問題とどう向き合うか
動画が終わった。もう、最悪な未来を見るのは慣れたと思っていたけど、これは、やっぱりこたえるな……。古田さんにフラストレーションを溜めていたのは、間違いない。でも、こんな態度で古田さんに接するのは絶対に間違っている。って、動画を見た後だから好き勝手言えるけど、このままの状態だったら、現実世界の僕だって、ああなってしまってもおかしくない。
「なんですか、これ、ううう」
ああだこうだと思考を巡らしていると、隣から、リッキーの呻き声が聞こえてきた。僕の未来を見て、リッキーもさぞショックを受けたんだろう。そう思い、横を見ると、眉間にシワを寄せたリッキーが口を尖らせていた。ん? どういうこと?
「くぅぅぅ。あの方の言っていた通り、苦味がすごいですね……。くぅぅぅぅ」
今度は口を真一文字に固く閉じる。眉間のシワがどんどん深くなる。
「ん……あれ、でも、奥のほうからスッと爽やかな甘味がきましたよ。うん、なるほど。これはおいしいですね。人を選びそうですが。なんだか、スッキリしました」
手元を見ると、外皮をむいて、半分に分けたグレープフルーツ。リッキーはグレープフルーツを一房取ると、また口に運び「くぅぅぅ。クセになるなぁ、これは」と眉間にシワを寄せた。
この人、僕の最悪な未来をちゃんと見てたのかな。自分から、一緒に見ようと言い出したのに。
「どうですか、健太さんも」
「いや、今はいいです」
今は、グレープフルーツを食べるよりも、すぐにリッキーと対話をしたかった。
「そうですか。それにしても、苦かったですね」
「そんなに苦いグレープフルーツなんですか?」
「え?」
「いや、今苦かったって」
「ああ、いや、動画の話ですよ。グレープフルーツの話なんてしてません」
いやいや、わからないよ、その展開は。でも、確かに動画は苦すぎる内容だった。
「はい、苦かったですね」
「でも、その様子だと、あながちあり得ない未来でもない」
「そうです。全然、あり得ますね。古田さんというメンバーの仕事ぶりに、ちょっと困っていて」
「肩を落としていた女性ですね」
「そうです。あの言い方はダメですよね」
「うーん」
リッキーが少しだけ首をかしげる。
「もっと、いい言い方ができるはずです。いいリーダーだったら、部下に適切な指導ができるはずです」
「ブカに、テキセツな、シドウ。聞くだけで胸がウッとなる言葉ですね」
「だって、それができないと、問題は解決しないですよ。そういうスキルを高めるのが、今回の冒険なんじゃないですか?」
「そうなんですか。私が思っていた冒険とはちょっと違うみたいですけど」
「どういうことですか?」
リッキーが口をへの字にして、首をかしげる。あ、これは、他人に思考を委ねているというアラートだ。
「いや、自分で考えます。えっと、もう一回冷静になって、自分が何をしたいかを整理してみます。えっと……古田さんには、もうちょっと仕事に集中してほしいというか。どうやって、適切な指導をしたら、変わるのかなっていうことを……」
「くぅぅ、苦い」
また、リッキーがグレープフルーツを食べて悶絶している。
「ちょっと、聞いてくださいよ、人の話」
「人ってね、他人の話なんてたいして聞いてないんですよ」
「え?」
「それに、それでいいんです。他人の言うことは半分ぐらいで聞くのが」
「そ、そうなんですか」
「だって、自分じゃないんですから、他人は」
「そりゃあ、そうですけど」
今のリッキーは人の話を半分も聞いてないように思うけど……。
「ってことはですよ、健太さん。何かをこんこんと伝えて人を変えようとしても、限界があるってことです」
「は、はぁ」
「動画で言ってましたよね、健太さん。古田さんをどうにかして変えたいって」
「そんなようなことは言ってましたね。気持ちは、わかります」
未来の自分に共感するのは変な気もするけど。いや、変ではないのか、自分なんだし。
「その前提が何か引っかかるんです」
「引っかかる」
「うん。なーんか、おかしい気がして」
