第3章 問題vs私たち

問題 vs 私たち

公園に向かう足取りはいつになく軽かった。今日行われた、KPTを使ったチームでのふりかえりを思い出す。ようやく、マネージャーっぽいことができた気がして、嬉しかった。午後、さっそく古田さんが赤井さんにExcelの使い方を教わっていたな。

もう、わかってる、こういう日はリッキーがふらっと現れるのを。

公園が見えてきた。入口に差し掛かろうとしたところで、後ろからガタガタと大きな音が聞こえてくる。なんだろう、と思い振り返ると、台車の上に段ボールを二箱積んだ男がこちらに近づいてくるのが見える。上の段ボールは蓋が開いていて、黄色い何かがちらっと見えた。あれは、多分、グレープフルーツだ。

こんな夜に、山盛りのグレープフルーツを台車に載せて歩くような、変なことをしているのはあの男しかいない。ガタガタという音がどんどん大きくなるにつれて、男の顔や体の輪郭がはっきりと見えてきた。首にタオルを巻いて、額に汗を流しながらも、涼しそうな顔をして歩いてくる。

「リッキー! 何やってるんですか」

僕は、我慢できずに、大きな声で話しかける。リッキーは軽くうなずくと、懸命に台車を押し続けた。僕は、駆け足でリッキーのもとに近寄り、一緒に台車を押す。

「おお、全然違う。一人と二人では」

リッキーが汗だくになりながらつぶやく。今度は二人で、懸命に台車を押しながら、公園に着く。そのまま中に入り、ベンチの近くまで押し進めていった。

「はぁ、疲れた」とリッキーはベンチに尻餅をつくように、腰かける。僕は、さほど疲れてはいなかったので、少し汗ばんだ手をぱんぱんと叩きながら、段ボールの中を覗き込む。やっぱり、グレープフルーツだ。ぎっしりと詰まっている。

「これ、この前食べてたやつですか?」

「そうです。ちょっとした縁で、大量に娘の家に送られてきてね。お裾分けしようと思って、持ってきたんですよ」

「え、僕に?」

「他に誰がいるんですか、健太さん以外に」

「いや、だって、今日会うなんて、約束もしてなかったですし。いなかったら……」

「いる気がしたんで、持ってきたんですよ」

「でも、体調不良で休んでたりとか、飲み会で帰りが遅かったりとか。いつも、この時間とは限らないですよ」

「最悪のケースを想像して動き出さないなんて、もったいないですよ。持って帰ればいいだけなんですから。ふぅ、暑い……」

リッキーには普通の感覚で話しても意味ないな、と改めて実感する。それにしても、段ボール二箱は、お裾分けという量じゃない。そりゃ、この前会った時にグレープフルーツを食べてみたかったな、と思ったけど、こんなに大量にもらってもな……。

「まぁ、台車を一歩押し始めた時に、後悔しましたけどね」

「そりゃ、そうでしょう。やめればよかったのに」

「どうも、チャレンジ癖は直らないようですね。いくつになっても」

「リッキーらしいです」

「いい表情してますね、今日は」

「そうなんですよ」と僕は満面の笑みを浮かべながら、今日のKPTを使ったふりかえりについて、リッキーに話をし始める。リッキーは時々タオルで汗を拭き、うなずきながら僕の話をじっくりと聞いてくれた。ふりかえりが終わった後に撮影した、ホワイトボードの写真も見せる。

「なるほど。いいふりかえりができたみたいですね。健太さんはどう感じましたか?」

「なんか、胸につっかえてたものがスッと取れました。知らない間に、僕対古田さんになっていたのが、チームでその問題に向き合うようになったからかな、と思います」

「それが、『問題vs私たち』ですよ。私vsあなたを、問題vs私たちにするために、チームでのふりかえりはとても有効なんです」

「問題vs私たちってすごくいい言葉ですね」

「どんどん、使ってください。早めにKPTをやってよかったですね。普通は、いきなりこんなにうまくいきませんから」

「そ、そうなんですか」

「ええ。意見が全然出ない、なんてことも当たり前のようにあります。まぁ、健太さんの場合は、まだメンバーと年齢が近かったり、ガチガチにチーム状態が凝り固まる前だったのがよかったのかもしれません。じっくりと、時間をかけて意見が出るようにするケースも少なくないんですよ」

「ああ、なるほど。ビギナーズラックだと思っておいたほうがいいかもしれませんね」

リッキーがニヤリと笑い、細かくうなずく。

「古田さんが、自分のことを話してくれたのが大きなきっかけになったようですね。古田さんの発言から一気に、問題vs私たちになった気がします」

「なるほど」

「古田さんも、勇気を出したのではないでしょうか。自分の弱みを話すのは、簡単ではありませんから」

言われてみればそうだ。あの場で、自分の仕事のミスについて共有するのは、とても勇気がいることだったはずだ。もっと、そのことに関して感謝したり、褒めたりできればよかったかな、とちょっと反省する。

