「得るより、与える」〜人生後半に希望をもたらす指針

私は、株式会社ソニックガーデンの創業者で、現在も社長として経営にあたっています。ソニックガーデンは、「納品のない受託開発」という月額定額の顧問型の受託開発サービスを展開するソフトウェア開発企業です。今は14期目で、役員を含めた社員数は約60名います。

40代終盤から50歳になる前の数年間は、経営している会社は好調で仕事は順調でしたが、それほど張り合いのある日々ではありませんでした。現場のメンバーたちが成長したことで、経営者である私が一生懸命に頑張るほどの仕事はなくなってきていたのです。

周りを見ると一定の成功を収めた知り合いの経営者たちは事業譲渡したりして、引退する人もちらほら出てきた中で、私自身は次のチャレンジが見えず、かといって引退してやりたいことがあるわけでもなく、仕事人生の終わりを感じながら、モヤモヤした気持ちで過ごすことが多かった。

自分という人間はゴールが見えてしまうと、元気がなくなってしまうのかもしれない。確かに、子供の頃にゲームをしていても、あとはラスボスを倒すだけになったら、急に面白くなくなる時があった。そんな気持ちだったのかもしれない。

もしくは、単にミッドライフクライシス(中年の危機)というやつで、メンタルが落ち込んでいただけかもしれない。

いずれにせよ、40代の後半は、自分のモチベーションを高めることに苦労し、将来に向けた希望が薄い状態だったように思う。その将来でさえ「老後」として表されるもので、決して明るい言葉ではない。

ソニックガーデンを創業したのが37歳の時。少し遅めの起業だった。その当時は、55歳で引退することを考えていた。37歳の自分からすると、55歳は老人の入り口で元気もなく、最前線で働くのは後進にとって邪魔なのではないか、若い人がトップにいるべきではないか、とイメージしていた。尊敬する経営者であるスティーブ・ジョブスや任天堂の岩田さんの享年がそれ位の年齢だったこともある。

創業から10年経った47歳頃が、まさしくモヤモヤした状態だった。自分の想定していた経営者人生の後半が見えてきて、なおかつ、人生100年時代と考えると個人としても人生の後半が見えてきて、どのように過ごすか、悩んでいた頃だった。

それから数年が経ち、今日51歳を迎えるにあたって、ありがたいことに今の精神状態は非常に良いし、健康に過ごさせてもらっている。毎日の仕事は、とても忙しいけれど、それによって充実した日々を送れている。こんなに頑張って仕事ができているのは、自分にとって嬉しい発見だったし、まだまだやれるという自信がついた。

ドン底な気分だった40代の終盤から、一体なにがあったのか、振り返って見ると、最も大きかったことは自分の使命が見つかったからかもしれない。正確に言えば、見つかったというよりは、元から使命だと思えていたことに人生後半を賭けてもいいと思えるようになったということだ。

創業から丸10年が経ち、47歳だった頃から、偶然や周りのおかげもあって取り組み始めたことがいくつかある。それが、今に良い影響を与えてくれたように思う。一つは、若い社員の採用を始めたこと。もう一つは、経営理念を言語化したことだった。それが、どのように今の自分に作用しているのか、振り返ってみよう。

経営が安定するほど、心が不安定になる

創業から10年経とうとしていた頃のソニックガーデンは、「納品のない受託開発」というビジネスが一定の成功を収めて、事業としてはある程度の盤石さを持った状態になっていた。売上も7億程度あり、営業利益も20%弱ある状態で、負債もなく、少なくとも経済的には安定した状態だった。

組織としては、拙著「管理ゼロで成果は上がる」で書いたように、基本的に即戦力の中途採用を続けて、40名強ほどの人数がいても、中間管理職を置かず、目標やノルマもなく、フラットで健全な組織を作ることができていた。それはそれで、楽しく働けていたと思う。

会社としてはフルリモートワークとフルフレックスを導入しており、そうした働き方も注目をされていた。実際、コロナ禍に入るはるか以前からリモートワークに取り組んできたので、コロナが流行り出した頃から多くの取材を受けることになった。

つまり、当時は何も大きな問題もなく、いたって平和な状態だったし、目指してきた組織の理想を実現できていたように思う。ある種、一つの形が完成したといっても良かった。しかし、それで私の心は晴れるどころか、曇っていく日々だった。

中途採用は続けていたものの、入社ハードルの高さも相まって、新しく入社してくる人の数は多くなかった。一方で、ご相談に来られるお客さまは年々増えて、需要の高まりを感じていた。経営者として、お客さまの期待に応えられないことに心苦しさを覚えつつも、容易に人手は増やせないので、お断りせざるを得なかった。

若い人の採用が生み出した混乱と新しいエネルギー

そんな折に「ソニックガーデンキャンプ」という企画が社内で立ち上がった。即戦力採用ではなく、第2新卒採用につながる、プログラミングの業務の未経験に近い人たちを対象としたプログラミング体験のカリキュラムである。採用に直結するとまでは考えていなかったが、まずは取り組んでみることにした。

