キャリア自律の考え方〜キャリアかビジョンか

先日とある大きな会社さんから、ソフトウェアエンジニアのキャリア形成について「キャリア自律」をテーマに依頼いただいて話してきました。

大企業で働いていると、自分のキャリアについて悩むことがあるのは、わかります。かくいう私も、大きな会社に新卒で入社して、今の会社を起業するまで10年ほど在籍していからです。

ただ、今になって思い返すとキャリアを考えて動いてきたかというと、そうではありませんでした。キャリアを変えた転機は、ただ自分の考えるビジョンに従った結果だったのでは、と思えます。

本稿では、私が大企業で理想のために取り組んできた結果としてのキャリアを振り返って、キャリア自律について考えてみます。

「キャリア自律」のために必要なエッセンス

キャリア自律とは、会社に頼らず個人が自らキャリアを主体的に考え、その形成に責任を持つこととされています。

私の個人的な感覚としては、それって当たり前なことに思えますが、社会人になりたての頃は確かに、そこまで考えられてなかったようにも思います。一方で、その後にキャリア自律を考えるようになったかというと、そうでもなかった。ただ、いくつかきっかけはありました。

1つは、社外のコミュニティに参加したことです。

よく私は「脳のブレーキを壊す」と言ったりするのですが、自分には出来ないと思い込んでたことも、目の前で実際にやってみせられたら、自分にも出来るかもしれないと思えるようになります。自分の想像を超えた様々なキャリアの人たちとの出会いは、社内だけでなく、むしろ社外のコミュニティに参加することで得られます。

また、望むキャリアを築くために転職するのも一つの手ですが、それよりも大事だと思うのは、どこにいても自分の理想を貫けるだけの実力を身に付けることです。会社にとって欠かせない成果を出せるような人になって初めて、会社とは対等な関係でいられるし、自分の望む形と会社の理想のすり合わせができます。

ただ実力を身に付けると言うと、どの会社でも活かせるポータブルスキルのことを思い浮かべがちですが、それだけでなくて自分の置かれた環境そのものも自分の能力だと捉えると良いでしょう。もし大企業にいるなら、そこに所属できてることや、そこにいる人たちとの関係すらも活かせば能力と言えます。自分の可能性は、個人が所有するスキルだけに依存しません。

どうもキャリアと言われると、何か決まった道筋があるように思いますが、実際のところ、そんなものはありません。そして、誰かに与えられるものでもありません。というのも私自身が、キャリアを築いて経営者という今の立場を手に入れたというよりは、望むビジョンを実現したい一心で一生懸命に取り組んできた結果が今の立場であるとしか言えないからです。

エンジニアから経営者に続いていたキャリア

私は今でこそ、「納品のない受託開発」のソニックガーデンと「北欧、暮らしの道具店」のクラシコムという2つの会社で経営の仕事に従事しつつ、本をいくつか出したり、ポッドキャストをしたり、出版社を始めたりと色々とやっていますが、もとはエンジニアとして働いていました。

学生時代からプログラミングが大好きで、ベンチャー企業で働きながら、研究室の仲間と一緒にゲームを開発して公開するということをしていました。その経験から、プログラミングを仕事にしたいと考えて、大学院を出て新卒で大手システムインテグレータに入社しました。

ただその当時は、多くのシステムインテグレータがプロジェクトマネジメントに注力して、オフショア開発を始めるような時代でした。自分が得意とするプログラミングがしたくて、それなら活躍できると考えていた私にとって大きな誤算でもありました。

そうした環境の中でも、もっとプログラミングが重視されるように、もっと良いソフトウェア開発ができるようにと、アジャイル開発の普及をはじめ、様々な活動をしてきました。それでも最終的には、自分で会社を経営するしかないと考えるようになり、社内ベンチャーを立ち上げ、その2年後には買い取る形で今のソニックガーデンを設立しました。

それが2011年のことで、以来ずっと経営に専念しています。社内ベンチャーをさせてもらった間に、私はエンジニアから経営者へとキャリアチェンジをしたと言えるでしょう。2018年からはクラシコムに社外取締役として携わり、上場を果たす経験までさせてもらいました。

このように紆余曲折を経てキャリアを形成してきたように思いますが、大きく変わったのは4つの転機があったからでした。

転機その1、アジャイル開発と出会う

最初に人生が大きく変わったきっかけは、アジャイル開発(当時はXP)と出会ったことでした。普通に働くただの会社員だった私が、XPのコミュニティに参加して刺激をもらい、登壇や寄稿をするようになったのでした。そうした活動は今も、私の礎になっています。

