第3章 問題vs私たち

問題とどう向き合うか

動画が終わった。もう、最悪な未来を見るのは慣れたと思っていたけど、これは、やっぱりこたえるな……。古田さんにフラストレーションを溜めていたのは、間違いない。でも、こんな態度で古田さんに接するのは絶対に間違っている。って、動画を見た後だから好き勝手言えるけど、このままの状態だったら、現実世界の僕だって、ああなってしまってもおかしくない。

「なんですか、これ、ううう」

ああだこうだと思考を巡らしていると、隣から、リッキーの呻き声が聞こえてきた。僕の未来を見て、リッキーもさぞショックを受けたんだろう。そう思い、横を見ると、眉間にシワを寄せたリッキーが口を尖らせていた。ん? どういうこと?

「くぅぅぅ。あの方の言っていた通り、苦味がすごいですね……。くぅぅぅぅ」

今度は口を真一文字に固く閉じる。眉間のシワがどんどん深くなる。

「ん……あれ、でも、奥のほうからスッと爽やかな甘味がきましたよ。うん、なるほど。これはおいしいですね。人を選びそうですが。なんだか、スッキリしました」

手元を見ると、外皮をむいて、半分に分けたグレープフルーツ。リッキーはグレープフルーツを一房取ると、また口に運び「くぅぅぅ。クセになるなぁ、これは」と眉間にシワを寄せた。

この人、僕の最悪な未来をちゃんと見てたのかな。自分から、一緒に見ようと言い出したのに。

「どうですか、健太さんも」

「いや、今はいいです」

今は、グレープフルーツを食べるよりも、すぐにリッキーと対話をしたかった。

「そうですか。それにしても、苦かったですね」

「そんなに苦いグレープフルーツなんですか?」

「え?」

「いや、今苦かったって」

「ああ、いや、動画の話ですよ。グレープフルーツの話なんてしてません」

いやいや、わからないよ、その展開は。でも、確かに動画は苦すぎる内容だった。

「はい、苦かったですね」

「でも、その様子だと、あながちあり得ない未来でもない」

「そうです。全然、あり得ますね。古田さんというメンバーの仕事ぶりに、ちょっと困っていて」

「肩を落としていた女性ですね」

「そうです。あの言い方はダメですよね」

「うーん」

リッキーが少しだけ首をかしげる。

「もっと、いい言い方ができるはずです。いいリーダーだったら、部下に適切な指導ができるはずです」

「ブカに、テキセツな、シドウ。聞くだけで胸がウッとなる言葉ですね」

「だって、それができないと、問題は解決しないですよ。そういうスキルを高めるのが、今回の冒険なんじゃないですか?」

「そうなんですか。私が思っていた冒険とはちょっと違うみたいですけど」

「どういうことですか?」

リッキーが口をへの字にして、首をかしげる。あ、これは、他人に思考を委ねているというアラートだ。

「いや、自分で考えます。えっと、もう一回冷静になって、自分が何をしたいかを整理してみます。えっと……古田さんには、もうちょっと仕事に集中してほしいというか。どうやって、適切な指導をしたら、変わるのかなっていうことを……」

「くぅぅ、苦い」

また、リッキーがグレープフルーツを食べて悶絶している。

「ちょっと、聞いてくださいよ、人の話」

「人ってね、他人の話なんてたいして聞いてないんですよ」

「え?」

「それに、それでいいんです。他人の言うことは半分ぐらいで聞くのが」

「そ、そうなんですか」

「だって、自分じゃないんですから、他人は」

「そりゃあ、そうですけど」

今のリッキーは人の話を半分も聞いてないように思うけど……。

「ってことはですよ、健太さん。何かをこんこんと伝えて人を変えようとしても、限界があるってことです」

「は、はぁ」

「動画で言ってましたよね、健太さん。古田さんをどうにかして変えたいって」

「そんなようなことは言ってましたね。気持ちは、わかります」

未来の自分に共感するのは変な気もするけど。いや、変ではないのか、自分なんだし。

「その前提が何か引っかかるんです」

「引っかかる」

「うん。なーんか、おかしい気がして」

「おかしいですかね。ちゃんと部下を指導して、適切なパフォーマンスを発揮できるようにするのが、リーダーの役割だって、研修で教わりましたけど。最近読んだ本にも、同じようなことが書いてありました」

