多くの仕事が複雑化していくほどに、マネージャの難易度は上がり続けていきます。とりわけ部下がついたら成果を出すことと同時に、人の育成までも求められたりすると、どうしていいかわからなくなります。
しかも、心理的安全性やワークライフバランス、強みを活かす多様性に満ちた自律的な組織と言った言葉が注目される世の中です。当然ですがハラスメントなどもってのほかです。マネージャの悩みは尽きません。
そこでマネージャの仕事を、人を活かす「上司」と、人を育てる「親方」で分けて考えてみました。以下の図でまとめています。ここが互いに認識と期待がずれていると不幸が起こります。
デジタル化やAIが進むことで、現場から容易な仕事は減って、難易度の高い仕事ばかりになりつつあります。一方で、誰もが最初から高度な仕事はできません。どこかで経験を積んで育つ機会がないと、いつまでも初心者のまま何年も過ごすことになってしまいます。そこを埋めるのが再発明した徒弟制度です。
本稿では、私たちソニックガーデンが取り組んできたプログラマ育成の取り組みと経験をふりかえって、徒弟制度のキモである「上司」と「親方」の違いについて述べます。
目次
そもそも、なぜ「親方」なのか
再現性の低いクリエイティブな仕事に共通した話ですが、特にプログラミングを含むソフトウェア開発で仕事ができるようになるには、研修で知識だけ入れただけでは足りず、スポーツや音楽のように師匠のもとで経験を積んで身体で覚えることが大事です。(参考記事)
この師匠にあたる存在を「親方」と、私たちは呼んでいます。もともとは、若いメンバーを部下に持つので「マネージャ」と呼んでいましたが、それだと部下に対する接し方やスタンスなどどうあるべきか判断に迷う部分が出てきます。どこまで強いフィードバックをしても良いのか不安もあります。部下の方も、どんな心構えでいればいいのかわかりません。期待や認識の前提が揃っていないことが課題でした。
そんなときに読んだのが『棟梁 〜技を伝え、人を育てる』という本でした。宮大工の世界で多くの後進を育てた方の話は、プログラミングは工学でなく技芸であり、プログラマは現代の職人だと考えている私にとって、多くの示唆をもたらしてくれました。(参考記事)
そこで使われていたのが「親方」でした。親方は弟子を束ねて、自ら仕事をしつつも弟子が育つ環境と機会を与える。親方と一緒に仕事をしていく中で、弟子は自ら気付いて学んでいく。その関係は、上司と部下ではなく、まして先生と生徒でもありません。
大いに影響を受けた私は、徒弟制度の導入に際して、マネージャと呼ばずに「親方」と呼ぶことにしました。「親方」と名付けたことで、入社してくる弟子たち、弟子をみていく親方たち、私を含めた経営陣の関係者全員で認識を揃えやすくなったのでした。
理不尽さを無くした徒弟制度の再発明
親方と弟子の関係でプログラマを育てていく徒弟制度ですが、そもそも徒弟制度とは何だったのでしょうか。英語だとアプレンティスシップと言って、日本だけでなくヨーロッパでも古くからある職業訓練の仕組みです。熟練の指導者のもとで、業務に従事しながら、実践を通じて技能を習得するのが徒弟制度です。
ただ徒弟制度と聞くと、古臭いイメージがあるかもしれません。教えもしないで放置とか、人格攻撃のような叱責や、意味のわからない繰り返し作業、技術が身につくかわからないような雑用、それでいて碌な報酬も渡さないなど。。。何も、そうした理不尽さを再現したいわけではありません。
私たちは合理性と効率性を重んじるプログラマです。精神論や無意味な慣習は大嫌いですし、誰でもできる繰り返しの雑用などは、そもそもプログラミングによって自動化しています。つまり、弟子に対しては雑用をさせる労働力としての期待は殆どありません。純粋に、優れたプログラマを育てたいのです。