集客に苦労したものの、なんとか集まってくれた人たちで約1ヶ月ほどのキャンプを実施した。集まってくれた若者たちは、バックグラウンドが様々だったけれど、キャンプを通じてソニックガーデンのことを知って興味を持ってくれたし、私たちも彼ら彼女らのことを知って可能性を感じたことで、キャンプの終了後には採用応募の案内を出して、希望者は採用プロセスに進むことになった。

それまで私たちソニックガーデンでは、即戦力になるベテランの採用からオンボーディングのノウハウはあったけれど、業務未経験に近い状態からの採用と育成には、本格的に取り組んでいなかったこともあり、それまでは個別対応をしていてノウハウにはなっていなかった。

それがキャンプからの採用となると、5人ほどの若者たちを一斉に採用することになり、初めて社内で同時に入社したという同期という存在ができることになる。それだけいると、受け入れる会社側としても、制度や体制を整えて臨まねばならないことになった。

そこから、若いプログラマたちの育成に伴う制度として、育成するための体制、人事評価の導入、就業規則のアップデートなど、様々な取り組みが始まった。どれも、それまでのソニックガーデンにはなかったもので、まるで、もう一度創業したときのような感覚だった。

それから数年して、今は「徒弟制度」として、親方と弟子の関係作りから、親方を対象としたミドルマネジメントの仕組み、全国各地で働くためのオフィスとしての親方ハウス、キャリブレーションによる期待と報酬の調整をする制度などを、ある程度の仕組み化することができた。

これらはまだ土台であり、ここから改善の余地は多くあるものの、改良していけば良くなっていく希望がある状態にできたと感じている。

会社に若い人たちが入って、みるみるうちに成長していく様が身近に感じられるのは、組織にとっても、私個人にとっても、良いことだった。中途採用だけの組織だった頃は、ある意味で、いつでも解散というカードを切れる状態だったし、それが安心して経営できるための心算ではあったけれど、今はそうはいかない。長く続けていくしかないし、続けていきたいと覚悟を決めた。解散というカードを捨てたことで、むしろ前向きにいられるようになったと思う。

コミュニティの拡大とコーポレートアイデンティティの確立

若い人たちが入ってくれたことで、組織の多様性は一気に増した。しかも、親方というミドルマネジメント層を設置したことで、経営者である私が若い人たちに直接コミュニケーションする機会は、ほぼなくなった。一方で、これまでいた人たちにとっては、異物である若者たちを受け入れていくにあたり、組織の輪郭みたいなものがボヤけてきたと思う人も出てきたように感じていた。

つまり「ソニックガーデンとは何か」みたいなものがわからなくなってきたのではないか、と私は考えた。これまでは、そこにいる人たちがソニックガーデンで、そこにいる人たち同士は全員が、仕事での信頼関係だけでなく、プライベートなことまで共有していた小さなコミュニティだった。それが若者たちの入社によって、その状態を超えることになったのだ。

そんな折に、偶然だが、とあるイベントで一緒に登壇する機会のあった株式会社PARKの共同代表であり、熟練のコピーライターでもある田村大輔さんと出会う。彼の専門であるコピーライティングに職人気質で取り組む姿勢に強く共感したのだった。

そこで、彼に依頼をして、ソニックガーデンのコーポレートアイデンティティを作ってもらうことにした。実際には、すでにあるアイデンティティに適切なコピーをつけることであり、明示してなかった経営理念のようなものを言語化していくプロジェクトが始まった。

「納品のない受託開発」というサービスを示すキーワードや、「プログラマを一生の仕事にする」といった採用メッセージはあったものの、日常的に、ことあるごとに使えるような言葉はなかったので、額縁に飾っておくだけとか、ホームページに書いてあるだけの言葉ではなく、意思決定や仕事の上での判断をする際に使える共通の言葉を作りたいと考えた。

これは、そう簡単に出てくるものではなく、そもそもソニックガーデンが目指すものは何で、なぜ存在しているのか、そうした本質的な問いを重ねながら、田村さんに根気強くお付き合い頂きながら、言語化を進めてきた。そうした対話を繰り返しながら、少しずつ私の中でソニックガーデンが何で、何を果たすための組織でありたいのか、見えてくるものがあった。その一つの鍵は「資本」に対する考え方だった。

経済資本を超えた先にある関係資本と文化資本

以前から、私たちソニックガーデンが蓄積していく資本には3つの種類があると考えていた。1つは経済資本であり、B/Sに現れる有形資産のこと。一般的な企業は、この経済性を追求していくものとされている。しかし、経済資本だけを指標とすると、新しい試みには取り組むのは無駄と判断しかねないし、結果イノベーションは起こせない。

そこで、他の2つの資本が重要だと考えている。一つは関係資本であり、残りの一つが文化資本である。関係資本は、社会や他者といかに関係性を築けているか、と捉えている。取引先であるお客さまも働いてくれる社員たちも、パートナー企業の皆さんも、関係があって仕事をさせてもらっている。関係資本を築いているから、経済資本の流通が生まれる。

