「仕事を技芸として捉える」
そう言うと、多くの人は「職人のように自分の好きなことだけを追求する生き方」や「社会との関わりを断って、作品作りに没頭するアーティストのような姿」を想像するかもしれません。
確かに、技芸には「没頭」や「こだわり」が必要です。しかし、それが単なる独りよがりな自己満足であってはならない。私が提唱する「仕事技芸論」において、最も誤解してほしくない点がここにあります。
私たちは趣味で陶芸をしているわけではなく、あくまで「仕事」として技芸に取り組んでいます。仕事である以上、そこには必ず「相手」がいます。相手の役に立ち、価値を認められ、対価をいただく。つまり、技芸の根っこには、必ず「商売」の感覚がなければなりません。
「商売」という言葉に、泥臭い、あるいは少し俗っぽい響きを感じる方もいるでしょう。しかし、私はあえて「ビジネス」や「事業」ではなく、「商売」という言葉を使いたいと思います。
なぜ私が、技術や美意識と同等か、それ以上に「商売」を重要視するのか。それは、私自身がかつて「技術さえあればいい」と信じて挫折し、商売という壁にぶつかることで初めて、本当の意味で自立できたという原体験があるからです。
「ビジネスごっこ」をしていた頃
私はもともと、プログラマとしてキャリアをスタートしました。プログラミングは私にとって天職で、コードを書くこと自体に喜びを感じる人間でした。
大手システム会社(SIer)で経験を積み、プロジェクトマネージャとして受託開発の現場を指揮する立場になりました。そこでは、予算管理、スケジュールの遵守、利益率の計算など、いわゆる「ビジネス」の数字を扱うことが日常でした。
当時の私は、こう思っていました。「自分は技術だけでなく、ビジネスも分かっている」と。
しかし、今振り返れば、それは大きな勘違いでした。私がやっていたのは、ビジネスではなく「管理」に過ぎなかったのです。
受託開発の世界では、プロジェクトが始まった時点で「顧客」が存在します。作るべきものの仕様はおおよそ決まっていて、契約通りに納品さえすれば、確実にお金が入ってきます。「誰に売るか」「なぜ買ってもらえるのか」を考える必要はありません。
すでに誰かが敷いてくれたレールの上で、脱線しないように走る。それは、守られた箱庭の中での「ビジネスごっこ」でした。
私はその壁の中で守られていることに気づかないまま、「いいモノさえ作れば評価される」という技術者特有の傲慢さを肥大化させていたのです。
「いいモノ」だけでは売れない
転機が訪れたのは、社内ベンチャーを立ち上げたときでした。
当時、私は全社の技術戦略を担当する部門にいて、社内の技術情報共有を活性化するために、社内限定のSNS(社内ブログのようなツール)を構築・運用していました。これが社内で非常に好評で、多くの社員が使い、コミュニケーションが活発になったのです。
「これはすごい。うちの会社でこれだけ役に立ったのだから、世の中の企業も絶対に欲しがるはずだ」
私はそう確信し、その社内SNSを一般企業向けのサービスとして外販する新規事業を立ち上げました。すでに動くモノはある。実績もある。あとは売るだけだ。意気揚々と市場に乗り出しました。
しかし、結果は散々でした。全く売れなかったのです。
当時の市場には「社内SNS」なんていうカテゴリ自体が存在しませんでした。顧客からすれば、見たことも聞いたこともないツールです。「いいモノ」を作ったつもりでしたが、それは私たちの「自分たちが欲しかったもの(シーズ)」であって、顧客の「欲しいもの(ニーズ)」ではなかったのです。
売れない現実に直面した時、エンジニア出身の私が何をしたか。あろうことか、私は「開発」に逃げ込みました。
「売れないのは機能が足りないからだ。もっと高機能にすれば売れるはずだ」
そう自分に言い聞かせ、オフィスにこもって開発に勤しみました。しかし、どれだけ機能をリッチにしても、売れるわけではありません。作ったものが誰にも届かない。価値が認められない。
