数字や営業が苦手なプログラマだから辿り着いた「エクストリーム経営」

数字や営業が苦手なプログラマだから辿り着いた「エクストリーム経営」

「心はプログラマ、仕事は経営者」プログラマである自分が働きたいと思える会社を作りたいと思って経営をしてきた。結果として、セルフマネジメントでフラットで自己組織化された組織、最近だとホラクラシーと呼ばれるような経営をしている。

いい会社だと言ってもらえることもあって誇らしく思うのだが、果たして本当に良い会社かどうかはわからない。価値観に合致するプログラマにとっては良いかもしれないけれど、合わない人や他の職種の人にとっては全然ダメな会社かもしれない。

よく取材などでも聞かれるが、今の経営スタイルは、たいそう立派な理念や理想があって実現した訳ではなく、プログラマである自分自身が苦手なことをせずに済むように、逆に出来ることと得意なことは徹底的に活かそうとしてきたに過ぎない。

思い返せば、徹底的に極端にしてきたことが功を奏したことから、この経営スタイルは、もし名付けるなら「エクストリーム経営」と呼べるのかもしれない。
(これはもちろん「エクストリームプログラミング」から連想した言葉だ)

プログラマが苦手なことはしない

私たちの会社では、メンバー各々がフリーランスでもやっていけるだけの実力や人脈がありつつも、全て一人でやりたい訳でなく、それぞれが得意なことに専念するために会社というチームを組んでいる。逆に言えば苦手なことは、あえて頑張らない。

まだ若いうちは苦手なことも矯正して直すこともできるかもしれないが、もういい大人になってから人はそんなに簡単に変われない。だったら、いっそ得意なことを伸ばして成果を出した方が合理的ではないだろうか。

苦手なことを克服するのは楽しいことでもあったりするのだが、それはレジャーとしてやれば良いし、克服して得意なことになってから成果を出せる仕事にすればいい。

経営に関しても同じだ。あまり一般的な経営者のような経営はしていないように感じる。一般的な経営をしたことがないので、実際のところはわからないが、月末や期末だからと忙しいこともないし、資金繰りに追われて銀行回りをしたこともない。

そういったことはプログラマである私にとって苦手な仕事だ。そうした苦手な仕事を、いかに避けてきたのだろうか。

数字が苦手。数字を気にしない経営

私は数字が苦手だ。表に並んだ大量の数字など目眩がする。プログラマは一つ一つの数字よりも、ロジックで考える方が好きな人が多いのではないだろうか。もう数年来、経営者をしていて少し恥ずかしいが、財務諸表を読むのは今でも苦手だ。

また、営業的な意味での見積もりも苦手だし、数字で示された目標のために頑張ることも苦手だ。だから、数字を気にしないでも出来る経営に取り組んだ。

例えば、「納品のない受託開発」や自社企画の「Remotty」、どれも月額定額でお金を頂くビジネスモデルにしている。こうすることで価格はメニューになっているから、相手の予算を想像して見積もりをすることがない。受注決裁なんかもない。

月額定額のデメリットは大儲けができないことだ。しかし、安定した売上の見込みが立つことの方が嬉しい。期初に、だいたい1年分の予測を立てることができる。大きな投資もなく、入金されたお金で回していくので、借り入れが要らなくなる。

そして、社員の給与は年俸制にしているし、なるべく資産となるようなモノも所有しない。こうなると、見るべき数字は、毎月入ってくる一定額と、出ていく一定額の状態を把握するだけになる。それは財務諸表というより家計簿に近い。

こうして苦手な数字に向き合わない経営が出来るようになった。

営業が苦手。営業しなくて良い経営

一般的にイメージされるような営業が苦手だ。定期的に顧客のところに訪問して関係を築く。とても大事なことだが、とりたてて用もないのに伺うなんて出来ない。社長の仕事は営業だ、なんて先輩経営者は仰るし、優秀な営業マンはエスキモーにだって氷を売る位にすごいらしいが、とても真似できそうにない。

私たちソニックガーデンの前身であった社内ベンチャーの時代には、テレアポも経験したことがある。プロダクトを売るために、電話番号のリストを購入して、片っ端から電話をかけてアポをとっていく。そもそも電話が苦手だったのに、その上で見知らぬ企業に電話をかけて8割方は断られるというのに心は折れた。

何事も経験ではあったが、最初から向いてないとは思っていたが、やはり向いてなかったし、苦痛だった。そこで、営業しないで出来る経営はないものか考えた。

私たちが採ったのは、自分たちのノウハウを世の中に公開していくという手段だった。プログラマだからオープンソースなどに触れていて知見を公開することに恐れは少なかった。情報だけに価値がある訳ではなく、多くの人に専門家として知ってもらうことの方が価値があると考えた。

それ以来、私たちは自分たち自身をあらゆる角度からコンテンツにしてきた。例えば、全社員リモートワークとか、オフィスを撤廃するというのも、コンテンツになった。その結果、時間はかかったが、外向きの営業活動はしなくても、お問い合わせからお仕事を頂けるようになったのだ。

こうして営業マンのいない会社が出来上がった。

評価が苦手。評価で働かせない経営

社内の仕組みも同じように、苦手なことはなるべくしないように変えてきた。以前は、社員の一人一人と面談をして、目標の話をして、なんとなく評価をしてきた。賞与の時期になると面談が重なって忙しかった。しかし、どうも経営者だからって評価をくだすことに違和感があった。

誰かが評価をくだすとなると、どうしても評価する人のことを気にしないではいられない。お客様のために働く、自分のために技術を磨くと言っても、どうしても評価をする人の目を気にしてしまうだろう。これは、個々人の問題ではなく、構造的な問題なのだ。