そこで、プログラマ育成にむけて徒弟制度を再発明しました。師匠となる親方につくことは変えずに、プログラマとして最速に成長できる環境を整えること、どの親方についても基礎となる型を揃えること、心身ともに健やかでいるためのケアなど、論理的かつ現代に即したものになっています。当然きちんと報酬も出して、福利厚生も充実しています。
そうなると、もはや弟子は成長に関して優遇された状態であり、ある種の権利のようなものと言えます。そこで、無駄に長く修行を積む必要もないため、その期間を約3年ほどと設定しています。そこから先もプログラマとしての研鑽は積んでいきますが、弟子扱いはされなくなります。
親方は弟子の上位互換であること
親方には、一般的な上司としての振る舞いは期待していません。プログラマである親方には、現場の最前線でコードを書き続けてもらう必要があります。弟子よりも高い技術力がなければ、技術的な指導などできないからです。
例えば親方ではなくプロジェクトマネージャなら、様々な能力を持った人たちをまとめあげて、全体として成果を出すことが求められます。プロジェクトマネージャは、必ずしもメンバー全員の上位互換でなくても良いし、むしろ一人ひとりが特定分野に優れた人たちで構成した方が良いはずです。
しかし徒弟制度では、弟子は親方と同じ仕事の仕方を身につけることを目指すので、親方が絶対的な上位互換でなければなりません。親方のできないことを弟子にさせるなんてことはなく、親方の仕事の一部が弟子の仕事であり、いざとなれば親方が代わります。
具体的には、親方は自分の仕事を分解した中で、弟子にとって難しいけれど出来そうな仕事を渡します。親方自身がするよりも時間もかかるし品質もよくないですが、出来上がったものに対してフィードバックしたり改修したりして、成果に取り込んでいきます。どうしてもダメなら捨てることも厭いません。
よくプレーイングマネージャと言いますが、それは本来マネージャがプレーまでしている状態ですが、親方は言ってみればマネージングプレーヤです。親方の本職はあくまでプレーヤ、すなわちプログラマでいることなのです。
弟子は親方を真似て学び守ること
弟子の段階で取り組むのは「守・破・離」でいう「守」です。基礎も型もない状態で、自己流で試行錯誤するよりも、まずは親方の流儀に従って、同じことができるようになることを目指した方が良いと考えてのことです。
もし仮に、自己流の創意工夫をして親方よりも高い生産性と品質で成果を出せるのならば、もはや弟子でいる必要はありませんが、そうそう簡単にはいきません。であれば、同じやり方を身につけるのが先です。
親方は最初から最後まで教えたりはしません。教えてもらうという受け身でいることは弟子の姿勢として相応しくありません。親方の所作、ツールの使い方、仕事の進め方など、コピーするかのように真似て身につけるのが弟子です。
中でも重要なことは、親方と意図を揃えることです。親方の行動には、全て意図があります。行動の表面だけをなぞるのでなく、どういった意図をもっているのか確認していきます。親方も意図を揃える労力ならば惜しみません。
親方と弟子で何度も意図を揃えて、違っていたらフィードバックをもらっていくうちに、弟子の頭の中に親方が住み着きます。それをリトル親方と呼んでますが、何をしたら良しとされるのか、親方と価値判断が揃ってきつつある証拠です。
親方は弟子に聴かず観察すること
心理的安全性を高め、自律的に行動する部下のために上司の大事なスキルは、聴くことです。1on1では、上司が話すよりも部下の話を聴くのが大事とされています。それぞれの考えを尊重し、個性を活かすのが良い上司です。
ただし、それは一定の成果を出せる状態のメンバーが揃った場合です。まだ自身だけで成果を出せない弟子の場合は、一定レベルまで伸ばすために、もっと直接的な指示と指導をすることが求められます。
親方は、弟子にとって少し難しい課題に取り組むように仕事を振ります。できるようになってきたら、また少し難易度を調整します。そうして、常にストレッチした状態を作り出すことで、伸び代を埋めていくことができます。