新卒で入社した当時の私は、プログラマとしての能力に自信を持っていました。実際、プロジェクトの終盤に実装できる人間は重宝されます。しかし、いくら技術力の高い人間が一人いても、プロジェクトがうまくいくとは限りません。自分一人でやっていたプログラミングの限界にぶつかった訳です。

そこで、何が問題なのか、何を変えなければならないのか考えました。

実装工程で起きる問題は、もっと前の段階で仕込まれています。上流工程と呼ばれる段階があり、その影響で後ろの工程が大変な目にあっていました。かといって工程を遡ることはできず、終盤になって終わらないデスマーチが起きてしまうのです。

これは、いわゆるウォーターフォールと呼ばれる開発の進め方です。この進め方をしている限り、どれだけプログラミングを頑張ってもうまくいきません。

そこで、ウォーターフォールとは違う開発の進め方、なによりプログラミングを中心におく進め方はないものかと探していた時に出会ったのがアジャイル開発でした。自分が理想とするソフトウェア開発に名前が付いていたことに衝撃を受けました。

最初、社内でアジャイル開発を広めようとしましたが、私の力不足もあって、うまくいきませんでした。そこで社外のコミュニティに参加するようになりました。そこには社内で出会ったことのないような人たち、素敵な人たちが沢山いました。それまで自分の考えていた狭いキャリアの固定観念を覆してくれたのでした。

そんな憧れることのできる人たちとの出会いが、最初の大きな転機でした。

転機その2、社内システム開発へ異動

アジャイル開発をプロジェクトに取り入れて実践することにチャレンジしましたが、ある程度の手応えは感じつつも、理想とする開発までは実現できずに難しさを感じていました。

プロジェクトメンバーのエンジニアとして働きかけるだけでは弱いと考えて、プロジェクトリーダーやマネージャー、さらには営業までしてみましたが、それでも難しかったのです。

なぜなら、一括請負の受託開発をしている限りにおいて、どういった開発の仕方・進め方をしたとしても、結局の最後は納品して終わるわけです。いくらアジャイル開発を上手にして、繰り返し型で開発し、俊敏に見直しをしても、納品すればおしまいだし、なんとか納品できれば良いとされます。

この問題の根っこにあるのは、ウォーターフォールとかアジャイルとかの進め方の話ではなく、納品を前提としたビジネスモデルです。

納品さえすれば良いなら高い保守性は求められないし、納品で揉めないためには事前の要件定義と計画こそが大事になってきます。しかしそれでは、良いソフトウェアは作れないと私は考えています。

アジャイル開発にこだわる訳ではなかったですが、理想とするソフトウェア開発を実現するには、納品型の受託開発のビジネスモデルでは限界があったと気付いたわけです。その結果、私は受託開発の世界から足を洗おうと決意しました。

かといって、すぐに転職をするのではなく、すでに全社横断の技術本部に在籍していたこともあって、社内の情報共有を促進するような社内システムの企画と開発を始めることにしました。社内システムの開発を自分で起案して、自分で開発することにしたのです。このことも大きな転機になりました。

転機その3、社長への新規事業を起案

社内システムを、企画した自分たちで開発していく取り組みは、非常にうまくいきました。

今風に言えばシステムの内製化です。企画と開発が一体なので、いつでも仕様は良いように変更できるし、システムのユーザである社員は近くにいてフィードバックがもらえるため、ずっと改善していくことができました。

システムの内製とアジャイル開発の相性は非常に良かったし、その結果として会社から評価されたことで、予算が増えて、チームのメンバーも増えていきました。順調に思えた社内システム開発でしたが、これも限界が訪れます。

社内システムを開発している私のチームは売上をあげている訳ではなく、間接的に会社に貢献をするコストセンターなわけです。稼いでいないのに優秀なプログラマが集まっていると、社内で人手の足りないプロジェクトがあったりすると、人を持っていかれることが起きます。

せっかく継続的にソフトウェアを保守と改善していけるアジャイル開発が得意なチームを作り、メンバーを育てても、人事異動で人を持っていかれるとなると、モチベーションも続きません。その限界を解消するために、自分たちで事業をやろうと考えました。

そこから社内で色々と動いた結果、なんと当時の社長と話す機会を頂けて、ここぞとばかりに新規事業の提案をしました。そして、そのタイミングが良かったのか、幸運にも提案が受け入れられることになりました。

ただし、すぐに子会社の設立や起業は無理だということで、社内ベンチャーカンパニーという制度を作り、そこで新規事業に取り組ませてもらうことになりました。それが経営者への転機となったのです。

転機その4、買い取る形で独立を実現

社内ベンチャーカンパニーは前例があるわけでもなく、私自身も新規事業の立ち上げや経営の経験などない中での取り組みだったので、非常に困難の大きな時期でした。それまでマネジメントにも取り組んでいましたが、性根はエンジニアのままでした。それが、この期間で経営者としてなんとか生まれ変わることができたように思います。

