人を育てるときに考えていることは何か?と聞かれて、育てようとしないことだと答えた。育つかどうかは相手次第なので、コントロールできない。
育つ機会や試練は渡すことができる。その機会を活かせるかどうか、活かすかどうかも本人次第。渡す仕事の難易度の調整が絶妙に難しいんだけど。
あとは、任せたらうまくいかなそうでも助けない。失敗してしまったら、それも大きな学びになる。大怪我にならないような受け身だけ教えておく。
任せて、うまくいったら成功体験になって、それで結果的に育っていってる感じがする。
人を育てるときに考えていることは何か?と聞かれて、育てようとしないことだと答えた。育つかどうかは相手次第なので、コントロールできない。
育つ機会や試練は渡すことができる。その機会を活かせるかどうか、活かすかどうかも本人次第。渡す仕事の難易度の調整が絶妙に難しいんだけど。
あとは、任せたらうまくいかなそうでも助けない。失敗してしまったら、それも大きな学びになる。大怪我にならないような受け身だけ教えておく。
任せて、うまくいったら成功体験になって、それで結果的に育っていってる感じがする。
“保育園という職場においても、心理的安全性が高く、ゆとりがある環境は実現可能でしょうか?” 保育園にお勤めの方から...
ソニックガーデンは6月で期末なので、11期目を終えて、本日から12期に入りました。お客さま、パートナーの皆さん、社員の皆に、そのご家族の皆さん、いつもありがとうございます。
毎年同じように思いますが、11期も終わってふりかえってみると、喜ばしいこともありつつ、過ごす日々は大変なことが多かった。だけど過ぎてみれば、それで良かったと思うことばかり。
幸いにも、売上も利益も過去最高の業績となり、それは誇らしくもありますが、一方で、大きくなる組織や事業に向き合う中で、様々な課題に取り組み、制度や規則を整備してきました。
ただ、規則や制度を重視しすぎて、新たな学びや体験の機会が失われたり、配慮しすぎて率直なコミュニケーションが取れなくなってしまうのは、私たちらしさが無いな、と気付きました。
時には失敗もしつつも果敢に挑戦したり、伊達や酔狂でアプリを開発したり、気のおけない仲間たちと時には愚痴ったり、激しく意見をぶつけ合ったりして、のびのびと過ごしていきたい。
成功体験に捉われず、固定観念も捨てて、だけど、一人一人が自分たちらしく、社会やお客さまのために仕事に取り組んでいければ、その結果はどうなるにせよ、素晴らしいことなのでは。
これまで良い結果が出過ぎてきたから、いつのまにか結果のために頑張るようになってしまった部分もあったかもしれない。責任感は大事だけど、責任に縛られ過ぎていたのかもしれない。
できればコントロールすることなく、それぞれが好きにやりたいことを、やりたいようにやっていってほしい。もし失敗しても、ふりかえりだけ忘れなければ、きっといつかうまくいく。
会社も長く続けること、サステナブルであることを良しとしてきたけれど、それを目的としてしまうと縛られる。締切や終わりを意識せず、らしく過ごしたら、結果として長く続けば良い。
のびのびし続けるために、ふりかえりをどれだけ高速にまわしていけるか。だけど、じっくりと時間をかけていくこと。その両立が、ソニックガーデンという名前の由来に繋がっています。
のびのびと自分たちらしく、そうして社会やお客さまに対して価値を提供していれば、誰もが幸せになれるように思います。私たちソニックガーデンの12期も、皆様よろしくお願いします。
組織が大きくなってきて、若い人も入ってきて、色々な職種が混在するようになってきて、いよいよ規則や制度を作らねばと考えた一年だった。
組織における規則の重要さについて、とても学べた。一方で、果たして本当に規則がないといけないのかも考えた。規則より大事なことは何か。
それは「ふりかえり」では。個々人で内省することも、先輩や上司からのフィードバックありきの内省も含めて、修正と学びの機会があること。
規則があることで、アンフェアなことも起きず、問題も事前に防ぐことができる。厳密であればあるほど、間違いが起きなくすることができる。
だけど、間違いがないってことは、失敗もなくなり、組織や業績は安定するかもしれないけれど、そのかわりに学びの機会が失われていないか。
人は、自分の意思で考えて行動したことでしか学べない。それがたとえ失敗でも成功でも。つまり「自分でつかんだ答えなら、一生忘れない」。
規則や制度、ビジネスモデルで人を守っているように見えて、育つ機会を奪っていやしないか。時には、はみ出ることで学ぶこともあるのでは。
大事なことは「ふりかえり」を欠かさないこと。それも、頻度を高くして、周りからフィードバックする。そうすると失敗ではなく学びになる。
ふりかえりが文化にまでなっていれば、厳密な規則がなくても、時間はかかるけれど、価値観は揃い、大きな間違いは起こらないのではないか。
