チームをいい感じにする
リッキーが動画を頭から最後まで見終え、何も言わずにうなずきながらスマホを返してくる。僕はその間、パンなんとかという名前の、やたらおいしいパンをほおばっていた。おいしい食べ物を食べている間は、嫌なことを忘れられる。
「退職代行って、本当にあるんですね」
「あ、ありますよ。僕の学生時代の友人も使ったことがあるって言ってました。まぁ、自分が使われる側になるとは思わなかったですけど」
「数ある未来の一つの話ですけどね」
「嫌な未来なら変えればいい、ですよね」
リッキーがパチンと胸の前で手を叩き、人差し指をこちらに差し向ける。
「さすがです、健太さん。この四年で成長しましたね。話が早い」
久しぶりに見る、リッキーの仕草だ。成長したと言ってもらえたのは嬉しいけど、何をどうすればいいのか、さっぱりわかっていない。
「成長……ですか。でも、さっきまで、もう、どん底でしたよ。それに、今だって何をすればいいかわからない」
「どうしたいですか? 一番大事なのは、それです」
「えーっと……どうしたいか……」
考えろ、考えろ。もう、他人に思考を委ねるのは、やめたはずだ。必死で、頭を使う。
「この春にマネージャーになって。すぐにはうまくいくなんて思っていなかったですけど。なんか、思ってたのと違うというか」
「それで?」
「それで……あっという間に二ヶ月経って。メンバーとは何か、こう、決定的にこれという問題が起きているわけでもないんです。でも、なんか、なんか嫌な予感はしてて。それで、今日、あんな動画を見てしまって」
「なるほど。それで?」
話しながら、必死で考える。それで、どうしたいんだ、僕は?
「その……どうしたいかと言えば……やっぱり、いい感じにしたいんです」
リッキーがほんの少し首を傾けながら、「何を?」と聞いてくる。考えろ、考えろ……。何をいい感じにしたいのか。今、僕が抱える悩みは、何をいい感じにすれば、解決できるのか。暗闇の中、手探りで答えを探している気分だった。今の僕に必要なことって? 今、僕が実現したいことって? 必死になって、手を伸ばしてみると、何かに触れた気がした。それを摑み取り、言葉にしてみる。
「チ、チーム……です。チームを、いい感じにしたいんです。そうすれば、もっといい未来がくるような気がします」
リッキーがニコリと微笑み、こちらに人差し指を立てる。
「素晴らしい。今回の冒険は、チームをいい感じにするのが目的ですね」
「今回の冒険?」
「ああ、またしばらくこっちに滞在するんです。娘がこの近くに住んでいて、居候させてもらいながら。いつまでいるか、何をするかは決めていません。東京のパン屋さんめぐりはしようと思いますけどね」
リッキーは四年前に東京から離れると言って、引っ越していった。電話番号は交換していたんだけど、特に連絡することもなく、時間が過ぎていった。それが、まさか、今日みたいな日に出会えて、しかも、またしばらく近くにいてくれるなんて。
「そうだったんですね。うん、今回の冒険では、チームをいい感じにすることを目指していきたいです」
自分の中にある答えに辿り着いた僕は、まだ何も解決されていないのにもかかわらず、肩が軽くなっていた。沈んでいた気分がふわっと浮かび上がる。僕は自然と、リッキーに満面の笑みを返していた。
「いい顔です。やっぱり、成長しましたね。前なんて、ずっと私から答えを聞こう聞こうとしていた」
「もう、言わないでくださいよ、昔のことは」
「そうですね。今のは、少し意地悪でした」
「チームをいい感じにするか……。でも、何をすればいいんだろう」
さっきまで、どん底にいたのが噓のように、今の僕は前向きになっている。自分でも、おかしいぐらいに。
「どうしましょうね。一つ言えるのは、すぐに効く特効薬はないってことです」
「そうですよね」
「今日は、冒険の目的が見つかっただけでも、十分だと思いますよ。あまり、一度にいろいろ考えすぎても、疲れてしまいます」
リッキーはそう言いながら、ベンチの背もたれにゆっくりと背中を預ける。僕も、真似をして背もたれに体を預けた。リッキーが、深呼吸をする。僕も、真似をして、深呼吸をする。
「ゆっくり、いきましょう。あまり力を入れすぎると、息も浅くなって、苦しくなってしまいますから」
僕は、もう一度深呼吸をする。上を向くと、きれいな満月が目に飛び込んできた。
「今日は、きれいな満月ですね」
満月を見つめながら、リッキーに話しかける。
「ええ、そうですね。宇宙人が、ひょっこりと顔を出してきそうです」
「宇宙人?」
「小さい頃、満月は宇宙人が作ったワープホールだって、よく想像していたんです。ひょっこりと顔を出して、好きなだけ遊んで、また帰っていく。遊んでいる間は、天真爛漫に動き回って、見ているだけで楽しい。そんな宇宙人が、今日は出てきそうですね」
「本当に、リッキーの考えることは摑めないです」
「昨日、同じことを、娘にも言われました」
あはは、と思わず笑い声がこぼれる。最悪な未来を見た、最悪な一日になると思っていたけど、気づいたら笑っていた。
「そうそう、いいものを差し上げますよ」
そう言うと、リッキーがジャケットのポケットから二つ折りのポストカードのようなものを取り出した。ポストカードを広げながら、「今の健太さんにだったら、喜んでプレゼントします」と嬉しそうにつぶやく。
広げられたポストカードには四つのQRコードが並んでいた。
「なんですか? これ」
「これを読み込むとFVSで、動画を生成できるんです。一つのQRコードでいくつかの動画をセットで作ってもらえます。四セット分ということですね」
「な、なんでそんなものを?」
「一応、FVSの大元になった技術の開発者ですから。たまに送られてくるんです。自分で使ってもいいし、誰かにプレゼントしてもいいって」
「そ、そうなんですね」
僕は、ポストカードをもらうのを躊躇した。だって、また最悪な未来を見ることになるかもしれないから……。でも、逃げてはいけない。僕はぐっと腹に力を入れて、「ありがとうございます。必要だと思った時に、使います」と言いながらポストカードを受け取った。
そんな僕を見て、満足げな表情を浮かべながら、リッキーはさっとベンチから立ち上がる。
「今日は、もう行きますね。金太郎が、娘の家で待ってます、私の帰りを」
金太郎というのは、リッキーが飼っている犬の名前だ。
「ありがとうございました。あの、また、よろしくお願いします」
「前を向こうとする健太さんにだったら、いくらでも力を貸しますよ。と言っても、ただ話を聞いて、好き勝手しゃべるだけですけどね」
「それで、十分です」
「では、また。近いうちに、また会うことになるでしょう」
そう言うと、リッキーは六十代とは思えないスピードで歩き、颯爽と公園を後にした。