先日、以前に私が代表を務めていたXPJUG(日本XPユーザグループ)が主催する"XP祭り"で講演依頼を頂いたので、話してきました。

当初は「なぜアジャイル開発はうまくいかないのか」という講演タイトルで話すことを考えていたのですが、その内容については既にブログに書いてしまったこともあり、また、もはや「納品のない受託開発」について話すのも自分自身が食傷気味だったこともあり、何でもありの"XP祭り"らしく、急遽、話すことを変えました。

以下が当日の資料ですが、実質は8ページ目からが本番です。私が話そうと思ったことは「ビジョンとミッションの大切さ」についてです。この記事では、私の考えるビジョンとミッションの意味と、そこまでに至った私のストーリーについて書きました。

自分のミッションの気付き

「ミッション」と「ビジョン」については、よく企業経営の話題の中で出てくる言葉ですが、なにも企業の経営に限った話ではなく、個人レベルの話であっても知っておいて損のないものです。自分の人生の経営者は自分ですからね。

様々な人や本によって定義はマチマチなのですが、概ね「ミッション=存在意義」「ビジョン=未来の姿」で通じるのではないでしょうか。私たちは、この「ミッション」と「ビジョン」に加えて「価値観」の3つを会社経営をしていく上で大事にしています。

「価値観」は、社内で何か事業でも作業でも判断をする際に判断基準になるものです。つまりコンパスみたいなものです。「価値観」をコンパスだとすると、私の考えでは、「ミッション」がスタート地点で、「ビジョン」がゴール地点になるイメージです。

私が自分自身のミッションに気付いたのは、社会人になってからです。私はずっと学生時代から趣味に仕事にとプログラミングには携わってきたのですが、それまでやってきた自分の知っているプログラミングと、大手SIerに入って多くの現場で行われているプログラミングに大きなギャップを感じたのです。

私の知るプログラミングとは、とても自由でクリエイティブで楽しいものでした。しかし、SIerのシステム開発の現場で行われていたプログラミングは、まったく違っていました。詳細に決められた仕様書の通りに、会社で決められた仕組みとルールの上に乗せていくように、ソースコードの美しさなんて気にしていない、気にするのは納期ばかりで、誰もプログラムそのものを重視していなかったのです。

これではいけないと思ったものの、どうすればいいかわからない。そんな時に出会ったのがXP(eXtreme Programming)でした。XPはアジャイル開発の源流にあたるものです。XPの本を初めて読んだとき、「これだ!」と、プログラマにとっての理想の開発や働きかたを見つけたと思ったものです。そこに、私の目指すビジョンを見たのです。

それから、私はXPの本に書かれていたような、プログラマが尊重され、作ったソフトウェアが喜ばれるような、そんな開発ができることを目指して活動を始めるのです。アジャイル開発を日本に広めるというのも、その手段の一つでした。SIerの中で辞めずに偉くなっていこうとしたのも、その手段の一つでした。どれも、私のミッションのための手段だったのです。

ミッションに気付いてから、どんな仕事も楽しくなりました。その気付きがあったからこそ、今の自分があるように思います。プログラマの仕事が尊重されるものになり、楽しく仕事ができるようになりたい、それが私のスタート地点だったのです。

ビジョンに至るまでの道のり

アジャイル開発は私の理想でした。アジャイル開発を広めるために、自らがアジャイル開発を実践し、それを事例として世に出すことに一生懸命に取り組んできました。まだ若かった私は、アジャイル開発の事例を作ることが、プログラマが幸せに至る道だと純粋に信じていたのです。

しかし、私は気付くことになるのです。私にとっての理想は、必ずしもすべての人にとっての理想ではないことに。今になって考えてみると当たり前のことですが、当時はそんなことは欠片も考えていなかったのです。それに気付いたエピソードを、以前の記事で書いたので引用しましょう。

昔話をしましょう。私が大きな会社でプロジェクトマネージャをしていたときの話です。30人ほどのプロジェクトで、パートナー会社から派遣で何名か来て頂いて一緒に開発をしていました。もちろんアジャイルな進め方で、社員もパートナーも分け隔てなく、一緒に朝会をして、設計をして、ペアプログラミングをして、ふりかえりをしていました。私はそれが正しい姿、あるべき姿だと思っていたんです。

あるとき、パートナー会社の偉い人に呼び出されます。そして、こう言うわけです。「私たちは別に一緒に設計したり改善活動したりしたい訳ではない。ちゃんと社員さんに言われた通りに作るので、指示をしてもらって実装だけを任せてほしい」と。衝撃的でした。私は本当に純粋な気持ちで、現場のエンジニアのためにやっていたことが、彼らにとっては、本当に大きなお世話だったんです。とても考えさせられる出来事でした。

アジャイル開発をするために、メンバーを説得する、お客さまを説得する、上司を説得する、本当にそれは正しかったのでしょうか。私のビジョンと、周囲のビジョンは一緒だったのでしょうか。理想が違ったときに、どれだけ説得をしようとしても、人を変えることは出来ないことを知ったのです。そして、理想が違うことは何も悪いことではないのです。

