正論だけでは届かない〜相手の心に響くコミュニケーション

仕事をしていると、たとえ正しいこと=「正論」を言っても、それが成果につながらないことがあります。

そのことは私自身にも、身に覚えがあります。正論を言うだけ言って、何も変えられなかったことがありました。正論だけではうまくいきませんでした。そのためにコミュニケーションを学んできたように思います。

本稿では、自らの失敗と学びをもとに、「正論が届かない理由」と「人を動かすコミュニケーション」について考察してみたいと思います。

正論が届かない、という現実

思い返すと20代で社会に出たばかりの若い頃は、正論ばかり言っていた気がします。プログラマという職業柄、なまじロジカルに考えることが得意だったこともあり、ロジックが通っていることが正義だと考えていました。「正論モンスター」だったと言っても過言ではありません。

だから、誰に対しても正論を言っていました。上司だろうと会社だろうと、お客様だろうと、己の信じるロジックを伝えないと気がすまなかったのです。人によって態度を変えなかったのは救いかもしれませんが、今思い出すと恥ずかしくなります。

当時の私は、コミュニケーションで人を動かす意識がなかったように思います。伝えたいことを伝えることがコミュニケーションだと勘違いしていました。言葉を伝えたら終わりで、相手が動くかどうかは自分には関係ないと考えていたのです。

しかし、それはコミュニケーションではありませんでした。結論から話しても、簡潔に話しても、相手が動かない限り、コミュニケーションとしては意味がなかったのです。伝えるだけで相手がわかってくれないと嘆いても、何も変わらないのです。

人は論理では動かない

そんな正論をふりかざしていた自分を振り返ってみると、端的に言えば人生経験が足りなかったのだと思います。人には感情があります。感情よりも先に論理を言われても、言葉は理解できても納得できないことがあります。それに気付くには、人との付き合いが必要でした。

20代の中頃までは、論理だけで仕事ができていました。エンジニアでしたし、与えられた仕事で成果を出すには、それで良かったのかもしれません。しかし、20代の後半に入りマネジメントに関わるようになって、それでは通用しなくなってきました。

プロジェクトリーダーを任されるようになって、若いメンバーとコミュニケーションし、年上のパートナーとコミュニケーションし、お客様ともコミュニケーションしなければ、プロジェクトはうまくいきません。最初は全然うまくいきませんでした。

技術力には自信があったので、うまくいかない理由がわかりませんでした。そんなとき『ピープルウェア』という本に書かれていた「われわれの抱える主要な問題は、そもそも技術的ではなく社会学的なものである」という言葉に衝撃を受けました。それこそ私の問題だったのです。

コミュニケーションの本質とは

それまでの私は、自分本位の目線で伝えるだけでした。相手がどう考えるのか、どう感じるのかを考えずに伝えていました。それで相手のメンツを潰すこともあったでしょうし、心を挫くようなことをしていたのだと思います。当時のまわりの人たちに謝りたい気持ちです。

大事なことは自分が伝えることではなく、相手に伝わることです。だから、相手によって言葉や話し方は変えなければなりません。そして、相手には感情があるのですから、論理を受け入れてもらうためには感情に訴えることから始めるべきなのです。

率直に言うことだけが良いわけではありません。自分の思ったことをそのまま伝えたとして、相手が傷ついて受け止められなければ、結局は伝わったことにはなりません。相手に伝えたいのであれば、相手がどう受け止めるかを考えて、表現に気をつけることが大切です。

コミュニケーションの本質は、人を動かすことです。よくビジネスの世界では「結論から話せ」と言われますが、それで情報は伝わるかもしれませんが、相手の心を動かすことはできません。感情と論理は、コミュニケーションの両輪なのです。

政治力と相談力

30代に入った私は、いろいろな人たちと出会い、さまざまな場面でコミュニケーションをしていくことで、少しずつではありますが、人間のことがわかってくるようになってきました。こうして大企業で生き抜くための政治力さえも、身につけることができたのだと思います。

