第4章 言いたいことを言い切る

不意打ち

加藤さんから送られてきた、非の打ちどころがない資料に対して【問題ありません。進めてください】とメッセージを返す。赤井さん、古田さんとは話す機会が増えてきたけど、加藤さんとは相変わらず最低限の仕事のやりとりをするだけに留まっていた。赤井さん、古田さんも加藤さんとはほとんど話そうとしない。

まぁ、仕事さえしててくれれば問題はないんだけど、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。仕事に関しての報連相もしっかりしているから、なおさら突っ込むことはなかった。

加藤さんは、なんとも思っていないのだろうか。ちらっと、パソコンに向かう加藤さんの横顔を窺ってみるけど、その飄々とした表情からは何も読み取れなかった。

「西原さん、管理職会議の時間ですよ」

いつも通り、のそっと現れた浜村部長に促され、僕はノートパソコンと筆記用具を手に持つ。森沢本部長から、あの企画に関して何か言われそうな予感がしていた僕は、ソワソワしながら、ミーティングルームに向かった。

「それから……西原さん、商品企画を送っていただいてありがとうございます。資料、目を通しました」

管理職会議の中頃、不意に森沢本部長が僕に話しかけてきた。ドクドクと、心臓の鼓動が速まる。じっと黙る森沢本部長。ガタイのいい体に密着したシャツは、今にも破裂して肩や胸板が飛び出してきそうだった。

「悪くはないです」

心の中で、ほっと胸を撫で下ろす。

「ただ、ちょっと勝負に出すぎかもしれないですね」

本部長からの反応は、僕の感覚とは違っていた。僕は、もっとコンセプトに何かを加えたほうがいいのではと思っている。でも、森沢本部長は違うようだ。ペンを持つ手に、じわりと汗がにじむ。

「商品が持つストーリーはいいと思います。地域振興、数量限定でこだわりの商品。これらもいいでしょう。まさに、希望と言えます。この会社にとってもいいチャレンジだ」

「は、はい」

うん、それは、僕もそう思う。でも、それだけだと何か突き抜けるものがない。欲張りすぎなんだろうか。

「市場調査の結果や、マーケティング戦略も筋は悪くなさそうです。ただ、このグレープフルーツの味に関しては、もっとマイルドさというか、親しみやすさを押し出したほうがいいかもしれませんね。味に関しては尖る必要はないと思います」

「な、なるほど」

森沢本部長が言うことが間違っているわけではなかった。確かに、味以外でも十分に話題性を作ろうとすれば作れる。定番商品頼りのこの会社のチャレンジとしては、今のコンセプトでもいい、いや、むしろ精一杯かもしれない。

「という感じで、このまま進めてもらえますでしょうか。僕のほうからも、上に軽くジャブを打っておきます。一緒に、頑張っていきましょう」

森沢本部長が微笑むと、真っ白い歯がきらりと光った。

僕は手にしていたペンを机に置きながら、「はい、わかりました」と力なく答える。

まぁ、そう言われてみれば、今のままでもいいコンセプトだし、この会社にとってはチャレンジなのかもしれない。本部長の輝く真っ白い歯の横で、浜村部長が、のそのそと首を縦に振っていた。

森沢本部長から、企画を後押しする言葉をもらってからしばらく時間が経った。その間も、マーケティング戦略を練り上げたり、試作品のテストを重ねたり、製造工場との連携、容器のテスト、配送まで含めた製造プロセスの構築など慌ただしく時間が過ぎていった。

味に関しては大筋方向性が固まり、来週には消費者テストが行われる。

だんだんと中味が固まり、少しずつPR戦略などに意識が傾き始めていた。地域振興ということで、行政ともうまく連携を取らないとな。まずは、何より飯村さんの祖父母の協力も必要だ。商品をPRするためのWebサイトを作って、生産者の顔や声がしっかり届けられるといい。そうそう、地域のキャラクターとのコラボレーション企画もいいかもな。

僕の強みである、SNSや動画などを使ったプロモーションは絶対にやりたい。コンテンツ制作に関しては、いつもお願いしているアールスタジオさんに今回もお願いしよう。一緒に、PR戦略を考えるのがこれから楽しみだ……。

どんどんと考えが膨らんでいく。新商品の開発は、大変ではあるけど、ゼロから何かを生み出す楽しさもある仕事だ。久しぶりに新商品の開発にガッツリ携われて、僕はワクワクしていた。

「あ、はい。すいません……」

赤井さんが電話で謝る声が聞こえてきた。なんかトラブルだろうか?

「大丈夫? 赤井さん」

赤井さんが電話を切ると同時に声をかける。

「いや、その……。昨日営業部に送らなきゃいけなかった資料を忘れちゃってて。今からすぐ作業して送ります」

「あ、ああ、そうですか。営業部は怒ってなかった?」

「いや、笑ってました。急ぎのものではなくて、明日でもいいよっていう感じだったんですけど。僕が昨日送ると言っていたので、気にかけて電話をくれたみたいで」

「わかりました。僕もたまに忘れたりするのであまり強く人のことを言えませんが、気をつけましょう」

赤井さんが、仕事の期日に遅れるのは僕が知る限りでは初めてだった。仕事には真面目に向き合っていたし、何をやってもそつなくこなすタイプだ。うっかりミスは珍しいけど、完璧な人間なんていないし、僕だって未だにポカをすることはある。本人も反省しているようだし、これ以上、何かを言う必要もないだろう。