では、どうすれば良いのか、考えました。精神論や理想論を振りかざしても何も変わりません。気持ちの問題ではないのです。上司も同僚も、パートナーの人たちも、その仕組みの中で真面目に仕事に取り組んでいるだけなのです。それぞれの個人には問題ありません。そうであれば、問題は仕組みにあるのです。仕組みが変われば、きっと働きかたも変わるはずです。

人を変えることはできないけれど、仕組みは変えることはできます。しかし、既に動いている会社の仕組みはそう簡単には変えることはできません。ではどうするか、新しい仕組みの会社を作り出せば良いのです。そうして、私は社内ベンチャーを始め、その2年後に買い取って、自分の会社として、株式会社ソニックガーデンを始めることになりました。

会社を始めるにあたって、ようやく会社としての明文化されたビジョンを考えることになります。なんとなくはあったし、知識としてビジョンの重要性は理解していたものの、どうやって考えるのか、わかっていませんでした。しばらく悩んでいたのですが、独立して会社をやっていくと決めたときに一緒についてきてくれると言ってくれた仲間たちの顔を見渡していたとき、それは自然と導き出されてきました。

社内ベンチャーから独立するときの主要事業は、企業向けの社内SNS「SKIP」の販売のみでした。その事業を拡大していくという選択肢もありました。しかし、そのためには社内SNSに関する業務ノウハウを本質とした会社にしなければいけません。プログラミングやエンジニアリングより重視しなければいけないでしょう。しかし、一緒にやっていこうという仲間たちは皆プログラマでプログラミングが大好きな人たちでした。

そして、私自身もミッションを改めて認識しなおすことになるのです。私もプログラミングが大好きだったのです。そうであれば、私たちが「ソフトウェア開発」に重点を置いた会社にしようと決めることは自然なことだったのです。その仲間たちと一緒に目指せるビジョンは何か、そう考えたとき、今のソニックガーデンのビジョンは自然と見えてきたのです。

ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則」という本に、こういう一節があります。私たちは、まさしくバスの仲間と一緒に行き先、ビジョンを決めたんです。

まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、その後にどこに向かうべきかを決めている。

理想を語れ、そして行動しよう

アジャイルに限らず何かがうまくいかないなんて嘆くのは、理想やビジョンがないからではないでしょうか。未来に向けたビジョンがあれば、今を嘆くのではなく、どうすればいいかを考えるようになります。そんな嘆いている時間がもったいないのです。

もし自分の信じるビジョンと会社のビジョンのベクトルがあっていないならどうすれば良いのでしょうか。それをすりあわせることも一つの答えでしょう。何を大事にするか、価値観は人それぞれです。正解はありません。もしも、すりあわせることも出来ないのであれば、環境を変えてみるしかありません。ただし次に移るなら、きっちりとビジョンがあっているところに行くべきでしょう。そのためにも、自分自身のビジョンとミッション、個人としてみた自分の人生のビジョンを知っている必要があります。

なかなか普段の生活の中でビジョンやミッションなんて考えることはないかもしれませんが、機会をもって考えることで、より自分の人生の姿勢がクリアになってきます。そして、ビジョンが見つかったならば、それを語れば良いのです。

もし自分一人では成し遂げられないビジョンなら、仲間が必要です。どうすれば仲間を集めることができるのか。ビジョンを語るんです。もし、そのビジョンが本当に、世の中のためになるもので、誰かにとっても共感してもらえるものであれば、一緒にやろうと言ってくれる人が出てくれる筈です。

そして、行動することです。ビジョンのない行動は、ただの衝動です。長続きはしません。そして、行動のない理想は、ただの妄想です。語るだけのビジョンに価値はありません。ビジョンをもって行動することで、自分の願う未来に近づくことができるのでしょう。

ただ、難しく考える必要はありません。まずは自分の好きなことを知ることから始まります。私がアジャイル開発に出会ったとき、世界を変えようなんて思ってもいませんでした。プログラマが尊重されるようになれば良いと思っていましたが、それは私がプログラマであったからで、私が尊重してもらいたいと思っていたからです。とても自分本位で、何も大層なものではなかったのです。

そして、それはそんなに簡単に叶うものではなく状況はまさしく逆境でした。私は負けず嫌いなので、逆境であればあるほど、なんとかしたいという思いは強くなって、人生の時々に訪れるチャンスのときに行動してきました。そうしているうちに仲間ができ、自分のビジョンよりも大きな仲間とのビジョンが見えてきたのです。

誰もがそんな感じで良いんだと思います。最初から世界を変えようなんて考えるんではなく、自分のために、自分が納得いくように、まずは行動してみることで始まります。もしそのビジョンと行動が、世の中を良くしようというものだったら、きっと応援してくれる人が出てくるはずです。そういった一人一人の積み重ねが世界を変えることに繋がるのだと思います。

理想とか綺麗事と言うが それを成しとげた時
それはただの”可能な事”になり下がる
理想を語れよ 
理想を語れなくなったら人間の進化は止まるぞ(鋼の錬金術師)

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Pointer in the mountains / Oleh Slobodeniuk