「おかしいですかね。ちゃんと部下を指導して、適切なパフォーマンスを発揮できるようにするのが、リーダーの役割だって、研修で教わりましたけど。最近読んだ本にも、同じようなことが書いてありました」
「どう思いました? そういう話を聞いたり、読んだりして」
「うーん……。まぁ、そんなもんなのかなって」
「ワクワクしました?」
「ワクワクなんかしませんよ。リーダーの役割の話なんだから」
「おかしくないですか? リーダーになった途端に、ワクワクしない話を聞かされて、それを正解だと思い込んで日々過ごさないといけないって」
ふと、五年前の対話の光景が思い浮かぶ。その時、リッキーは今とまったく同じ場所に座って、「正解のない仕事」について話をしていた。僕たちが取り組んでいる仕事は、決まりきったルーティンワークではなくて、創造的で、正解のない仕事。そういう仕事に取り組んでいくためには、「自分で自分をいい感じ」にするためのスキルが必要だ。そんなことを、五年前のリッキーとの対話を通じて、学んだ。
「リーダーのあり方にも、正解はないってことですか? ある人にとっては答えでも、自分にとっては答えではないかもしれない」
リッキーがパチンと胸の前で手を叩き、人差し指をこちらに差し出す。
「まったく同感です。さて、健太さんがさっきまで正解だと思っていた、『ブカに、テキセツな、シドウ』を一回取っ払ってみると、どうでしょうか」
そう言われた途端、自分を囲っていた窮屈な枠が外され、急にだだっ広い草原に放り出されたような感覚になった。ちょっと戸惑うけど、どこに行くかは自分次第。怖いけど、同じぐらいワクワク感もあった。
「とにかく、僕は、古田さんがもう少しミスなく、仕事ができるといいと思っています」
「そうするとどうなるんですか?」
「僕が、修正にかかる手間が省けるし、古田さんの成長にだって繫がるはずです」
「そのためには、どうすればいいんですか?」
一瞬、「ブカに、テキセツな、シドウ」が思い浮かんだけど、すぐに遠くに放り投げる。どうすればいいんだろう。
「そもそも、これは、誰の、どういう問題なんでしょうかね。今、健太さんが頭を抱えているのは」
「ええっと……古田さんのスキルの問題でしょうか。それとも、僕のリーダーとしてのスキルか……」
「ということは、古田さんの問題? 健太さんの問題?」
「どちらかといえば、古田さんの問題かと」
「おかしくないですか?」
「え? ど、どこが……」
おかしいと言われたって、仕事でミスをしているのは古田さんだ。今回の悩みのタネの大部分は、古田さんに起因しているというのは、誰がマネージャーだとしても、同じように考えると思うけど……。リッキーの言うおかしさはどこにあるんだろう。
「健太さんが目指している、今回の冒険のゴールはどこにあるんでしたっけ?」
「チームをいい感じにすることです」
「でも、今日、ここまで、『チーム』という言葉は一度も出てきてませんよ」
そう言われて、僕はハッとする。リッキーは首をかしげながら、話を続ける。
「健太さんからは、古田さんという〝部下〟の話、そして、〝上司〟としての自分の話しか出てきていません。チームが全然見えてきません」
それは、本当にそうだった。何も言い返せず、口を半開きにしながら、リッキーの飄々とした表情をジッと見つめることしかできなかった。
「上司vs部下、健太さんvs古田さん、みたいな話になっていて、聞いていて息が詰まりそうです」
「上司vs部下、僕vs古田さん……」
頭を何かで殴られたかのような衝撃が走る。僕は、大前提から、何かを間違っていたのかもしれない。放り出された草原の遠く向こう側に、にわかに光の筋が見える。
「問題vs私たち」
リッキーがぶっきらぼうに単語を発する。「問題vs私たち……」と、僕は出てきた単語をただ繰り返す。
「そう。そっちのほうが、チームっぽくないですか? 問題はチームで向き合うんです」
「は、はぁ……」
