「モノより思い出」所有か経験か価値観の変化

「モノより思い出」所有か経験か価値観の変化

先週は1週間の休暇を頂いて旅行に行ってきた。休暇と言いつつも、少しずつ仕事をしていた。私は経営者なので、仕事も休みも関係ないと言えば関係ないし、インターネットとパソコンさえあれば、いや最近だとスマホさえあれば仕事の大半は済ませることができる。

それでも、休暇は休暇であり、旅行に行くことが出来る。仕事をしながら旅をする、旅をしながら仕事ができるのは、個人的には嬉しい。休暇中に仕事のことを考えるなんて不幸なことだと思う人もいるかもしれないが、そもそも仕事が好きでストレスがないのだから問題はない。

むしろ、せめて休暇中だけでも解放されたいと思うような仕事をしていることの方が不幸なことではないだろうか。

とはいえ休暇では旅行がメインなので、時折に仕事の時間が挟み込まれるだけで、大半の時間は仕事をしていない。どこでも仕事ができるのだから、自分自身でオンオフを小口化して切り替えれば良いだけだ。

私にとっての休暇とは、働いている時間より遊びの時間の比率が多い期間というだけのことなのだ。最近は、その境界すら徐々に曖昧になってきている。

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そんな休暇の使い方として旅行をするようになったのは、それなりに歳をとるようになってからかもしれない。若い頃は、旅行なんてさほど好きではなかった。

だけど今は「モノより思い出」なんて言われる時代だ。どうも若い人たちさえも、モノより経験が大事だと感じているらしい。だから、これは年齢が原因でなく時代に起因しているのかもしれない。モノが大事だった時代が終わるのかもしれない。

私の若い頃は小説や漫画なんかだったら好きな作家の本は片っ端から買って読み、それらを本棚にコレクションしていた。改めて読む機会なんて殆ど無いのに、本棚に好きな本が並んでいることに満足していた。だから壁一面の本棚というのに憧れたものだ。

だけど今や物理的な本を買って読むことは殆どない。電子書籍だ。電子書籍になって、コレクションしておくことの価値は相対的に下がってしまった。一覧で並んでいる本は、自分のものかどうか、あまり関係ないからだ。

読みたいときにいつでも読めば良い。既に買ったものか、まだ買ってないものか、そこに違いは殆どない。大人になって経済的に余裕が出たので、欲しい本がいつでも買えるようになったことも起因しているだろう。

物理的な制約と経済的な制約が下がったことで、所有に対する執着も下がった訳だ。

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本屋や図書館は好きでたまに通っている。そこに並べられた本からお気に入りを見つけたり、書店員のポップを読んだりする体験が好きだからだ。そこには経験の価値がある。ショッピングが好きな人も、所有するためもあるだろうが、その体験が楽しいのではないだろうか。

昔は何か立派なモノを持っていることがステータスだったかもしれない。例えば、別荘とかね。けれど、個人的には別荘なんて欲しいとも思わない。旅先ならホテルに泊まった方が、人からサービスを受けることが出来て良い。その方が贅沢だ。

最近なら、AirBnbも便利だ。同じ別荘に何度も行くよりも、様々なところに行きたい。AirBnbのようなシェアサービスの本質にあるのが、所有より経験のコンセプトなんだろう。

所有するとメンテナンスも必要になるし、そのモノに縛られてしまう。それよりも、もっと自由でいることの方が価値がある。そして、世界のあらゆる資源は有限だと考えれば、所有して独占するよりシェアをした方が平和的だ。

そして、所有するよりもシェアをする方が経済的だ。現代社会の一般的な生活水準のために必要なモノは所有しなければいけないが、数年に数回しか使わなかったりするなら、維持コストを考えればシェアした方が合理的だ。

果たして、今の時代に時間を犠牲にしてまで得たいモノなどあるのだろうか。

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個人的には物欲があまりない。生活をしていく上で必要なものはあっても、贅沢をしなければ、なくて困るものが買えないほどではない。娯楽品は買っても使う時間がなければ意味がない。無為に時間を消費するものは欲しくても、時間が惜しくて躊躇してしまう。だから、モノを買うより旅行をしたい。

所有よりも経験といったとき、経験に必要なのは金と時間だ。金さえあれば手に入るモノと違って、何か経験するためには時間を使う必要がある。金は稼いで貯められるが、時間は貯めることは出来ない。誰かと交換もできない。時間の方が貴重だろう。

自分を形成するのは、モノか経験か。明らかに経験だ。様々な経験をするから、考えが広がるし、できることも増える。モノの価値は相対的で変化は予測できない。骨董品なら上がるが、大抵は時間と共に価値が下がる。しかし、自分が経験して得たことなら、生かすも殺すも後は自分次第だ。

経験とは、結局は自分の時間をどのように使ったか、ということだ。何かモノを所有していることで、その時間の質が高まるなら価値はある。そう考えると、所有と経験は、二者択一の比較対象ではないとも考えられる。

仕事をするのか、遊ぶのか。何をしても、どんな風に過ごした時間も、すべて経験になる。今できる経験だけは後から取り返すことは出来ない。将来のために今の経験を捨てるのは、実は将来から考えても勿体ないことかもしれない。

経験の連続が人生なのだ。人生を豊かに彩りたいなら、なるべくなら今のこの瞬間から、良い時間で過ごしていくことこそが大切なのではないだろうか。自分の経験は自分にしかできないことなのだ。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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