物理オフィスがない完全リモートワークまでの10年間の道のり

私たちソニックガーデンには、本社オフィスがない。全員がリモートワーク、在宅勤務なので、物理的に出社するためのオフィスをなくしてしまった。

今は、テレビ会議とバーチャルオフィスを組み合わせて普段は仕事をしている。

リモートワークに取り組む際に、私たちのやり方をそのまま真似をするとうまくいかないかもしれない。なぜなら、私たちも一気に今の状態になったわけではないので、私たちと同じように段階を踏んで進めていくのが良いのではないだろうか。

本記事では、私たちが物理オフィスのない完全リモートワークに至るまでに取り組んできた試行錯誤の変遷をふりかえってみよう。

ステップ0.昔ながらのオフィス(2008年頃)

私たちソニックガーデンは、もともとは大手企業の社内ベンチャーとして始まった会社だ。その当時は、それはもう本当に普通の働き方をしていた。

浜松町にある大きなビルが会社のオフィスで、私たちはその10階にある会議室を改造した部屋を借りて働いていた。

社内ベンチャーとはいえ身分はその会社の社員であるため、毎日決まった時間に通勤して出社していた。もちろんスーツだ。

それが当たり前の状態だったので、さほど不便や苦痛はなかったように思う。通勤も好きではなかったが、だからといって何かできる訳でもないから、考えるだけ無駄だと思っていた気がする。

ステップ1.ペーパーレスへの取り組み

最初に取り組み始めたのは、紙の書類を使った仕事をなくすことだ。

そういっても、もともと会社内の連絡などはシステム化されており、どうしても紙でないといけない仕事は、それほどなかったのだが。

会議をする際などに、資料を印刷してくばるようなことはあったが、社内ベンチャーを始めるにあたって、自分たちだけが参加するミーティングならば印刷は不要だろうということになった。

自分たちが借りた一室には大きなコピー機プリンタは置かなかった。契約書の原本などを管理することはあったが、日常的に紙を扱って仕事をすることはなくなった。

ステップ2.クラウド化への取り組み

紙の代わりにデータを扱うのだが、その頃からクラウドのツールを使い始めた。

当時は、Dropboxを使っていた。社内のファイルサーバを使う手もあったが、社内ベンチャーなので、なるべく本体に依存しないようにしたかった。

社内ベンチャーを始めたときに、メールアドレスもGoogle Apps(現GSuite)のGMailで用意して、ソースコードの管理もgitに移行するタイミングでgithubへの登録を行なった。

さらに事業を立ち上げるときにAWSの採用を決めた。所属していた会社のデータセンターを使うとコストがかかりすぎるため、すべてAWSで構築してサービス提供するようにしたのだ。

会社に依存しないようにした結果、あらゆるクラウド化を実現することができた。

ステップ3.メールからチャットへの移行(2010年頃)

チャットを使った仕事をするようになったのが、次のステップだ。当時は、社内ベンチャーで人数が少なかったのでSkypeのチャットを使うので十分だった。

まだオフィスで働いていたので、チャットは口頭での会話を補完するために使っていた。社内ベンチャー内でメールを使うことをやめたのも、この時期だった。

お客様など社外との連絡は仕方ないにしても、メールという鈍重なやりとりではスピード感が出ないと感じて、youRoomというツールを自作して使うようになった。

件名をなくして本文のみ、あえて文字数制限あり、階層型でコメントができる、メーリングリストのような参加者設定、GMailのようなアーカイブ機能を備えたサービスで、社内コミュニケーションの小口化・円滑化に非常に役に立った、

これで、今の私たちが実現している高生産性のワークスタイルの基礎が確立した。

ただしこの時点までは、誰もリモートワークをしていない。つまり、リモートワークを始める前の準備段階だったと言える。

ステップ4.テレビ会議の活用(リモートワークの開始)

この時期に、社内ベンチャーで一緒に働いていたメンバーが、仕事は続けながらも海外で働いてみたいという思いがあり、それを私たちは応援することにした。

そして運良くビザが取得できたアイルランドへ1年間旅立って行った。

前述の通り、社内のコミュニケーションはすでにオンラインでもやりとりが出来ていたし、お客様とのやりとりも、テレビ会議を活用することで何も支障はなかった。

当時はSkypeを使っていた。海外に出る前からずっとテレビ会議を試すようにしていたので、しばらくは海外にいることに気付かないお客様もいたほどだ。

少し大変だったのは時差だ。日本とアイルランドでは9時間の時差があるため、早朝から仕事を始めてもらうことで対応した。それで終業が早くなり午後からはプライベートでヨーロッパの旅を満喫できたようなので良かった。

テレビ会議は、始めたばかりの頃は抵抗があった。少し照れくさいし、なんとなく伝わらないんじゃないかって不安もあった。しかし、すぐに慣れた。

ステップ5.音声を繋ぎっぱなし(2012年頃)

