第2章 タスクばらし ── 仕事と作業の違い

それで?

パリッ。

「う、うまいですね……」

僕は男の横に座り、クロワッサンを食べていた。男の言う通り、確かにこれまで食べたどれよりも、おいしいクロワッサンだった。

「しかし、ベストではありません。あなたが食べはじめたのは、三分過ぎていましたから。それでも十分おいしいですけどね」

「あ、あの、ありがとうございます」

「たまたま残り二個でしたから。妻の分もと思って買ったのですが」

「え、そんな、奥様の分を」

「そういえば、妻はパンに全く興味がなかったと気づいたんです」

「あ、ああ……そうなんですね……」

その後、しばらく沈黙が続く。思い切って、僕は男に話しかけた。

「あの、お名前を教えていただいてもいいですか?」

「名前ですか? そうですね。リッキーと呼んでください」え? リッキー? なんだそれ。

「リ、リッキーさん……本名ですか?」

「本名といえば本名ですし、あだ名といえばあだ名です。あと、さん、はいりません。リッキーで大丈夫です」

「クロワッサン、ありがとうございます、リッキー」

年上を呼び捨てにするのは気が引けたけど、とりあえず試しに呼んでみる。なんだか、こっ恥ずかしい。

「あなたのは?」

「え?」

「あなたの、名前」

「ああ、西原健太です」

「西原健太さん。いい名前です」

「どうも……。あの、また見ちゃいました。最悪な未来を」

「ああ。よかったですね」

「今度は十年後ではなくて、四週間後。もう、すぐです」

「変えればいいんです」

昨日と同じような会話を繰り返す。

「どう変えればいいか、わからないんです」

なぜこの男……いや、リッキーにそんなことを話しているのかわからなかった。でもリッキーの不思議と品のある佇まいが、僕の心の壁を少しだけ低くしていた。

リッキーはこちらを向いて、口をへの字にして首をかしげた。

「また、思考を委ねるのですか」

「ああ、いや。でも、本当にわからないんです。どうすればいいか」

「どうしたいと言っていましたっけ? 昨日」

「え?」

「昨日の最後」

「ええっと……自分の頭で考えて、いい感じに仕事をしたい。そんなことを言った気がします」

リッキーは僕の言葉を聞くと、微笑みを浮かべる。胸の前でパチンと手を叩くと、左手をこちらに差し出し「どんな、未来の動画を見たか、聞いていいですか?」と尋ねてきた。僕は説明する気力もなかったので、リッキーに動画を見せることにする。

「よかったら、見てください。そのほうが早いと思うので」

「いいのですか」

「クロワッサンのお返しです。って、お返しになんてならないですけどね」

僕は昼に見た動画をリッキーに見せる。リッキーは眉間にシワを寄せながら、動画をじっくりと見ている。動画が終わったのか、なにも言わずにスマホを僕に差し出してきた。

「それで?」

で、出た。それで……。

「えっと……」

「どう思ったんですか? その動画を見て」

「いや、自分ってこんなに仕事ができないのかとか、やる気ないのか……って」

「それで?」

「いや、それだけです。そこからは、なにをどうすればいいか……」

男はこちらを向くと、口をへの字に曲げて首をかしげる。

「委ねないでください」

「え?」

「思考を」

「あ、ああ……」

そうだ。僕はすっかり思考を他人に委ねる癖がついてしまっているようだ。

「えっと……そう、この動画の僕は、やったこともない仕事なのに、できると言って引き受けてしまっています。それで結果的にできずに……。あと、やらなくてもいいことをやっちゃってますね。無駄に時間をかけている」

リッキーは無愛想な顔で前を向いたままうなずくと、「それで?」と問いかけてくる。

「うーん……」

僕は頭を抱え、黙り込んでしまった。思考はしているつもりだけど、なにも考えが出てこない。

「昨日、私が言ったこと、覚えてますか?」

「昨日……ですか……。えっと、確か二分四十三秒がちょうど……」

「それは関係ないことです。よく覚えてますね、そんな細かい数字」

「ああ、いや、昔から記憶力はいいほうで……。えっと、それでないとしたら……」

「昨日、私が言ったのは、考えると悩むの違いです」

ああ、確かにそんなような話をしていたな。なんなんだっけ……。目的がわかると、考えることができるとか言ってたっけ。

「この動画の西原さんは、どうも仕事の目的を理解していないように思いますが、どうでしょう」

「ああ、言われてみれば、確かに。いや、でも、メッセージアプリの公式アカウントの分析という明確な仕事の目的があります」

「なんのために、その仕事をするのでしょうか」

「……メッセージアプリのキャンペーンのためです」

「キャンペーンをどうするんですか?」

「キャンペーンを……成功させる」

「成功というのは?」

「うーん、Hoursの認知度が上がること……」

「それによって?」

「Hoursを一人でも多くの人に味わってほしい、でしょうか。本当によくできた炭酸水なんですよ。なにが違うんだって思うかもしれませんが、動画で言ってたように、これで作るハイボールは他とは全然違います。飲み比べればわかります」

「ぜひ、一度味わってみたいです」

「えっと、そうか、Hoursを一人でも多くの人に知ってもらって、素敵な時間を過ごしてほしい。それが目的でしょうか。そのために、認知度を上げる必要がある」

リッキーの表情が少しだけ緩んだ気がした。僕の気持ちも不思議と少しずつ前向きになっているように感じた。ここ最近、味わったことのない感情だった。「続けてください」とリッキーが促す。

「認知度を上げるために、メッセージアプリの分析をする……。なんのための分析かといえば、現状の認知度を知るためってことですかね」

「なるほど。そのために、なにをすればいいですか?」

「Hours公式アカウントをどの程度の人数が登録しているのか、配信しているコンテンツをどれくらい見ているか……とか。あとは、それをそれぞれの年齢でわけて分析してみたり……」

「へぇ、そういうことができるんですね」

「できます。僕はまだ触ったことないですけど、最近のメッセージアプリはマーケティングツールとしても活用できますので。分析機能は一通り揃っているんです」

「便利な世の中です」

「そうだ、どの時間帯に配信したメッセージがよく見られているかも、知っておいたほうがいいな。そういうのも年齢によって、結構ばらつきがあるもんなんです。お昼の時間は休憩している人が多いので、閲覧数が多かったりするんですよ。面白いですよね」

「ずいぶん楽しそうですね。昨日と大違いです」

リッキーがニコリと笑いながら、つぶやく。僕は仕事について熱心に話す自分に気づいて、ハッと驚く。えっと、本題はなんだっけ……。

「なんで、今みたいに楽しく仕事できていなかったのでしょう。未来の西原さんは」

「うーん……」

「この動画と、今の西原さんの違いは?」

「えっと……目的があるか、ないか、ですね」

リッキーがパチンと手を叩き、微笑む。

「発見しましたね」

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