組織が大きくなったから規則が必要になるのではなく、スケールに対して効率を求めるから規則が有効なのではないか。効率を忘れたらどうか。
いちいち考えたり、間違いに対して是正したり、違う考えをすり合わせたり、効率は良くないけれど、長い目でみたら、強い組織にならないか。
ふりかえりだけはしっかりと根付かせる。それさえあれば、自分たちで考える力が身につくし、ケースバイケースでこそ変化に対応していける。
もちろん法令を破ることの無いように、周囲に過大な迷惑をかけたり、誰かをひどく傷つけるようなこともないよう、規則として制定しておく。
規則や制度が悪いわけではない。とても大事で欠かせないけれど、規則があるからと思考停止にならず、チャレンジしやすい風土にしたかった。
そういえば、ソニックガーデンにはコードレビューはあるけどコーディング規約がない。常に更新され、今が最高のコードを書けるからが理由。
これに通じるものがある。私たちの指針は、すぐ目の前に、最初からあったんだな。
仕事をするときに、指示された仕事よりも、任された方がやる気が出る。というのは道理だけれど、そもそも任して良いかどうか判断が入る。
誰かと働くとき、仕事を頼む側と頼まれる側には、力量や経験や視野の違いがあり、互いのことを知ってるかも含めて関係性には段階がある。
たとえば新卒で入社したばかりだと、まず仕事は、任されるより指示されることが多い。これはまだ任して良いかわからないから仕方がない。
指示された仕事でも、真摯に前向きに取り組んで成果を出していけば、その姿勢を見ることで信頼関係はできて、仕事を任されるようになる。
仕事を任されるようになったら次は、どうすればより成果を出せるのか考える。その中で自分の強みや軸を見つけ、磨いて発信していくこと。
自分の軸が確立して強みを周りに知られるようになると、今度は周りの人から頼られるようになる。この分野はこの人に頼ろうとなっていく。
頼られる人になれば、独立してフリーランスでもやっていけるし、会社にいても自立して強い立場でいられる。生殺与奪の権を自分で持てる。
互いの強みを活かして頼り、頼られることでチームや仲間になれる。頼られたことに期待を越えて応えていくことで、社内外に評判が広がる。
最終的に、ひとかどの人物になって一目おかれるようになっていけば、何か新しいプロジェクトなどあった時に、誘ってもらえるようになる。
もはや仕事として頼られるというよりも、損得なしで一緒に遊ぶ感じで誘ってもらえて、それが良い経験になったり、仕事に繋がったりする。
そこまでいくと、仕事か遊びかわからないし、仕事相手か友人かわからなくなるけれど、自分の強みを活かして楽しく働ける。自由な働き方。
自立や自由が良いと望むとしても、それを環境に求めるのではなく、自分自身で期待を超えた成果をあげていけば、段階的に手に入っていく。
どうすれば自由に楽しく働けるかを考えたり悩むよりも、どうすれば卓越した成果を出せるのかを考えた方が、いずれ自由に働けるのかもね。
アオアシ最新刊を読んでからの、アオアシ本を読みます!サブタイトルが良いですね。アオアシは育成に携わる人は読んで欲しい。
最近、私としては若手プログラマの育成に携わり、改めて感じることが、『自分で掴んだ答えは一生忘れない』という劇中の言葉。
たとえば仕事に対するスタンス。上司から言われた仕事だと思って取り組んでいる限り、そこから得られるものは限りなく少ない。
面白くなさそうな仕事であったり、一見キャリアに繋がらなそうな仕事であったり、そうした自分の望む仕事じゃないこともある。
そうした時にさえ、自分の仕事だと考えられれば、どうすればより成果が出せるのか、学べることはないか、前向きに取り組める。
どんな仕事でも、テーマを持って頭を使って一生懸命に取り組めば、何かしら得られるものはある。それが次のチャンスに繋がる。
こうしたことを、どれだけ説明しても、懸命に伝えても、人は変わりはしない。人は知識を教えられるだけでは変わることはない。
だけど、自分で考え、気付き、自分なりの覚悟を持つことができれば、その人の仕事ぶりは大きく変わる。周りからの目も変わる。
前向きな人には仕事を任せられる。仕事は任せられるようになると面白くなる。任せてもらえるためには、自分で気付くしかない。
面白い仕事が与えられないと不平をもらしているからと、育成を担うマネージャは、面白いと思う仕事を渡そうとしてはいけない。
そんなことをすれば、その先も誰かに与えられる環境でしか生きていけなくなる。与えられるだけの人は、ずっと不満を言うはず。
だから、自分で気付いてもらうしかない。マネージャは真摯に成果を求め続けることしかできない。葛藤から気付くのは自分だけ。
『自分で掴んだ答えは一生忘れない』
本シリーズ「今月のふりかえり」では、ソニックガーデンの顧問ライター長瀬が倉貫へのインタビューを通じて、現在進行形の...
