第2章 最悪な未来、再び

カチカチ

「ほら、ほいひいですよ。ほうぞ」

いつの間にか隣に座っていたリッキーは、パンを口いっぱいにほおばりながら、左手をこちらに差し出してきた。その手には、カットされた楕円形の、レーズンやナッツが散りばめられたパン。カチカチッとどこからか音がする。

僕は、リッキーが差し出したパンを手に取り「いただきます」と言って口に入れる。カチカチという音がまだどこかから聞こえる。

「ほうですか?」

「ああ、お、おいしいです。いろんな香りが口に広がって、楽しい気分になりますね」

「さふが、いいはんそうです」

「まぁ、飲料メーカーで勤めてるんで」

多分、「さすが、いい感想です」と言われたんだと予想し、それに合わせた返答をする。カチカチ……。

どうも、この音はリッキーの周りから聞こえてくるようだ。

まっすぐ前を見て、パンをほおばっているリッキー。普通、何年も会っていなかったら、「久しぶりです」とか「元気でしたか?」とか、そういう会話から始まるもんじゃないの?

一心不乱に、パンをほおばるってどういうこと?カチカチ……。

そ、それに、この音は何? リッキーの体を足元から、じっと目をこらして観察してみる。グレーのスニーカー。最近、流行っているメーカーのものだ。僕も、一足持っている。クッション性が高く、足にもフィットして歩きやすい。歩くのが速いリッキーらしいチョイスだ。

目線を上にやると、ブラウンのチノパン。ゆったりとしながらも、どこか品のある質感だ。カジュアルに見えて、実はいいブランドだったりするのだろうか。元社長だもんな。

さて、カチカチという音の正体はまだ見えてこない。

腰までくると、朱色をベースとしたチェックのブルゾン、インナーにシンプルなネイビーのシャツが見えてきた。もう、六十は超えているはずだけど、若々しく見える。

左手にはパン。右手は、腰元よりももっと上にあるようだ。右手を探すようにして、目線を上げていく……。カチカチ……。

肩のあたりで右手が見えてきた。何かを握っている。右手が上下に動くと、カチカチという音が鳴る。見つけた! カチカチは右手から鳴っているぞ!

「うん、やっぱり、二八回目あたりがいいですね」

リッキーはそうつぶやくと、左手のパンを太ももの上に置き、右手に持っている何かを触り始める。

「よし、もう一回」

そうつぶやくと、また左手でパンを持ち、口に運ぶ。

カチカチ……。

そして、またあのカチカチ音が始まる。何をしているんだ? 何年経ってもちっとも変わらない。本当に、不思議な男だ……。

何がなんだかわからないまま、僕もまだ残っているパンを口に運ぶ。また、ナッツの香りが口いっぱいに広がって、なんとも言えない幸せな気分になる。おいしいな、これ。なんていう名前のパンなんだろう。

カチカチ……。もう一度、ちらっとリッキーのほうを見る。今度は、全体を俯瞰するように眺めてみる。

あれ、もしかして……。

カチカチ……。うん、間違いない。この音は、リッキーが嚙むのに合わせて鳴っている。僕はもう一度、目を凝らして右手を見つめてみる。うっすらと銀色の何かが見えた。あれは、きっと、数を数える時にカチカチ鳴らすやつだ。カウンターっていうのかな。

ようやく、謎が解けた。リッキーは、自分が嚙むのに合わせて、カウンターを鳴らして

いた。きっと数を数えているんだろう。ふぅ、スッキリした。

「ん? 二三回目も悪くないな……」

リッキーが何かぶつぶつ言っているけど、気にせず残りのパンを食べる。

えっと、僕は今、どういう状況にいるんだっけ。そうだそうだ、ついさっきまで、最悪な未来の動画を見て、奈落の底に突き落とされて、それで、ふと横を見たら不思議な男がいて、四年ぶりの思わぬ再会を果たした。そして、その男はパンを嚙む回数をカチカチとカウンターを鳴らしながら数えていて、僕はその謎をようやく解き明かし、安心してパンを食べている。

どういう状況? 思わず、吹き出しそうになる。

「パン・オ・フリュイって言うんですよ、これ」

「え? なんですか?」

「パン・オ・フリュイ。このパンの名前です。気になってたでしょう。嚙むほどに、味が広がるんです。ただ、嚙みすぎると味がなくなるので、案配が難しくてね」

心の中では気にはなっていたけど、なんでリッキーにはわかったんだろう。

「顔に書いてありました。このおいしいパンの名前はなんだって。でも、カチカチと変なことをしているし、いつまでもパンをほおばっているから、聞くに聞けなかった。って、顔をぐるりと一周するように書いてありますよ」

「相変わらずですね、リッキーは。久しぶりです」

「ええ、久しぶりに見ました。健太さんの絶望的な顔。初めて会った時も、まったく同じ顔をしていました」

そうそう、リッキーと初めて会った日も、自分がリストラされる動画を見て、真っ白な顔をしていた。

「まぁ、あの……。この四年で、いろいろ状況は変わって、僕自身も成長したと思っていたんですけど。どうも、勘違いだったようです。また、最悪な未来がくるようです」

「まだきてないんでしょう? 最悪な未来は」

「ああ、まぁ、そうですけど」

「じゃあ、問題ない。FVSですか?」

「そうです。四年前のフィードバックのお礼に、また未来の動画を見せてくれるって。余計なお世話なんですけどね」

リッキーは首をちょこんと傾けて、ニコリと微笑むと、ベンチに置いてあった袋からパンをもうひと切れ取り出し、僕に差し出してきた。

「よかったら、見せてくれませんか? 健太さんの、最悪な未来を。最後のあたりしか見れなくて」

新米マネージャー、最悪な未来を変える
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