「どう思いました? そういう話を聞いたり、読んだりして」

「うーん……。まぁ、そんなもんなのかなって」

「ワクワクしました?」

「ワクワクなんかしませんよ。リーダーの役割の話なんだから」

「おかしくないですか? リーダーになった途端に、ワクワクしない話を聞かされて、それを正解だと思い込んで日々過ごさないといけないって」

ふと、五年前の対話の光景が思い浮かぶ。その時、リッキーは今とまったく同じ場所に座って、「正解のない仕事」について話をしていた。僕たちが取り組んでいる仕事は、決まりきったルーティンワークではなくて、創造的で、正解のない仕事。そういう仕事に取り組んでいくためには、「自分で自分をいい感じ」にするためのスキルが必要だ。そんなことを、五年前のリッキーとの対話を通じて、学んだ。

「リーダーのあり方にも、正解はないってことですか? ある人にとっては答えでも、自分にとっては答えではないかもしれない」

リッキーがパチンと胸の前で手を叩き、人差し指をこちらに差し出す。

「まったく同感です。さて、健太さんがさっきまで正解だと思っていた、『ブカに、テキセツな、シドウ』を一回取っ払ってみると、どうでしょうか」

そう言われた途端、自分を囲っていた窮屈な枠が外され、急にだだっ広い草原に放り出されたような感覚になった。ちょっと戸惑うけど、どこに行くかは自分次第。怖いけど、同じぐらいワクワク感もあった。

「とにかく、僕は、古田さんがもう少しミスなく、仕事ができるといいと思っています」

「そうするとどうなるんですか?」

「僕が、修正にかかる手間が省けるし、古田さんの成長にだって繫がるはずです」

「そのためには、どうすればいいんですか?」

一瞬、「ブカに、テキセツな、シドウ」が思い浮かんだけど、すぐに遠くに放り投げる。どうすればいいんだろう。

「そもそも、これは、誰の、どういう問題なんでしょうかね。今、健太さんが頭を抱えているのは」

「ええっと……古田さんのスキルの問題でしょうか。それとも、僕のリーダーとしてのスキルか……」

「ということは、古田さんの問題? 健太さんの問題?」

「どちらかといえば、古田さんの問題かと」

「おかしくないですか?」

「え? ど、どこが……」

おかしいと言われたって、仕事でミスをしているのは古田さんだ。今回の悩みのタネの大部分は、古田さんに起因しているというのは、誰がマネージャーだとしても、同じように考えると思うけど……。リッキーの言うおかしさはどこにあるんだろう。

「健太さんが目指している、今回の冒険のゴールはどこにあるんでしたっけ?」

「チームをいい感じにすることです」

「でも、今日、ここまで、『チーム』という言葉は一度も出てきてませんよ」

そう言われて、僕はハッとする。リッキーは首をかしげながら、話を続ける。

「健太さんからは、古田さんという〝部下〟の話、そして、〝上司〟としての自分の話しか出てきていません。チームが全然見えてきません」

それは、本当にそうだった。何も言い返せず、口を半開きにしながら、リッキーの飄々とした表情をジッと見つめることしかできなかった。

「上司vs部下、健太さんvs古田さん、みたいな話になっていて、聞いていて息が詰まりそうです」

「上司vs部下、僕vs古田さん……」

頭を何かで殴られたかのような衝撃が走る。僕は、大前提から、何かを間違っていたのかもしれない。放り出された草原の遠く向こう側に、にわかに光の筋が見える。

「問題vs私たち」

リッキーがぶっきらぼうに単語を発する。「問題vs私たち……」と、僕は出てきた単語をただ繰り返す。

「そう。そっちのほうが、チームっぽくないですか? 問題はチームで向き合うんです」

「は、はぁ……」

「そうそう、五年前にも話しませんでしたっけ。仕事は、個人のものではなくて、チームのものだって」

その話は、確かに五年前にも聞いた。五年前の僕は、商品のプロモーション企画を考える時に、自分一人だけで閉じこもって考えようとして、ちっともいい案を出せなかった。一方、後輩の飯村さんは上司や先輩とコミュニケーションを取りながら、〝チームで〟企画を考えていった。

