い」という言葉、そして内田が言う「ロボ健」というあだ名……。最悪な未来になる理由が、ロボットのように思考を他人に委ねて働く今の僕にあったとしたら……。

「思い当たる節はあります」

「よかった。課題が見つかったということは、目的が見つかったのと同じことです。目的が見つかって初めて、人は考えることができます。目的がなければ、それはただ悩んでいるだけです」

「今の僕の目的は、思考を他人に委ねている自分を変えること……」

「それで?」

「それでって……」

「思考を委ねる自分を変えて、どうしたいんですか?」

「自分の頭で考えて、なんというか……いい感じに仕事をしたいというか……」

「あははは。すばらしい」

男は僕のなんてことない一言で、子どものようなくしゃくしゃの笑顔になる。そんなに大げさな反応をするほどのこと、言ったかな? しばらく笑顔のままでいた男だったが、またすっと無愛想な表情に戻った。

「さて、帰ります」

「あ、は、はぁ……」

なんだ、もう終わりか。まぁ、一人でくよくよしているよりは、まだマシだったか。男はすっと立ち上がると、「明日もクロワッサンかな」と僕にも聞こえるぐらいの独り言をつぶやき、足を前に踏み出した。一瞬で僕の目の前を通り過ぎた男は、驚異的な歩く速度で公園を出ると、暗闇の中に消えていった。

私はロボットではありません
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