2011年には社内ベンチャーを買い取る形で独立し、株式会社ソニックガーデンとして出発した。

それまでいた大きなビルから、外苑前にある小さな雑居ビルの1フロアに移転することになった。そうはいっても、まだオフィスがあった時代だ。

独立したこともあって、ソニックガーデンとしての中途採用も開始した。

アイルランドに1名いたので、もはやどこでも良いだろうと、勤務地不問つまりリモートワークの応募とした。そして始めての応募が、兵庫県西脇市からあったのだ。

採用して最初から在宅勤務というのは初のケースだったので、いくつか工夫をおこなった。そのうちの一つが「音声を繋ぎっぱなしにする」というものだ。

オフィスにある1台のPCでskypeを立ち上げたままにして、いつでも声をかけられるようにしたのだ。それによって存在感も感じられることも良かった。

ステップ6.バーチャルオフィスの導入(2014年)

音声を繋ぎっぱなしにするのは、ある程度うまくいったが、リモートワーカーが増えてすぐに破綻してしまった。

3箇所以上で同時に繋いで2箇所で会話が始まると、それ以外には煩いのだ。物理的に離れていないので、すべて同じ音量になってしまうからだ。

そこで、やはりチャットでのコミュニケーションに向き合うことになる。

当時に登場したばかりのSlackも試してみたが、私たちが実現したいコミュニケーションは難しいと判断した。どのチャットも情報を伝えるためのツールだった。

そうではなく、私たちに必要だったのは「情報を伝えないときも一緒に働いている」という感覚になれる場所だ。情報を伝えたいときや通知が来たときに起動するのではなく、いつでも繋がっている状態でいられる場所が欲しかった。

オフィスと同じように、顔を見ながら働けたり、いつでも雑談ができたり、ちょっと相談するのに声をかけたりできる場所。それを物理的な制約のないオンラインの世界に作ることにした。

そして誕生したのがバーチャルオフィスのRemottyだ。

ステップ7.論理出社で全社員リモートワーク推奨

もちろん、当時もまだオフィスはあった。むしろ会社の人数が20人近くになってきたので、渋谷に大き目のオフィスを借りて移転をしたばかりだった。

だから全社員がバーチャルオフィスでコミュニケーションしていたが、物理オフィスも併用していた。

実際の渋谷にあるオフィスに出社することを「物理出社」と呼び、バーチャルオフィスに出社することを「論理出社」と呼ぶようになった。

そこから次第に、リモートワークで働く社員の数が増えていき、社内の半数を超える数になったとき、物理出社している社員の方がマイノリティになった。

そこで、思い切って全社員をリモートワークすることをデフォルトにした。社長である私も当然で、むしろ率先して出社しないようにした。

全員が毎日、物理出社して通うことをやめた。仕事中の「論理出社」は必須だが、「物理出社」はオプションになったのだ。

ステップ8.物理オフィスの撤廃(2016年)

バーチャルオフィスへの論理出社がメインになったことで、物理オフィスの価値は相対的に下がってしまった。要は使う人が減って、もったいなくなった。

ちょうど契約が切り替わるタイミングでもあったので、物理オフィスを移転するのではなく撤廃することにした。我ながら大きな決断だったと思う。

住所の登記だけを渋谷区のままに残して、いわゆるオフィスらしいオフィスはなくなった。バーチャルオフィスこそが私たちにとってのオフィスになったのだ。

それを機に、電話の受け取りサービスを使ったり、郵便物は受け取ったらスキャンしたり、バーチャルオフィス内で受け取れるように仕組み化した。

ただし、東京近辺に住んでいる人たちの住環境を配慮して、自由が丘に事務所利用できる、ちょっと大き目の住居用のマンションを借りた。使いたいときに使っても良い場所で、営業する際の来客などもそこで対応している。

ワークプレイスと呼んでいるが、そうした場所は今は全国に3箇所ある。

ステップ9.オンラインファーストの世界に(2018年)

今となっては、バーチャルオフィスへの論理出社と言わずに、もはや普通に出社する感覚となった。毎日出社して働いている。

出社して挨拶して、同僚たちと一緒に働く。雑談もしたり、会議や相談もするし、飲み会だってする。その世界に生きている感じがする。

これは、オンラインゲームをやったことのある人ならわかる感覚だ。そうゲームの世界に入って、そこで会っている感覚に近い。

ゲームなら集まって狩りや勝負をするところを、プログラミングしたりディスカッションしたりしているだけだ。そして、私たちにとっては仕事すら遊びのようなものだ。これは毎日ゲームしてるようなものかもしれない。

そして、先日に行なった入社式はついに物理的に開催するのをやめて、オンライン空間で実施したが非常にしっくりきた。

この現象は「オンラインファースト(オンラインを先に考える)」というパラダイムへのシフトだと、私は考えている。そして、これこそが2018年時点で取り組めるリモートワークの究極の形ではないだろうか。

ステップ??.そして未来へ

果たして、これでワークスタイルとオフィスの進化は終わりだろうか。いや、そんなことはない。私たちは既にさらに先に行こうと考えている。

今、試しているのがVRだ。もしかしたら、こんな未来がくるかもしれない。

倉貫 義人

株式会社ソニックガーデン代表取締役社長。経営を通じた自身の体験と思考をログとして残しています。「こんな経営もあるんだ」と、新たな視点を得てもらえるとうれしいです。

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