お決まりの公園で
大通り沿いの歩道のど真ん中で、倒れるわけにもいかないと、なんとか足に力を入れて踏ん張る。右側を自転車に乗った女性が通り過ぎたが、僕には一瞥もくれなかった。
ふぅーっと深呼吸をする。いや、待て。一回落ち着こう。今、この最悪な未来と思われる動画が、僕に送られてきたということには何か意味があるはずだ。
そう、五年前だって、最悪な未来の動画を見たことがきっかけとなって、僕は大きく成長することができた。
「嫌な未来なら、変えればいい」
五年前に聞いた、あの不思議な男の声が、頭の中で響いた。
そうだ。そうだよね、リッキー。
落ち込んでいる場合じゃない。僕は、五年前のような憂鬱を抱える若手社員ではなく、チームをまとめるマネージャーなんだ。
よしっと小さくつぶやきながら、落ちた鞄を拾う。パッと左を向くと、ちょうど公園の真ん前だった。そう、あの不思議な男、リッキーと初めて出会い、そして何度も対話を重ねながら、僕が大きく成長していった公園だ。これも、何かの縁だろう。
僕はスマホを左手に持ったまま、公園に入ると、かすかな光に照らされたベンチの端に座った。そして、ワイヤレスイヤホンを鞄から取り出し、耳につける。よし、準備はできた。
もう一度、FVSの画面を見ると、先ほどと変わらず【チームの崩壊……】という目を背けたくなるタイトルが映っている。サムネイルには、泣きそうな顔をして、頭を抱えている僕。
動画の概要欄を見ると、「マネージャーとなったあなたの未来の一つです」とだけ書かれている。
とにかく、見よう。どうすればいいかは、見てから考えよう。何よりも、経験から学ぶこと。そう、リッキーは言ってたよね。最悪な未来だったとしても、どこが駄目なのかをこの動画から学べばいい。僕は、不安を振り払うように、再生ボタンを力強くタップした。
「マーケティング部から出てきた新商品の企画ですが、申し訳ありませんが話になりません」
マーケティング部の管理職会議。マーケティング部や営業部を束ねるトップ、森沢本部長が眉間にシワを寄せ、健太の顔を凝視する。
「西原さんたち若いチームには期待していたのですが。たった一つの提案で、その肝心の内容は名前だけは奇抜で、味はありきたりな紅茶……。まぁ、他のチームの企画も似たりよったりでしたが」
マーケティング部の部長を務め、健太の直属の上司である浜村部長が肩を落とし、眉毛を八の字にしながらしょぼくれる。その横で、健太はヘビににらまれたカエルのようにじっとしていた。
「まぁ、経営層向けには私のほうで少し手を加えて提案しておきますよ。挑戦してますよアピールには十分でしょう。ふふっ」
健康的に日焼けした森沢本部長の口から、真っ白い歯がわずかに覗く。森沢本部長のいやみたらしい笑い声に、同じようにいやみたらしい笑い声でその場にいる何人かが呼応する。
「あんまり面倒な新商品に手を出しても、コストはかかるし、リスクも高い。君たちには、これまで通り、定番商品をしっかり売ってもらえばいいので」
――場面が変わり、マーケティング部第四グループのデスク。
神妙な面持ちの古田が、封筒を手に仕事をしている健太に近づいていく。赤井と加藤は席にいない。
「すいません……これ……」
「え? な、何?」
「これ……」
古田がグッと健太の顔の近くに封筒を差し出す。健太が封筒を手に取る。表面には、「退職届」と筆ペンできれいに書かれていた。
「え?」
「そ、そういうことです……」
はいはい、ストップストップ。いやいや、ちょっと待って。企画がうまいこと出せないのはまだいいとして。いやいや、よくないんだけど。古田さんが辞めるってどういうこと? そんなそぶりはまったくなかったはずだけど……。
大きく深呼吸をして、お腹にグッと力を入れて、もう一度再生ボタンをタップする。
「えっと、そ、そうですか、わかりました。い、いつ?」
「止めないんですか?」
「ああ、いや、その……」
「まぁ、止めても無駄ですけど。今月末までです。部長と人事部には話しています」
「へ……? あと三週間ってこと?」
「はい、来週から有給消化します。引き継ぎの段取りは進めていますので、迷惑にはならないかと」
「ああ、そうか。う、うん」
ピーピピ……。健太の胸ポケットに入っているスマホの着信音が鳴る。古田は健太がスマホに気を取られている一瞬のスキに、軽く頭を下げて自分の席に戻った。スマホを取り出し、電話に出る健太。
「もしもし、わかばドリンクの西原さんでしょうか?」
「ああ、はい、そうですけど」
「私、退職代行レッツエスケープの大橋と申します」
「え、た、た……」
「退職代行です。御社で勤務されている赤井さんの退職の件でご連絡いたしました」
「へ?」
「はい、赤井様からご依頼を受けまして、退職の手続きを代行させていただきます。御社の規定の退職届はございますでしょうか?」
その後健太はしどろもどろになりながら、電話に受け答えをする。電話を終えると、古田はいなくなっていた。
健太が震える手でスマホをポケットにしまうと同時に、パソコンからチャットの通知音が鳴る。加藤からのメッセージだ。健太はうつろな目で、マウスを動かし、メッセージを確認する。
【突然ですが、今月で退職することにします。先月、とあるエージェントからスカウトを受け、先ほど、諸々の条件が整ったと連絡があったため、転職することにします。いち早く連絡したほうがいいと思い、まずはチャットにて。引き継ぎ資料はすでにまとめていますので、後ほど共有します】
パソコンを閉じ、頭を両手で抱える健太。そのままじっと身動きをせず、時間だけが過ぎていく。カッチ、カッチと、時計の針の音だけが、静かなフロアに鳴り響いていた……。
え、終わった。な、何、これ。チームの崩壊って、本当にそのまんま崩壊してるじゃんか。いやいや、最悪な未来っていうレベルじゃないって。
真っ暗な画面になったスマホを凝視し、両手で頭を抱えた僕は、ピクリとも身動きが取れずにいた。さっきの動画の最後の僕と、まったく一緒だった。
いやー、これ、いつの話だろう。企画にダメ出しされてたから、そんなに先じゃないよね。二ヶ月か、三ヶ月か……いずれにしても、この短期間で何があったの。
グルグルとどうにもならない思考を繰り返す。
ど、どうしよう、どうしよう。
「嫌な未来なら、変えればいいんです」
また、あの男の声が、頭に響く。そ、そうだ、そうだ。そうだった。リッキーの言う通りだ。で、でも、どうやって……。
「また、新しくいい感じにするものが見つかりましたね」
また……あの男の声が頭に……いや、右側から聞こえた気が……。
頭を抱えていた手を、ゆっくりと下げると、僕の右ほおに、ピタッと何かがくっついた。柔らかく、ほのかに、レーズンとナッツの香りがする。
「最近の子も、ちゃんと退職届出すんですね。なんの意味があるんですかね、あれ」
この声は……。バッと顔を上げ、右を向くと、懐かしい、無愛想な顔がそこにあった。
「リ、リッキー!」