そもそもプログラマの評価は難しい。たくさん売る仕事でもないし、システムでトラブルが起きなかったことは判定しづらい。汚いコードなんか沢山書くより、短く良いコード書いて欲しいが、コードの品質は保守のタイミングでないと評価できない。

だからいっそのこと、評価をなくしてしまうことにした。評価などなくても、真面目な人を採用すれば、みんな真面目に働く。好きな仕事なら、自己研鑽に励む。お客様と直接やりとりすれば、やりがいだって感じられる。評価などなくてよかったのだ。個人評価がないから助け合いも起きやすい。

社内の数字はオープンに、給与は一人前ならフラットに、賞与も山分けを基本としたロジックを作った。それぞれ会社の状況を元に、プログラムのようなロジックを組んで、人が判定する部分をなくした。そして、YWTという目標やビジョンを語り合うための面談は残すが、それは評価のためではなくタイミングは分散できる。

これで圧倒的に気が楽になった。みんなが頑張ればみんなに返ってくる仕組みだ。

管理が苦手。セルフマネジメントで働く経営

誰かがちゃんと仕事をしているかどうか、そんなことを細かくチェックすることが苦手だ。そうした管理をする仕事よりも、何かを生み出すような、もっとクリエイティブな仕事をしたい。おそらく、多くの人がそう思っているのではないだろうか。

なのに、なぜ管理をしようとするのか。信頼できなければ、管理しようとしてしまうだろう。信頼関係のないところから、いきなり仕事をさせてみようとなったら、心配だから管理をしてしまうのではないか。だけど、そんな管理はしたくないのだ。

管理することも、管理されることも、どっちも苦手なのだ。だったら、管理しないで済む仕組みは作れないか、考えた。

ポイントは、信頼できる人を採用することだ。採用には、半年以上の長い期間をかけている。入社してからの心配を担保するための管理にかかるコストか、信頼できるだけの関係性を築くための入社にかかるコストか、合理的に後者を選んだという訳だ。

そしてツールによる自動化。例えば、経費については上司や経営者への申請や決裁など必要ない。自分で購入して、経費アプリに自分で登録するだけで、翌月に自分の口座に振り込まれる。すべて自分で自動だ。その代わりの仕組みとして、全員の経費は全員にオープンになっている。それで十分だった。最近は、会社のクレジットカードも誰でも使えるようにしてしまった。それでも、全く問題はない。

請求書の発行も、中央集権で経理部のようなところがする訳ではない。各自が自分で担当しているお客様への請求書は自分で発行するようにしている。ただ、めんどくさい書類などはなくし、画面上で全て計算が終わった状態で、プログラマへ通知が届くので、確認して発行ボタンを押すだけで良い。こうすると、各々が自分の稼ぎを知ることもでき、責任感も増す。

信頼関係を築く採用とツールによる自動化、これで管理を極力なくしてきた。

プログラマの考える経営哲学

会社とは、複数の人間で構成された小さな社会だ。誰一人として同じ人間はいないし、多様性も大事だと思うが、その根底にある共通の価値観や哲学がなければ、一緒に働くことはできないだろう。根本的な部分で共感しあえていれば、あとはどんな問題も一緒に乗り越えられる。

では、プログラマである私たちに共通する経営哲学は、一体なんだろうか。

私たちの会社のビジョンの1つが「プログラマを一生の仕事にする」というものだ。プログラミングという仕事が大好きで、その仕事を通じてお客様に喜んでもらい、世の中を良くしていくことに貢献できることに喜びを覚える。

現代のプログラミングは、与えられた仕様通りにコードを打ち込むだけの仕事ではない。プログラミングは、様々な問題を解決するための手段であり、テクノロジーを用いて問題解決することが仕事の本質だ。様々な技術に精通し、実装する腕を持ち、コミュニケーション能力さえも求められる。とても難しい仕事で、だからこそ生涯をかけて取り組むだけの価値のある仕事だ。

そのプログラマという仕事を天職だと考える職人たちは、腕を磨くことをやめることは目指すところではない。できるなら、楽しく好きな仕事を長く続けていきたい、と考えている。だからプログラミングを一生の仕事にできる。それが、私たちの価値観の根底にあるものだ。

プログラマのプログラマによるプログラマのための経営

極端なことを言えば、私たちは無理な急成長は目指していない。自分たちの「社会」の実装である「会社」というインスタンスが長く続くことを望んでいる。合理的ではない無理な目標などに燃えることはないし、現実的ではない夢のために根性で頑張るということもない。短期でなく長い目で見ている。

お金はもちろん生きていくのに、とても大事なもので、疎かにするつもりはないが、自分の人生の時間を費やし過ぎるほど稼ぐことは大事ではない。今しかできないこと、今の人生の時間を大事にする。お金を稼ぐより、時間を稼ぐのだ。

特に、自由に好きな技術を調べて試し、好きなように新しいものを作る、そんな時間を持てることがプログラマにとっては、とても大事なことなのだ。

今、自分が持っているスキルだけで仕事をし続ければ、いつかは枯渇する。スキルの貯金で食べているようなものだ。ITの世界は、移り変わりが激しい。あっという間に古い技術になってしまう。常に新しい技術に自分の時間を投資していくことが大事なのだ。スキルで生きるプログラマが投資をするのは、自分への時間だ。

私たちは、こうしたことを自然と大事だと考えて経営している。これは、プログラマにとっては理解されるが、そうでない職種の人たちには理解されないかもしれない。営業出身の社長の会社で、もしプログラマが生きづらく感じるとしたら、そこのギャップかもしれない。

いかがだろうか。この価値観が良いと思えるなら、いい会社かもしれない。つまり、良いかどうかは相性に依るのだ。なるべくうまくマッチングできるように、少なくとも私はこうしてブログを書いている。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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