常に難しく、常に手応えを感じられるとしたら、夢中で続けることができます。これは、チクセントミハイの提唱したフロー理論でも言われていることです。かといって、親方は弟子に「退屈な状態か?楽しめてるか?」と問うてはいけません。
当人たちがどう感じているかを聴くのではなく、親方は観察して把握しなければなりません。弟子たちは、自分の感情のことなど考えている場合ではなく、真摯に仕事に向き合っていれば良いのです。その上で少しずつ難しい仕事を渡し続けるためには、親方の観察力が大事なのです。
親方と弟子は同じ場所で働くこと
親方の大事な仕事に、弟子を観察することがありますが、それがリモートワークになると格段に難易度が上がります。実際、リモートワークで弟子を育てる実験をしました。成長していましたが、オフィスで一緒に働くよりは成長の進捗は芳しくありませんでした。
観察が減ると、フィードバックの機会は激減します。それでも観察しようと思えば、できなくはないかもしれませんが、親方の負担が大きくなります。そもそも一人分の成果を出せない弟子であれば、親方にかかる負担は減らした方が合理的です。
よって、親方と弟子は同じ場所で働く方が良いと考えました。そうすることで親方の観察コストが下がりますし、頻繁にフィードバックできるようにもなります。それも一挙手一投足にいたるまで観察し、気付くことができるのは大きな利点です。
私たちソニックガーデンは以前までは全社員リモートワークでオフィスをなくしてきたのですが、弟子のうちはオフィスに出勤する形に移行しました。とはいえ親方たちは、リモートワークをしていて全国各地にいるため、それぞれの親方が住む土地にオフィスを作っています。
2024年現時点では、全国5カ所に点在しています。弟子になる人たちは場合によっては、親方のいるオフィスの近くに引っ越します。もちろん入社前に意思確認をした上で金銭的な補助も出しています。オフィスで働くことで弟子たち同士の交流や助け合いが産まれることも狙いです。
親方は違和感には厳密であること
リモートワークをやめてまで観察するのは、親方には違和感に対して敏感であってほしいからです。弟子のうちは個性を発揮するのではなく、親方と同じ振る舞いができることを目指していますが、考え方や意図のズレは違和感として現れるからです。
「仕事は結果がすべて」と言えば聞こえは良いですが、弟子のうちに求めるのは結果だけではありません。弓道の世界でいう「正射必中」、すなわち的に当たる打ち方が良いのではなく、良いフォームで打つことの方が徒弟制度では大事だと考えています。
どういった仕事の仕方をするのか、具体的なところでいえばプログラミングで使うエディタの選定から使い方まで、細かなところまで親方と弟子で揃えていきます。仕事の結果だけみてもわからなかった、なぜ時間がかかっているのか、品質が悪いのか、過程を見れば一目瞭然です。
そうした仕事の仕方は、人の考え方の上に成り立っています。なので、究極的には考え方の部分まで近づけていきます。なにげない会話の中にも違和感を感じたら、その場で突っ込みをいれること、流してしまいそうな些細な違和感にまで厳密に伝えねばなりません。
それは結構しんどいことでもあります。たとえ嫌な顔をされそうだとしても、厳密に言うべきことを言うのが親方なのです。ただ、弟子として入社を志望する人には、事前にそうしたフィードバックもあることは伝えてあり、それによって成長できることを望んでいる状態なので、顔色を伺う必要はないのです。
親方の考え方に一貫性があること
弟子からすると、親方の言うことが正解になります。プログラミングに正解はありませんが、少なくとも親方は自分の考えを正解として伝える必要があります。弟子に考えさせないわけではなく、考えさせるけれども、それに対して明確にジャッジする必要があります。
