第3章 問題vs私たち

頭がパンパン

リッキーとの再会から二週間。まだ、これといった出来事はない。このままだったら、三人が一気に退職していくなんてことはないと思うんだけどな……。

「西原さん、明日の管理職会議用の資料、できた?」

そう言いながら、青白い顔をした浜村部長がのそっと近づいてくる。細身の体に、いつもサイズが合っていない大きめのスーツを着ている部長は、中身も見た目も、中間管理職の鑑のような人だった。

「あ、はい、できてます」

「今日の部会の資料も?」

ゆーっくりと近づいてくる浜村部長。

「今、送ろうとしていたところです」

そう伝えると、浜村部長は無言でうなずき、ゆっくり方向転換する。そして、今度は隣のチームのマネージャーに「明後日のリーダー会の資料できた?」と声をかけながら、のそっと近づいていった。

チームのマネージャーになれたのは嬉しいけど、正直会議が多すぎて、一つ一つの仕事に集中できないのも事実だった。

「ああ、忘れてました。なんとか時間作ってやっておきます」

隣のチームのマネージャーの声が聞こえてくる。確か、マネージャーになって三年目の先輩のはずだ。あの様子を見ると、三年経っても大変そうなのが伝わってくる。

「ええ、昨日送ってますよ。そうそう、そのメールです。いえ、そちらも大変そうですね。今週中に確認して返信してもらえば問題ないので」

加藤さんが、スマホで誰かと話しながらデスクに戻ってきた。加藤さんは、ベテランかつスキルが高いこともあり、仕事の質もスピードも優れていた。僕が仕事について何か口を出すことは一切ない。

ただ、その分コミュニケーションを取ることもほとんどなく、毎週の定例会議で業務報告を受ける時ぐらいしか、話さない。まぁ、その時も話すというか、加藤さんから一方的に報告を受けて、「引き続きお願いします」って言うぐらいなんだけど……。

「健太さん、ちょっとこれ見てほしいんですけど」

今度は、赤井さんがノートパソコンを片手に近づいてきた。

「あ、ああ。どれ?」

赤井さんがノートパソコンを僕のデスクに置き、横に来る。画面を見ると、PowerPointで資料を作っているようだった。

「ここ、どうすればいいですかね?」

「ん? ここって?」

「あの、こういう資料の場合のページタイトル。どこに入れればいいかな、と思い」

「あ、ああ。僕はいつも左上に罫線をつけて入れてるけど」

「そうですよね? それで、いいですよね?」

「う、うん。特に決まりはないけど、ページタイトルってのがパッと見てわかればいいと思うよ。太字にするとか」

「オーソドックスなのを使えば問題ないよ。他の人が作ったPowerPointの資料とか真似してもいいし。僕も、資料作りがきれいな先輩のを真似してるよ」

「こうじゃないといけないというルールがあるわけではないということですね?」

「う……うん、な、ないよ」

「いろんな先輩の資料を見ると、それぞれで作り方が違うので、逆に混乱しちゃって。どの人が正解なのか」

「そういう細かいところも、正解がない仕事だからね。誰を真似するかというより、見やすいと感じられるような資料を目指すといいと思うよ」

そう伝えると、赤井さんは安心しているとも、困惑しているとも取れる表情で自分のデスクに戻っていった。赤井さんの隣に座る加藤さんは、そしらぬ顔で、自分の仕事に集中している。

赤井さんは真面目で、丁寧に仕事に取り組んでくれるけど、細かいところを気にする一面もある。なんというか、ルールをすごく気にするというか。周りを気にする、と言ってもいいかもしれない。

正解のない仕事については、先日も伝えたところだけど、いきなり理解するのは難しいよなぁ。僕だって、時間をかけてわかっていったんだし。

「ああ、西原さん、来月のコンプライアンス研修の申し込み忘れないでね。あと、西原さんだけだから」

フロアを一周して、また、浜村部長が戻ってきた。さっきよりも青白い顔をして、のそっと近づいてくる。「ああ、やっておきます、すいません」と、ぎこちない笑顔を浮かべながら取り繕う。

ああ、もう、頭がパンパンだ。「コンプライアンス研修申し込み」と付箋に書き、ノートパソコンの端っこに貼りつける。その下には、「請求書リマインド」と書かれた付箋が貼ってあり、さらにその下には「ロッカーの荷物移動。今週中」と書かれた付箋。

【確認お願いします】。付箋を見ていると、チャットの通知が目に入った。古田さんからのメッセージだ。お願いしていた資料を送ってくれたのだけど、パッと見ただけで、相変わらず不備が多いのがわかった。頭を抱える。先週に続き、まったく同じ展開だ。

「本部長から言われてる例のあれ、どんな感じ?」

気づくと、浜村部長がすぐ真横に来ていてビクッとする。僕は「例の……」と言いながら、目線を斜めに向ける。なんのことを言っているのか、だいたい察しはついているのだけど、すっとぼけてみる。

「ほら、例の。言われてたでしょ、希望がなんたらって」

やっぱり、「希望を創る商品」の企画提案のことだ。正直、この二週間ゆっくり考える時間が取れず、ほとんど手をつけられていないと言ってもいい状態だった。

「まぁ、なんとか、いろいろ考えてます」

いろいろ考えているのは、噓ではない。思いついてはいないけど。

「そう。ほら、本部長もいったんうちらに伝えてもう自分の仕事は終えたと思ってるから。もう少ししたら、経営陣から本部長に向けて『どう?』って聞かれるはず。そうしたら、今度は本部長から……」

「こっちに、『どう?』がくるってことですよね」

「うん。タイムリミットは、あと二週間ぐらいかな、僕の予測だと」

「も、もうすぐですね」

「まぁ、経営陣はそんなに焦ってはないんだろうけど。本部長もあと少しでもう一個上に昇れるから」

そう言いながら、浜村部長は人差し指を天井に向ける。

「経営陣の期待には、何がなんでも応えようとするはず。だから、こっちへのプレッシャーも強くなると思うよ」

「そ、そういうのがあるんですね」

「あの人は、手堅くやっていくのが得意なタイプだから、今の経営陣の方針は頭では理解しつつも、苦手意識があるんだよ。だから、とりあえず若い人に期待している」

「は、はぁ……」

「まぁ、そういう僕も同じなんだけどね、本部長と。ははは」

何が面白いのかわからないけど、乾いた笑い声を発しながら、部長はその場を後にした。

わかってる、企画を考えないといけないのは。でも、マネージャーとしていろんな仕事が降り掛かってきて、いっぱいいっぱいだ。手堅い企画だったら、これまでの経験を活かして考えられるんだけど……。最悪、それでもいいから出すしかないか。本部長の好みには合うはずだ。

そう考えながら、先ほど古田さんから送られてきた資料を確認する。つぶさに見なくても、間違いがいくつかあるのがわかった。頼むから、真面目に仕事してくれないかな。

はぁ……と大きなため息をつき、古田さんが作った資料の修正に取り掛かり始めた。

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