その時、初めて恐怖を感じました。「作るだけでは仕事にならないのだ」という、当たり前すぎる、しかし冷厳な事実に打ちのめされたのです。
泥臭い「商売」の現場へ
追い詰められた私は、プライドを捨てて、自ら営業に出ることにしました。もちろん、営業経験などありません。営業支援の会社に入ってもらい、見よう見まねでリストを作り、片っ端からテレアポをしました。
「社内SNSという画期的なツールがありまして……」
「結構です」
「一度だけでいいのでお時間を……」
「忙しいので」
ガチャリと切られる電話。エンジニアとして社内で一目置かれていたプライドは、粉々に砕け散りました。それでも何とかアポイントを取り付け、訪問しても、結果は同じでした。
私は必死に「この製品がいかに優れているか」「どんな最新技術を使っているか」を熱弁しました。しかし、顧客の反応は冷ややかです。「で、それがうちになんの関係があるの?」という顔をされて終わります。
私はまだ、自分の「技芸(プロダクト)」を見せびらかしていただけだったのです。相手のことなど、何も見ていませんでした。
「説得」から「対話」へ、そして「商売」へ
鳴かず飛ばずの日々が続く中で、ある時、私はアプローチを変えました。自分の商品の説明をするのをやめて、相手の話を聞くことにしたのです。
「最近、お仕事で困っていることはありませんか?」
「社内の情報共有で、うまくいっていないと感じる場面はどこですか?」
そうやって問いかけると、顧客はぽつりぽつりと悩みを話してくれます。「メールだと埋もれてしまう」「若手が日報を書くのを嫌がる」「部署間の壁がある」…
相手の「困りごと」が見えたとき、初めて私の手元にあるツールが意味を持ちました。
「それなら、このツールを使って、日報をもっとカジュアルな投稿に変えてみませんか? そうすれば若手も書きやすくなるかもしれません」
そう提案したとき、相手の表情が変わりました。パズルのピースがカチッとはまるような感覚。「それなら、試してみたいね」と言ってもらえました。
初めて自分の手で契約を取れたとき、私は「売れた」というよりも、「役に立てた」という深い安堵感を覚えました。
それは、「新規事業」や「ビジネスモデル」といった大仰な言葉で飾るようなものではありませんでした。「困っている人がいて、それを自分の技術で解決し、喜んでもらって、対価をいただく」。
ただそれだけの、シンプルで原始的な「商売」でした。しかし、その手触りこそが、私がずっと求めていた「仕事の原点」だったのです。
技芸を磨くための「規律」
この経験を経て、私は「仕事を技芸とする」ことの意味を再定義することになりました。
技芸とは、単に技術力が高いことではありません。また、自分の作りたいものを自由に作ることでもないのです。
「商売(他者への貢献)」という強固な土台があって初めて、「技芸(自己の表現)」は成立するのです。
商売を意識するということは、常に「相手」を想像することです。相手は何に困っているのか、どうすればもっと喜んでくれるのか。その制約と向き合い、試行錯誤するプロセスの中にこそ、技芸の上達があります。
もし私が、あのまま「売れなくてもいいから、すごいコードを書きたい」と独りよがりな開発を続けていたら、それは仕事ではなく「道楽」になっていたでしょう。逆に、相手の言いなりになるだけで工夫を捨てていたら、それは「苦役」になっていたはずです。
自分の腕で稼ぎ、自分の足で立つ(商売をする)ことができるようになったからこそ、私は誰にも強制されず、主体的に仕事に取り組み、技芸を磨き続ける自由を手に入れることができました。
だからこそ、仕事技芸論の入り口は「商売」なのです。
自分たちが生きる糧を、自分たちの技で稼ぎ出す。商売という、この健全なサイクルを作ることこそが、私たちが一生をかけて仕事を楽しみ、上達し続けるための、最初の一歩なのだと思います。