たとえば、会社で新規事業を立ち上げたいと考えて、上司に提案に行ったことがあります。最初は「こうあるべきだ」という論で新規事業の必要性を語っていたのですが、一向にうまくいきませんでした。それは、上司の気持ちを考えていなかったからです。

提案される側の気持ちで言えば、提案を受けるとYESかNOで答える必要が出てきます。二択になると、少しでも不安があるとNOと言いたくなるものです。そこで、提案ではなく相談をするようにしました。「新規事業で困っているので助けてほしい」と相談したのです。

そうすると、相談に乗ってもらえるようになりました。一緒に考えてくれるようになりますし、そうしているうちに、アイデアの中に自分の考えが入ってくると、人は応援したくなるものです。最終的には、味方になってもらうことができました。政治力の本質とは、相手の気持ちを想像し、同じ目線に立つことなのかもしれません。

正論を捨てずに届けるために

こうした経験を通して、少しずつ人とのコミュニケーションができるようになってきたと思いますが、それでもすべてが順調にいったわけではありません。むしろ、うまくいかずに悩む日々の連続であり、それは今でも続いています。

しかし、難しいからといってコミュニケーションを諦めてしまえば、それで終わりです。どうしても自分がやりたいことがあり、それを実現するためには、コミュニケーションのスキルを磨くしかなかったのです。

だからといって、正論を言わなくなったわけではありません。コミュニケーションの仕方が変わっただけであって、結局のところ、正論を伝えているという点は変わっていない自分がいます。私にとって、やはり正論は正しいものなのです。

正論では人は動かない。それはその通りかもしれませんが、だからといって正論を捨ててはいけないと思います。他人に言わなくても、自分の中にある信じるもの、自分にとっての真実は大切にしたい。その「あるべき考え」を曲げないために、私はコミュニケーションを学んできたのです。

客観性を備えて、相手の視座に立つ

このブログや書籍の原稿として、これまで私は文章を書いてきました。書き始めたのは、ちょうどマネジメントに関わり出した頃からでしたが、これもコミュニケーションのトレーニングになっていたように思います。

少なからず読者のことを意識して、ただの出来事を書くのではなく、経験を元に学んだことや気付いたことを、少し抽象化して言葉にしていきます。そして、言葉としてアウトプットすることで、自分から考えが“剥がれて”いく感覚があります。

原稿は、自分の頭の中から出たものではありますが、外に出た瞬間に自分とは別のものになる。書き出したものを読み返すときに、自分とは違う人の気持ちで読んで違和感や嫌な気持ちにならないか考えるのです。それを繰り返したことで、客観性を持って、他者の視座を獲得することができたのかもしれません。

また、アウトプットをするときに気をつけているのは、ネガティブな言葉を使わないようにすることです。アウトプットした言葉は、まず自分が最初の読者になります。そこで愚痴を書けば、愚痴に染まってしまいますし、前向きに書けば、自分への応援になります。

「だからさぁ、みんなで幸せになろうよ」

好きな漫画『パトレイバー』に登場する後藤隊長の有名なセリフに「だからさぁ、みんなで幸せになろうよ」というものがあります。マネジメントにとって大切なことは、この言葉に詰まっているように思います。手段やプロセスはどうであれ、結果として関係者全員が幸せになっていれば、それで良いのです。

自分の正論を通すことも、相手の正論を打ち負かすことも、もし目的から外れているのであれば、それは意味がないことなのです。各々が満足できる形を考えていけば良い。意見を白黒はっきりさせることに、マネジメントではそれほど意味がありません。

とはいえ、うまくコミュニケーションができないことは、まだまだ多くあります。「もっとこうすればよかった」「こういう言い方をすればよかった」と後から後悔することは、今でもあります。それでも、少しずつでも成長していくしかないのだと思います。

人生の中で、人と出会い、人と仕事をしていくことは、これからも続きます。そうした機会があることは、難しい問題に向き合うことであり、自分にとっての成長の機会でもあります。「まだ伸びしろがある」と思えば、それは決して悪いことではありません。

正論を大事にしながらも、相手の立場を想いながら言葉を選ぶ。そんな人が増えれば、きっと、みんなで幸せになれるはずです。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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