「リッキー、僕は成長したと思ってたけど、まだまだだったみたいです。結局、五年前と同じように、仕事は個人のものだと考えてしまっていました」

「メンバーとして働くのと、マネージャーとして働くのとでは、視座が変わりますから。元に戻ったように思う必要はありません。冒険のステージが変わったんですから、前進はしてますよ」

「そ、そうか。ありがとうございます」

「鍵は、KPTと斧ですね」

「〝けぷと〟と斧?」

リッキーは本当に、話がコロコロ変わる。まぁ、それがあるから面白いんだけど。急に〝けぷと〟とか、斧とか言われたって、何がなんだかわからないよ。

「KPTというのは、チームでふりかえるためのフレームワークです。KがKeep、PがProblem、TがTry。維持したいこと、問題だと思うこと、次に挑戦することを、チームでそれぞれ出し合って、ふりかえりをするんです」

「ああ、ケー、ピー、ティーってアルファベットで書くやつですね。見たことあります。ネット記事とかSNSで。でも、やったことなかったなぁ……」

「なんで、やらないんですか?」

「いや、その、余裕がなくて……」

「余裕?」

「はい。仕事に追われて、なかなかそういう時間を取れなくて」

「うーん……まさに斧ですね。これは、苦い」

リッキーがグレープフルーツを口に入れ、眉間にシワを寄せながらつぶやく。わざとやってるんだろうか。

「なんなんですか? 斧って」

「木こりが二人いる。どちらも斧で木を切っている。しばらく経つと、斧の切れ味が悪くなり、作業スピードが落ちてきた。赤い帽子を被った木こりは、必死になってそのまま木を切り続ける。青い帽子の木こりは一度作業を止め、斧を研ぐ時間を取った。そして、また作業に戻る。そんな時間が繰り返されていきます。さて、日が暮れる頃まで二人が仕事を続けた時、どっちの木こりが木をたくさん切っていたか?」

「ええっと……斧を研いでいた木こりですよね。切れ味が落ちた斧で一日作業したって、効率が悪すぎるでしょう」

「そうです。この話には続きがあります。日が暮れた頃、親方が二人の木こりのもとにやってきた。赤い帽子の木こりに向かって、こう尋ねる。『どうして、君はこんなに切った木が少ないんだ?』『いや、斧の切れ味が悪くってね』。もう一度、親方は尋ねる。『どうして斧を研がなかったんだ? もう一人の木こりみたいに』。そう聞かれた木こりはこう答えた……」

リッキーがニヤリと笑いながら、手をこちらに差し出してくる。薄々勘づいていた僕は、「余裕がなくて……」とさっきの自分と同じように答えた。リッキーは満足そうな顔で、小さく拍手をした。

「素晴らしい。さて、次のチャレンジが決まりましたね。チームで、KPTを使ってふりかえりをしてみてください」

そんな時間を取る余裕はない……なんてことは言えなかった。確かに、ここ最近の僕は、切れ味が悪くなった斧でずっと作業をして、自分で自分を苦しめていたからだ。そんな状態に、薄々気づきながらも、赤い帽子の木こりのように、必死になって〝仕事をした気〟になっていたのかもしれない。

でも、次のチャレンジが明確になった。やろう、KPTを。研がないと、斧を。

「わかりました、やってみます」

気持ちがぐっと前に進み始める。

「では、私はこれで」

最後のグレープフルーツを口に入れると、さっと立ち上がったリッキーは、また風のように公園を後にした。

……やっぱり、グレープフルーツを一口ぐらいもらっておけばよかったな。どれだけ苦いのか気にはなってたんだけど。それに、なんで、グレープフルーツを一個だけ持っていたのか。相変わらず、不思議な男だなぁ、リッキーは。

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