「価値創造契約」と「納品のない受託開発」そして二人の男の運命~アジャイルジャパンの見どころ

「価値創造契約」と「納品のない受託開発」そして二人の男の運命~アジャイルジャパンの見どころ

AgileJapan2012で私が最も期待しているセッションをご紹介します。

アジャイルも活用した新しいビジネスモデル

アジャイルとビジネスモデルに関するパネルディスカッションなので、本来であれば私がぜひ登壇して「納品のない受託開発」を紹介したいところですが、私は東京サテライトを担当しており、大阪に行けないため代理で弊社ソニックガーデンの副社長に出てもらうことにしました。彼が表舞台に出ることはあまりないので貴重な機会ですが、ソニックガーデンの契約書など全て彼の仕事なので、私よりも具体的な話が聞けるはずです。

そして、そのパネルには当然ですが「価値創造契約」を掲げる永和システムマネジメントの方が登壇されます。そこもきっと永和システムマネジメントの木下さんが出てくるものだと思っていたら、登壇するのは市谷くん(papanda)だというのです。DevLOVEの立場でなく永和システムマネジメントとしての立場での彼から、そのビジネスモデルについて語られるというのは、これも貴重な機会ではないでしょうか。

そして、何よりこの2人が同じ舞台に立つということに、私の極めて個人的な感情ですが、なんとも不思議な運命を感じているのです。

会社を変えようとした2人

私がこれまでの仕事人生において、最も暑苦しくて面倒くさい(賛辞です)、そんな人を思い出すといえば、永和システムマネジメントの @papanda こと市谷くん、そしてもう一人は弊社ソニックガーデン副社長の藤原です。(敬称略で普段の呼び方で書いてます)

市谷くんと藤原の2人は今でこそ袂を分かち、別の会社で働いているけれど、もしかすると今も同じ会社で共に働いていたかもしれません。何故なら彼ら2人と、そして私は、かつては同じ会社で働いていたからです。そんな2人と私の関わりを少し紹介します。

市谷くんと藤原の最初の出会いは、当時その会社で私が作って運営していた社内SNS(今のSKIPの元になったもの)の中で立ち上がった社内イベント企画の運営委員会でした。

Developers Summit(デブサミ)に刺激を受け、社内デブサミをしようと言い出したのは市谷くん、そして、その運営に乗り出したのが藤原でした。旗を振る市谷くんと、先に進める藤原と、今思えば、そのイベントのCEOとCOOとしてうまく機能してたんだな、と思います。近くで見ていても、楽しそうに輝いている良いコンビでした。

そして彼らはそのイベントをやり遂げ、会社の風土を少し変えてしまうことになるのです。それについては以下の記事が詳しいです。この頃は、この2人に今の未来が待ち受けているとは、私を含め誰一人予想すら出来ませんでした。

身近な仲間と繋がり、刺激を与えあう「社内デブサミ」はいかにして生まれたか ~「会社の空気を変える」社員のつくる社内イベント

後に彼らのこの活動は時を経て、別の場所で大きな実を結ぶことになります。

ひとつは、IT業界の若者たちに大きな影響を与えるコミュニティに成長したDevLOVE。社内デブサミの経験を経たのち、市谷くんは外に意識を向けました。

もう一つは、社内SNS:SKIPというサービスとなり、ソニックガーデンの事業の大きな柱となりました。藤原の会社風土を変えた経験がビジネスになりました。

彼らがその社内イベントをやっていた頃、私はソニックガーデンの前身である社内ベンチャーの立ち上げに奔走していたのを覚えています。そして新規事業の新しいチームを作るなら、この2人と共に、と考えてました。出来ることなら一緒に働きたいとも思ったのですが、当時の私の政治力の至らない点などもあり、それぞれ別の部署で働く彼らが、その私のチームに入ることはなかったのです。

市谷 聡啓 氏 株式会社永和システムマネジメント

市谷くん。彼は私が大手SIerの中でのアジャイルに取り組んでいる頃に、そこに中途入社してきたのでした。大阪から上京してきたばかりの彼とは、同じ大学出身だったり、住んでる家が近所だったり、接点も多くて仲良くなり、よく話をしたものでした。当時の私は既に「ディフェンシブな開発」を発表するに至るほど、自分自身はSIerのビジネスモデルとそこでのアジャイルの難しさを実感し、社内向けのSNS開発に自分の戦略を変えた時期でした。