その経験自体は大変でしたが、同時に、経営の自由さも面白さも知ることができました。もはやアジャイル開発かどうかは瑣末なことで、事業を成長させるための試行錯誤も、自分たちのチームを作っていくことも思い通りに取り組めて、そこでできたチームから人を持っていかれることもなく、やりがいも大きかったのです。

社内ベンチャーを始めて1年半ほどして、本当に色々と取り組んだ結果、単月での黒字化が見えてきます。当初、会社から言われていたことは3年間はチャレンジしてみようということだったので、そろそろ次の段階を考えねばならない時期でもありました。

事業と組織を任されていたので、事業部長に相応するだけの自由度はあったものの、それでも変えられないものはありました。たとえば評価を含めた人事制度であったり、就業規則であったりです。そこに限界も感じていました。また、事業を任されてはいたけれど規模は小さかったので、経営の意向によっては事業停止もありうる状態でもありました。

その当時の私の希望は、自分で立ち上げた事業とチームを続けていきたいということでしたが、その最終的な意思決定の生殺与奪権は所属している会社の経営に握られている状態でした。私の希望を叶えるためには、リスクを受け入れて自分たちの会社として独立しようと決意しました。

上場企業からのスピンアウトなので当然、一筋縄ではいきませんでしたが、なんとか最終的には100%事業を買い取る形で独立を果たすことができました。

キャリアを考えるか、ビジョンに従うか

そうして、私は今の立場である株式会社ソニックガーデンの経営者となったのです。社会人になってからの4つの大きな転機を思い返してみても、どれもキャリアのことを考えて選んできたわけではなかったように思います。

キャリアを築くためにチャレンジをしたというよりも、どうしても実現したい理想があっても、それに対して現実には、これ以上もう無理だなって限界がやってくるので、それをなんとか解決したい一心でアイデアを出して、実践してきただけなのでした。

少なくとも私にとっては、先々のキャリアを考えたり心配したりするよりは、キャリアは振り返ったときに出来ているものだったと思います。まして、会社にキャリアを用意してもらおうとするのはナンセンスで、もしあるとしたら、それは会社の敷いたレールです。レールに乗った人生を望む人はいないはずです。

だから、先々のことは職種や経歴のキャリアで考えるよりも、ビジョンで考えた方が後悔が少ないように思います。そもそもキャリアを築いて、何を実現したいのかの方が大事ではないでしょうか。そしてビジョンは画一的なものでなく、人それぞれ違うものです。

私は結果として会社を辞めて経営者になりましたが、それも「いい仲間たちと、いいソフトウェアを作り続けたい」「プログラミングで価値を出し続けられる社会にしたい」というビジョンがあったからです。

そうして独立を選んだ結果、創業から13年が経って仲間の社員も60人近くまで増えたのに、創業メンバーの5人が今も一緒に働けている奇跡みたいな状況になっています。

ソニックガーデンの考えるキャリア自律

私たちソニックガーデンには、明示的なキャリアというものはありません。

社員のほとんどがプログラマではありますが、それはキャリアというよりは生き方みたいなものです。また、案件でプロジェクトを組むときは開発責任者や開発メンバーといった役割を持ちますが、それもキャリアとは違います。画一的に揃えたいとは考えていません。

たとえばプログラミングを仕事にする共通点があっても、それぞれに個性や強みがあり、取り組む案件も一つ一つに違いがあって、築いていくキャリアは一人ひとり違っています。それを自ら考えて選択していくのですが、それにはキャリア自律を含むセルフマネジメントができていないと実現できません。

逆に言えば、セルフマネジメントができていれば、あえてキャリア自律を問う必要はありません。セルフマネジメント5段階の記事に書いたようなセルフマネジメントの段階が高い人たちで構成することが大事です。若くて未熟な社員はキャリアやビジョンに悩む前に、まずは成果を上げられる能力と強みを身につけることが先だと考えていて、親方と弟子の徒弟制度で育成の機会を作っています。

そうした前提にあるのは、私たちは自由と自立を大事にしたいという哲学です。

自由といっても、好き勝手にできる権利があるというよりは、望むことを実現できるだけの能力と可能性を持った状態のことを指しています。そして、自立とは一人で生きていくことではなく、周囲と共存しつつも、依存せずに自らを幸せにできることです。

社員たちが自由と自立を手に入れられるように支援をして促しつつ、同時に、自由で自立できる人たちでも一緒に働きたいと思える場所としての会社を作っていくことも、私たちのビジョンです。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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