少しだけ、赤井さんの表情が曇っているようにも見えたし、目が充血しているようにも思えるけど……営業部からいきなり電話がかかってきてびっくりしたんだろう。

一瞬、赤井さんの隣に座る加藤さんと目が合った気がした。もう一度、加藤さんのほうを向くけど、いつものように飄々とした顔でノートパソコンに向かっていた。

その日の仕事を終え、自宅へ向かう間、僕の心は充足感で満たされていた。グレープフルーツの商品の企画、開発は順調に進んでいる。この後、PR戦略やパッケージデザイン、ネーミング案などを考えたら、いよいよ経営会議で提案だ。

チームメンバーともだいぶ会話が増えたし、古田さん、赤井さんはそれぞれで仕事を教え合いながら、いい感じで成長を続けてくれている。加藤さんとは相変わらずだけど、問題が起きてないから大丈夫だろう。日は落ちかけてきているけど、まだまだ暑い。額ににじむ汗を、ハンカチで拭く。

……そうだ、こういう調子がいい時に、未来の動画を見てみるのはどうだろう。思えば、いつも調子が悪い時に動画を見ていた気がする。そりゃ、最悪な動画ばっか見ちゃうよな。

僕は、自宅がある用賀駅でいつものように電車を降り、改札を出ると、すぐにスマホでFVSを立ち上げた。そして、鞄からQRコードが書かれたポストカードを取り出し、スマホのカメラで読み込む。

新商品が大ヒット、数量限定のためあっという間に完売、地域振興にも大貢献、今後も定期的に販売してシリーズ商品となることが決定……。そんな、最高の未来の動画が出てきてもおかしくない気分だった。スマホをじっと見つめながら、動画が生成されるのを待つ。

「嬉しそうな顔してますね、ずいぶんと」

ひ! 不意に声をかけられビクッと肩を上げる。後ろ……じゃなくて、前だ。スマホから視線を外し、顔を上げると、あの不思議で、無愛想な男、リッキーがいた。本当に、急に現れるな、この男は。足元には、リッキーの愛犬のパグ、金太郎がいた。

「金太郎!」

僕はしゃがみ込み、金太郎の頭を撫でる。金太郎は、飼い主とそっくりな、パグ特有の無愛想な顔をして、されるがままでじっとしている。あれ、でも金太郎ってこんな色だっけ? 褐色だった気もするけど、目の前にいるのは、真っ黒いパグだった。

「この子は、金太郎じゃなくて、浦島太郎です」

「え?」

「浦島太郎」

リッキーが歩き出したので、ついていく。相変わらず、歩くのが速い。

「は、はぁ……じゃあ、金太郎とは別の子という」

「そうです。二匹目です。金太郎はもう散歩を終えて、娘の家で寝てます。散歩のタイミングが違うんですよ。今日は、二回目の散歩です。一緒の時もありますけどね」

僕はきんたろ……、いや、浦島太郎から手を離すと立ち上がりながらリッキーに問いかける。最初に金太郎と会った五年前は、ちょうど今と同じくらいの時間に散歩していたはずだ。

「た、大変ですね。でも、前は金太郎を夜に散歩させてませんでしたか?」

「その時々で変わるんです。金太郎も、浦島太郎も、散歩したい時間が。一日として同じ日はない。人間も同じでしょう」

そ、そうかな。僕は毎朝同じ時間に起きて、同じ時間に出社して、大体同じ時間に家に帰ってくるけど……。言われてみれば、犬のほうが自由に生きている気がして、少しうらやましくなる。

「そ、そういうもんですか」と動揺を隠すように、中途半端な返事をして取り繕う。

「歩くのは好きなので、いいんですけどね。犬の散歩がなくても、どうせ一人で歩くでしょうし」

「win-winってやつですね」

「よく聞きますよね、それ。でも、なんか違和感ありませんか、その言葉」

「え? そ、そうですか。いい言葉だと思いますけど」

「だって、どっちもwinなんだから、winは一つでいいんじゃないですか?」

そう言いながら、リッキーは左に曲がる。リッキーを視線で追いかけると、いつもの、誰もいない公園があった。リッキーは、スタスタと、浦島太郎を連れて公園に入っていく。僕も、その後ろをついていく。

「それぞれのwinがあるんだから、win-winでしょう。片方だけがwinで片方だけが損する、つまりloseにならないようにしようっていう言葉なんですから」

「それはわかります。でも、win-winになれたとして、果たして違うwinなんてあるんですかね」と言いながら、リッキーはいつものベンチに腰をかける。浦島太郎は、ベンチに乗らずに、リッキーの足元に腹をつけて寝そべった。金太郎は、いつもベンチに乗っていたけど、ここでも違いがあるんだな。

僕もベンチに腰をかけながら、「そりゃ、二人いたら、それぞれのwinがあるでしょう」とリッキーに答える。いくら偏屈なリッキーの言うことでも、今回に関しては意味がわからなすぎる。なんでもケチをつければいいわけではないよ、リッキー。

「はぁ……。でも、私と、金太郎や浦島太郎には、歩いて、ストレス発散をして、健康になるという一つのwinがありますよ」

「そ、それはそうですけど。それは、今回の話であって……」

なんとか反論しようとしたけど、さっきまで抱いていたリッキーに対する懐疑心が、急激に薄まっていた。いやいや、あれ? どういうことだ? えっと、それぞれのwinがあって……。混乱する僕をよそに、リッキーが話を続ける。

「win-winは否定しませんし、重要なプロセスだと思います。それができてない人や集団も多いですからね。でも、本当に大事なのは、その先の気がするんです。どこかで、誰かと誰かが、win-winになる。ただそれだけで終わったら、その二人が出会う意味はあったのでしょうか」

なんとなく、言いたいことはわかるような気もするけど、すぐには飲み込めなかった。

「ちょっと、考えてみます」と答えた瞬間、スマホがぶるっと震えた。見ると、FVSからの通知がきていた。そ、そうだ、未来の動画を生成していたところだったんだ……。

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