この際に確認すべきは結論よりも、意図です。親方と弟子で同じ意図を持てるようになれば、経験の差による結果の違いは許容できます。弟子は親方を真似るところから始めますが、表面だけをなぞっていては、頭の中にリトル親方は住み着いてくれません。
そうなると親方は、あらゆる発言や指摘には、意図を込めなければなりません。迷っても「どちらでも良い」とは言えません。何かを選ぶこと、意思決定するときに意図が必要で、さらに言えば、そこに確固たる一貫性が求められます。
もし親方に一貫性がなくて毎回異なるロジックで考えていたら、弟子は親方の顔色を伺って、親方が持つ正解を当てにいこうとしてしまいます。しかし、それではいつまでも自分の頭で考えることはできません。
だから、親方はブレてはいけないのです。親方が考えに一貫性を持ち、判断にロジックを持っていれば、弟子は、その親方の考え方のOSをインストールできて、その上で自分の考えを持つことができます。それが型を持つということになります。
親方は弟子に人間性を見せること
厳密で一貫性のある親方は、厳しくあらねばと思うかもしれませんが、なにも暴言や暴力に訴えるのではなく、プログラミングや仕事に対して真摯に向き合い、妥協しないでいれば良いのです。厳しく見えるかもしれませんが、怖くはありません。
一方で親方は、完璧な人間である必要もないし、そのように振る舞う必要もありません。親方も一人の人間なので、それぞれ個性はあります。その人間性を隠して、画一的な親方であろうとせずに、自分らしく素直にいる方が良いでしょう。
少しドジなところがあっても良いし、一緒にランチや飲みにいってしょうもない話をしても良い。弟子は、親方も普通の人間なんだと思える位で、ちょうど良いし、だからこそ徒弟の関係性を築くことができます。そのためにも、一緒のオフィスで働くのは有効です。
一般的に上司と部下の関係だと、上司の方に人事権を含めた大きな権限があります。しかし、そうした権限を振りかざして従わせるよりも、その人柄や人間性でもって慕ってもらう方が良い上司と言えます。人徳や人間性が求められるのです。
一方で親方は、人柄がどうであっても尊敬の念が失われることはありません。親方は、その肩書きや権限があるから尊敬されて、弟子が言うことを聞くわけではありません。弟子からすると圧倒的な実力の差があるから、憧れるし、尊敬するし、指導に対しても素直に受け止めるのです。
親方と弟子は目指す道が同じであること
親方が弟子の上位互換であり、その振る舞いを真似て身につけていけるのは、親方と弟子で取り組む仕事が同じで、進んでいる道も同じだからできることです。弟子からすると遥か遠くですが、同じ道の先に親方はいます。そして親方もまだその先に進もうとしています。親方と弟子は同志なのです。
私たちソニックガーデンは、良いソフトウェアをつくることを存在意義の目的としており、そのために良い作り方も追求した結果として流派ができて、その道を極めようとするプログラマたちの集まりになっています。会社というよりもコミュニティという方が近いでしょう。
「チームとコミュニティの違い」の記事に書いたように、ミッションのために集まったチームには、多様な職種や能力が必要です。そうした人たちが集まったチームに必要なのは、親方ではなくリーダーや上司にあたるマネージャです。しかしチーム内で、人を育てるまでしようとするのは困難なことです。
ソフトウェア開発の道を極めようとするビジョンを持つコミュニティだからこそ、人を育てるための徒弟制度の中で親方と弟子の関係があるのは、とても相性が良いように考えています。だからこそ、応募者の方には入社ではなく入門だと伝えています。そこから高い技術力とセルフマネジメントを身につけ、ひとかどのプログラマになって欲しいと願っています。
生活を豊かにする職業の一つとしてプログラマを選ぶのも良いでしょう。しかし、ソフトウェア開発は単なる労働としておくにはもったいない喜びに満ちた活動だと考えています。興味あれば、ぜひ私たちと一緒にソフトウェア開発の道を探求しませんか。