昨年、ホラクラシーと呼ばれる経営スタイルが出てきました。ホラクラシーは、会社から組織図や肩書きに役職もなくして、経営の意思決定をトップダウンでなく組織全体に分散させる、ヒエラルキーに代わる新しいマネジメントの形です。
アメリカでは有名なザッポスが取り入れたことで一気に注目されるようになりましたが、果たして本当にホラクラシーは良いものなのでしょうか。ヒエラルキー組織のマネージャ視点になって考えたホラクラシーのデメリットについて書いてみました。
目次
1)情報格差で部下を支配できない
ホラクラシーをうまく実現するには、社内の情報はオープンでなければなりません。ヒエラルキーの組織ならば、末端の現場ほど限られた情報で良く、あまり考えることもなく働けば良かったかもしれませんが、ホラクラシーではそうはいきません。
情報統制とホラクラシーの相性は最悪です。社内の情報がすべてオープンだからこそ、個々人が現場で判断することができるのです。ただし、誰もが情報にアクセスできるようになると、情報格差で人をコントロールができなくなってしまいます。
ヒエラルキーの組織では、階層の上に行けば行くほど機密情報を得て、部下との関係で優位に立つことができました。しかし、ホラクラシーな組織を目指すならば、その権力を手放さなければならないのです。
2)社員の動きや仕事を把握しきれない
ホラクラシーでは、トップダウンの指示命令は無くなります。個々人がすべきと思う仕事に自主的に取り組むのですが、それはつまり誰が何をしているのか、会社は完全には把握できなくなることを意味します。
会社として何かをしたり、お金を使ったりするためには承認や決裁が必要なのは当たり前のことでした。そうでないと責任の所在が不明瞭になるし、悪事を働く奴が出てこないよう把握したり、組織のコントロールができなくなってしまいます。
ヒエラルキーの組織では、判断の重要さに応じて何階層も決裁を通させることで、そのリスクをコントロールしてきました。しかし、ホラクラシーな組織では、自分で考えながら仕事をする人たちのことを信頼して任せてしまうしかないのです。
3)目標達成のために無理させられない
ホラクラシーがうまくいっている組織は、セルフマネジメントができるメンバーで構成されています。誰かに目標設定をされなくても、自ら目標を設定し成長のために努力すること、自らの成果に対して責任を持つことのできるメンバーです。
これまでは人は管理しなければサボってしまう前提で、どれだけ仕事をしているのか時間と成果を管理する管理職が必要でした。組織の大きさに合わせて、管理できる範囲を限定するために中間管理職を置き、結果ヒエラルキーができました。
ヒエラルキーの組織では、部門など階層ごとのセクションで目標設定をし、個人も目標管理を行うことで達成を目指してきました。しかし、ホラクラシーな組織では、数字目標ありきで限界まで働かせることを諦めなければなりません。
4)実力がなければ居場所がなくなる
ホラクラシーな組織では、上司や管理職はおらず、全員が役割を持って仕事をしています。会社で自分の居場所を手に入れるためには何かしらの得意な領域を持って、チームに対して貢献することが必要です。
ヒエラルキーの組織では、階層を上がって偉くなればなるほど、より多くの人を抱えることで管理すること自体が仕事になります。よってヒエラルキーの世界では、調整や調達、人の管理は、非常に重要なスキルでした。
ホラクラシーの組織では、ただ偉くなることはありませんし、役割が変わることや責任が増すことはあっても、階層が上がって管理だけの仕事になることもありません。クリエイティブな成果を出せる仕事をしなければなりません。
まとめ:無理してホラクラシーにしなくて良い
従来のヒエラルキーで経営された企業を、ホラクラシーに変えていくのは非常に困難なことです。あらゆる権力や既得権益を捨てなければならないために、ヒエラルキーの上位にいる人ほど抵抗勢力となるでしょう。
これまでヒエラルキーでうまくいっている企業ならば、あえてホラクラシーに移行しなくても良いのではないか、とも思います。私たちの会社では、ゼロから会社を作って、最初から自己組織化されたチームを目指していたから今の形ができてます。
ヒエラルキーかホラクラシーか。これは価値観の相違です。変える必要はありません。ただ、自分の価値観に合う会社で働くことが、一番の幸せではないでしょうか。