「そうそう、五年前にも話しませんでしたっけ。仕事は、個人のものではなくて、チームのものだって」
その話は、確かに五年前にも聞いた。五年前の僕は、商品のプロモーション企画を考える時に、自分一人だけで閉じこもって考えようとして、ちっともいい案を出せなかった。一方、後輩の飯村さんは上司や先輩とコミュニケーションを取りながら、〝チームで〟企画を考えていった。
「リッキー、僕は成長したと思ってたけど、まだまだだったみたいです。結局、五年前と同じように、仕事は個人のものだと考えてしまっていました」
「メンバーとして働くのと、マネージャーとして働くのとでは、視座が変わりますから。元に戻ったように思う必要はありません。冒険のステージが変わったんですから、前進はしてますよ」
「そ、そうか。ありがとうございます」
「鍵は、KPTと斧ですね」
「〝けぷと〟と斧?」
リッキーは本当に、話がコロコロ変わる。まぁ、それがあるから面白いんだけど。急に〝けぷと〟とか、斧とか言われたって、何がなんだかわからないよ。
「KPTというのは、チームでふりかえるためのフレームワークです。KがKeep、PがProblem、TがTry。維持したいこと、問題だと思うこと、次に挑戦することを、チームでそれぞれ出し合って、ふりかえりをするんです」
「ああ、ケー、ピー、ティーってアルファベットで書くやつですね。見たことあります。ネット記事とかSNSで。でも、やったことなかったなぁ……」
「なんで、やらないんですか?」
「いや、その、余裕がなくて……」
「余裕?」
「はい。仕事に追われて、なかなかそういう時間を取れなくて」
「うーん……まさに斧ですね。これは、苦い」
リッキーがグレープフルーツを口に入れ、眉間にシワを寄せながらつぶやく。わざとやってるんだろうか。
「なんなんですか? 斧って」
「木こりが二人いる。どちらも斧で木を切っている。しばらく経つと、斧の切れ味が悪くなり、作業スピードが落ちてきた。赤い帽子を被った木こりは、必死になってそのまま木を切り続ける。青い帽子の木こりは一度作業を止め、斧を研ぐ時間を取った。そして、また作業に戻る。そんな時間が繰り返されていきます。さて、日が暮れる頃まで二人が仕事を続けた時、どっちの木こりが木をたくさん切っていたか?」
「ええっと……斧を研いでいた木こりですよね。切れ味が落ちた斧で一日作業したって、効率が悪すぎるでしょう」
「そうです。この話には続きがあります。日が暮れた頃、親方が二人の木こりのもとにやってきた。赤い帽子の木こりに向かって、こう尋ねる。『どうして、君はこんなに切った木が少ないんだ?』『いや、斧の切れ味が悪くってね』。もう一度、親方は尋ねる。『どうして斧を研がなかったんだ? もう一人の木こりみたいに』。そう聞かれた木こりはこう答えた……」
リッキーがニヤリと笑いながら、手をこちらに差し出してくる。薄々勘づいていた僕は、「余裕がなくて……」とさっきの自分と同じように答えた。リッキーは満足そうな顔で、小さく拍手をした。
「素晴らしい。さて、次のチャレンジが決まりましたね。チームで、KPTを使ってふりかえりをしてみてください」
そんな時間を取る余裕はない……なんてことは言えなかった。確かに、ここ最近の僕は、切れ味が悪くなった斧でずっと作業をして、自分で自分を苦しめていたからだ。そんな状態に、薄々気づきながらも、赤い帽子の木こりのように、必死になって〝仕事をした気〟になっていたのかもしれない。
でも、次のチャレンジが明確になった。やろう、KPTを。研がないと、斧を。
「わかりました、やってみます」
気持ちがぐっと前に進み始める。
「では、私はこれで」
最後のグレープフルーツを口に入れると、さっと立ち上がったリッキーは、また風のように公園を後にした。
……やっぱり、グレープフルーツを一口ぐらいもらっておけばよかったな。どれだけ苦いのか気にはなってたんだけど。それに、なんで、グレープフルーツを一個だけ持っていたのか。相変わらず、不思議な男だなぁ、リッキーは。