「古田さんの発言の後に、赤井さんがすぐに反応してくれたそうですね。それも、よかった」

「はい、赤井さんの発言が決定打になりました。一気に、僕の気持ちも楽になりました」

「チームのスタート、です」

「はい、本当に、そうですね。小さい一歩ですけど」

「たとえ小さな一歩でも、踏み出すのと、踏み出さないのには大きな差があります。ここから、また長い旅路が始まりますが、スタートしないまま終わるチームもたくさんありますから」

そうだ、ようやく、僕たちはチームとしてのほんの小さな一歩を踏み出し始めたばかりだ。それに、チームとしての一歩を踏み出したのかどうか怪しい人が一人いるんだけど……。その人に関しては、リッキーにははっきりと伝えられなかった。

「それにしても、ホワイトボードを使うのは素晴らしいですね。前話した時は、言ってなかったですよね。帰り道に、思い出したんですよ。ホワイトボードを使うといいと伝え忘れてたなって」

「ああ、そういえば。気づいたら、ホワイトボードに書き出してたんです。K、P、Tを」

「ホワイトボードを使うと、問題vs私たちにしやすいんですよ。それがないと、マネージャーvsメンバーみたいな構図が、無意識に生まれやすい。マネージャーも含めて、みんなでホワイトボードを向いて話をするのが、いいんです」

その時、ふと、かつての僕の上司だった藤田さんが、ホワイトボードに汚い字でいろんな意見を書き殴りながら、メンバーと対話していた姿が思い浮かんだ。そうだ、藤田さんは、いつもホワイトボードを使ってチームで話をしていたな。無意識に、その姿が刷り込まれていて、とっさにマネをしたのかもしれない。

「きっと、マネですね。かつての上司だった、藤田さんの」

「ああ、あの大きい体と大きい声の」

「あはは、そうです」

そうか、リッキーは藤田さんのことを五年前のFVSの動画で見ているから知っているのか。

「マネも大事です」

「これからも、藤田さんがどうやっていたのか思い出して、マネしてみます」

「いいと思いますよ。ずっと、というわけにはいかないと思いますが」

顎に手を当てて話すリッキーの声には、何か含みがある気もしたけど、深くは考えすぎないようにした。今は、前進できた喜びのほうが大きかった。

「なんか、大きな肩の荷が降りた気分です。これで、他の仕事にも意識を向けやすくなるといいなと思います。一個、大きいミッションを会社から言われてて」

「へぇ、なんですか?」

「『希望を創る商品』の企画を考えなきゃいけないんです。うちの会社って、定番商品頼みでずっときていて。そういう風土を変えるための一つの目標として、今期から掲げられてるんです。まぁ、みんな乗り気かといえばそうでもないですが……」

「それは、すごく楽しそうですね」

「実際に考えてみると難しいですよ。希望と言っても抽象的すぎて、なんのことやら」

「いつだって、身近にあるもんですよ、希望は」

「そういうもんですかね」

「そう、すぐ近くに。手元とかね」

「はぁ……」

「気づかないだけなんですよ。みんなね、希望とか未来とかいうと、遠くばっか見るんです。普段近くばっか見てるくせに、そういう時だけ急に遠く見ちゃって。それで、何も見つけられないと嘆いて、また近くのことばっか見る日々に戻る。希望とか、未来のことを忘れてね」

わかるような、わからないような話だ。手元を見てみるけど、いつもの手のひらがあるだけだった。

「ちょっと、今の僕には難しい話かもしれないです」

「後から気づくもんですからね。わかろうとしなくても、大丈夫ですよ」

そう言うと、リッキーはさっと立ち上がった。あれ、もうお別れの時間か。でも、話したいことは話せたかな。大丈夫、気持ちは前向きになっている。

「ありがとうございました」と、リッキーにお礼を伝える。

「ええ、朝に食べると、スッキリと目が覚めますよ」

なんの話?……ああ、グレープフルーツのことか。そのお礼じゃないんだけどな。なんて、考えている間に、「それでは、また」と言ってリッキーは風になって公園を後にしてしまった。

僕は、空を見上げると、大きく息を吸い、大きく息を吐いた。久しぶりに、ちゃんと呼吸ができた気がする。目の前には、穏やかに輝く星が広がっていた。

視線を空からゆっくりと降ろしていくと、大量のグレープフルーツが入った段ボール二つと台車が目に入る。そうだ、これを持って帰らないといけなかった。

「はぁ、まったく……」とため息まじりにつぶやきながらも、僕のほおは自然と緩んでいた。

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