そんな私から見て、現場でアジャイルに取り組み、傷つき苦しみながら挑戦を続けている姿は、まるで自分の若い頃を見ているかのように思えていました。大手SIerでぶつかる壁にことごとくぶつかっていましたね。だからこそ、私は彼の相談にはのりたいと思ったし、期待もしていました。私の出来なかったアプローチで彼ならば成し遂げるかもしれない、と。私が彼に出来ることの一つは、彼がやってみたいということに対して「やれば良いじゃない」と極めて軽く返すことでした。それは、かつて私が平鍋さんにしてもらったことで、本人が重く考えてることを、相談相手が軽く返してくれたら、気軽な気持ちでチャレンジできるから。これはまた別の平鍋さんとのエピソード。

しかし数年後、彼はその会社を去ってしまったのです。理由は私は知りません。もっと話をしておけば良かったと悔やむこともありました。ただ、彼はもう大阪から上京したてのただのパンダではなく、社外に多くの居場所をもつまでに成長したからかもしれません。

再び私の前に現れた時、彼は永和システムマネジメントの人になっていました。再会したときの彼の目は、大阪から希望をもって上京してきた、あの時の目をしていました。彼はもしかしたら、最後の場所を見つけたのかもしれません。

藤原 士朗 氏 株式会社ソニックガーデン

藤原士朗。彼は私が大手SIerで現場を離れ管理職になって初めての新卒採用したうちの一人でした。私が採用したもう一人の藤原の同期は、今や私よりも有名になったid:rx7こと並河です。今思えば、その年の新人は良い人材が揃っていたのですね。彼らの入社したころの私は、社内にアジャイルチームを作り、多くの人を集めていた時期でした。

しかし、ちょうど彼らが入社して数年した頃、私に大きな転機が訪れます。ある事情により私のチームが解散させられることになってしまうのです。十数人いた私の部下は全て別のプロジェクトにもっていかれ、残されたのは、藤原ただ一人でした。2人きりのチームになってしまい、色々と考えた結果、たった2人で初めて触るRubyを勉強しながら社内SNSを作りはじめたのでした。私がRubyで社内SNSを作ると言い出したとき、彼にはどうするか聞いたのを覚えています。私についてくるということは普通のSEとしての出世からは外れてしまう、ただしエキサイティングであることは間違いないが、どちらを選ぶか、と。彼は即答しました、私と一緒にRubyで社内SNSを作ることに。

その数年後、彼も社内の人事異動によって、私のもとから去っていくことになります。その代わりに並河が戻ってきて、私のもとで今のクラウドに繋がる技術に取り組みブログを書き始め、それが今のソニックガーデンの基盤に繋がるのですが、それはまた別の並河とのエピソード。藤原が、私の元から離れている間に、部門の壁を越えて社内デブサミを立ち上げたのが市谷くんだったのです。そこで繋がったのです。

さらに数年後、藤原は私の元に戻ってきてくれました。彼と2人で作った社内SNSを事業の柱とする社内ベンチャーSonicGardenの誕生です。その彼は今、私とともにMBOをし株式会社ソニックガーデンの副社長をしています。

アジャイルも活用した新しいビジネスモデル

市谷聡啓と藤原士朗という、私と何度もすれ違い繋がって、離れていったり、同志となったりした私の人生とも大きく関わった2人が、AgileJapanという大舞台で、一緒に壇上にあがり対談をするということに、数奇な運命を感じているのです。

「価値創造契約」と「納品のない受託開発」この2つのビジネスモデルは大きな違いがあります。それは、実際にやっている私たちだけにしかわからないことかもしれませんが、もしかしたら、このパネルディスカッションを通じて、その違いについて知ることが出来るかもしれません。

私は何より、この2つのビジネスモデルを代表する、2人の男の運命の対談が楽しみで仕方ないのです。

AgileJapan アジャイルジャパン2012

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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