そして文化資本は、社会や人々へ働きかける力のことである。例えば、独自の組織文化を築けば、そこで働く人たちの振る舞いは文化によって規定されることになる。私たちは、ソフトウェア開発の業界慣習や開発の仕方に関する提言を行なっている。それも、実際にやってみることで、その提言の証明を行おうとしている。

文化資本に投資していくことで、より広く仲間やお客さまと出会えて、それを関係資本として大事に築き上げていくことができれば、自ずと経済資本は蓄積されていく。それに、経済資本の価値が大きく毀損されるような社会の変化が起きたとしても、関係資本によって支えてもらうことができるかもしれない。

改めて、そう考えると「納品のない受託開発」というサービスは、経済資本だけで考えると、あまり合理的とは言えない。月額定額にしているため、見積もりして大きく稼ぐようなプロジェクトはできない。長くサポートしていくために、品質には徹底的にこだわる必要がある。よほど、要件定義したものを納品する従来の受託開発の方が、経済合理性だけを考えたら高い。

それなのに創業当時から「納品のない受託開発」に取り組んできたのは、ひとえに、それが本当に良いソフトウェアを作るための最高のビジネスモデルだと考えているからだった。つまりは、会社を始めた時から、経済資本だけを追ってはいなかったのである。

ソニックガーデンは企業活動というより、社会運動だった

そんなことを考えている中で、ソニックガーデンの経営理念としてまとめられた言葉が3つできた。

1つは一緒に働く仲間に向けたスタンスでもある「いいコードと、生きていく。」

2つ目は、お客さまに対するスローガンでもある「一緒に悩んで、いいものつくる。」

そして、最後の3つ目は、社会に対する私たちのミッションでもある「いいソフトウェアをつくる。」である。

特に「いいソフトウェアをつくる。」これこそが、私たちソニックガーデンの存在意義だと言える。これが経営理念として定まったことで、私たちが経済資本の拡大だけを目的にしていないことにもつながったし、一方で、より大きな社会変革としての「いいソフトウェアをつくる。」文化の普及という文化資本への投資も説明がついた。

なによりも、ソニックガーデンというものが、資本の再生産を目的とした企業活動というよりも、人々の認識を変えていくための社会運動であると捉えることができた。社会運動であるなら、全くもって道半ばであるし、多少の経済的な成功で満足している場合ではないと考えるようになった。

世の中を本当に良くしていくための活動は、私たちソニックガーデンにとってはCSRの一環でやるのではなく、むしろ社会運動こそが本体であり、「納品のない受託開発」はそれを支えるための経済活動であり、自分たちが理想とするビジネスモデルが存在できるという証明活動でもある。

「得ることよりも、与えること」人生後半に希望をもたらす指針

若い人たちを採用してきたことと、経営理念を言語化したことで、より未来に向けて実現したいことが大きく、そしてクリアになってきた。「いいソフトウェアをつくる。」その文化が広がった社会の実現のためには、より若い人たちへの投資が大事になってくる。私たちソニックガーデンが経済活動として取り組んだ結果として残されている利潤は、若いプログラマたちの育成に投資をしていきたい。

まず手始めに取り組んでいるのが、高卒採用である。高校の卒業時点で、職業の選択をした若者たちを採用し、プログラマとして活躍できるような育成機関を構築しようと準備を進めている。プロのアスリートのような選択肢を、プログラマというプロフェッショナルの職種にも用意したい。

さらに、ほぼ同時並行的に進めているのが、高卒採用より若い層にも目を向けて、プログラミングを身につけることのできる高校を設立するプロジェクトも進めている。プロ野球選手になるために、野球の強豪校に進学先を選ぶように、プログラミングの強豪校のような学校にしたい。

そうした未来を担う若者たちへ、事業活動からの利潤を投資していくことで、それがいずれは私たちの仲間として共に事業活動に携わるようになっていけばいいし、たとえそうならなくとも「いいソフトウェアをつくる。」ことのできる人が一人でも増えたとしたら、それは私たちの経営理念として本懐であると言える。

こんな妄想みたいなビジョンが、どれだけ時間がかかって、どこまで実現できるのかはわからない。だけど、それが達成できた社会を見たいし、そんな世界を実現したい。そう願うようになった。改めて自分の使命だと感じて、取り組めるようになった。そのためには、55歳で引退している場合ではない。

51歳になろうとする私が、人生後半に向けてなお希望が持てているのは、その未来が素晴らしいもので心から実現したいものだと考えていて、ただし、容易には実現し得ないものでもあり、かといって、荒唐無稽なほど現実離れしたものではないからだろう。人は希望があれば、元気に過ごせるのだ。

人生の終わりに向けた後半戦、どうやって不安や退屈を解消するのかと考えながら過ごすよりも、何か成し遂げたい使命を覚えて、社会や人類への貢献のために取り組んでいる方が、よほど不安や退屈もなく過ごすことができているように感じている。

「得ることよりも、与えること」これが、人生後半に希望をもたらす指針なのかもしれない。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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