とあるきっかけがあり、20年前に読んだ本「調理場という戦場」を引っ張り出して再読。やはり良い本だった。
当時は20代の後半で、少し仕事はできるようになった一方で、会社員として働いて、将来どうなるのか、どうしたいのかもわからずにいた頃に読んで、とても勇気づけられたことを思い出した。
自分の思いに真っ直ぐ、小賢しくならず、だけど愚鈍にもならず、自分の頭で考えて、だけど先達からは素直に学ぶ。そうして、ひたすら技術に向き合うことで、辿り着く先があることを知った。
その頃は仕事そのものが楽しかった記憶はなく、仕事で何かを達成したり、できることが増えることに楽しく感じることはあったけれど、それよりも、もっとできるようになることに必死だった。
料理とプログラミングに違いはあるけれど、技術に向き合う仕事人の姿勢には、なんら違うところはないと思う。どんな職業も、まずは技術に没頭し、突き詰めるところから。それが共通点かも。
プログラミングやソフトウェア開発の技術とプロセスにこだわりぬくことは、私たちにとっては大事にしていきたいことだし、そこに共感する人たちと働きたいのだ、と再認識することができた。
改めて読んでみて、当時とは少し違う視点で感じる部分もあるのは、この著者の方の立場や年齢に近づいているからだろうか。今の自分には、若い人たちに伝えられる言葉は持っているだろうか。
それは私なりに伝えていきたいし、今うちで働く若い人たちにとって、ここは厳しいけれど人生にとって得られるものが大きかったと後になって思える場を作っていければ、経営者として本望だ。
若い人たちに教えると同時に、私自身にも学びがあり、刺激をもらえて、まだまだ真摯に向き合える仕事があることに喜びを感じる。社員の誰もが、そんな風に思えるような会社にしていきたい。
いつか、こういう本が書けるようになりたいな。
今日のザッソウラジオでも話したけれど、仕事人生において、加減乗除みたいなフェーズがあるのは、自分のことを振り返ってもそう思う。
「納品のない受託開発」というビジネスモデルに辿り着くまで、思い返してみればシステム開発で仕事を始めてから10年くらいかかっていた。
社会人になって、システム開発の現場で苦労して、アジャイル開発に出会い、なんとか理想とするソフトウェア開発を実現したいと頑張った。
途中から、自分のやりたい仕事にこだわるのではなく、自分のやりたい理想にこだわるようになって、営業から管理職まで何でも取り組んだ。
その時々では、将来や未来とか、業界や社会のことなんか考えるわけでもなく、ひたすらやるべきことを一生懸命にやってきただけだったな。
どんな仕事も、せっかくやったことは意味があったと考えたいし、どんな意味があったかと後からでも見出せたら、やって損することはない。
たまたま独立して会社を作れるチャンスが得られた時に、それまで取り組んできたことが、「納品のない受託開発」みたいな形に昇華できた。
そう思うと10年以上かかってしまったし、目指してきたわけでもないけれど、時間をかけて積み上げていくのも、悪くないんじゃないかな。
そんな「納品のない受託開発」も始めて10年が経ち、少なくない実績もできました。お客さまと開発者が幸せになるモデルを広げていきたい。
そんな中で、よく受ける相談が「テレビ会議で顔を出さない人をどうすれば良いのか」「テレビ会議では顔を出したくないがど...
苦手な仕事と下手な仕事は違う。下手は状態なので訓練や経験によって上達できる。だけど、苦手は気持ちなので時間かけても変わらない。
苦手な仕事だけど、なんとか出来るようにと頑張るのは結構つらい。見てる方もつらい。苦手で下手だと、上達までの時間がつらいはずだ。
野球選手になりたいけど、野球が苦手なら努力はつらいものになる。果たして本当になりたいのか。どの職業でも似たようなことがある。
苦手を克服するのは、とても大変で、頭ではやるべきだと考えていても、心で感じていることと合っていないと、いつか心が折れてしまう。
下手でも苦手でなければ、人によって時間はかかっても、いつかは上達するだろう。その努力の時間も苦しくなければ、続けられるはずだ。
下手なうちは楽しくないのは同じ。けれど苦手で楽しくないなんて、たとえ修行だとしても耐えられない。苦手なまま上達することはない。
苦手なことからは逃げても構わない。頭よりも心に従った方が良いのではないか。心が先で、頭がついてくれば、時間をかけて上達できる。
それでも、もし苦手だけど、取り組みたいと思うならば、まずは苦手意識を克服することではないか。そもそも苦手と苦手意識は違うはず。
苦手意識は、苦手に感じていることだけなので、下手と違って一瞬で切り替わることもある。だから、最初は小さな成功体験から始めたい。
これまで商業出版で、何冊か書籍を出させてもらって感じたことは、編集者によって本の作り方・売り方が全然違ったということ。
編集者なので、文章を書く訳ではないけれど、書くこと以外の書籍作りのすべてを担ってくれる。書籍の企画から売るところまで。
この仕事は何かに似ていると思ったら、プロダクトマネージャの仕事だ。よく考えたら、抽象化すれば書籍もプロダクトなんだな。
編集者には、本を作ることは得意だけど、本を売っていくマーケティングが苦手だったり、自分の役割だとは思ってない人もいる。
だけど、プロダクトマネージャだとするならマーケティングまでやって、ユーザに届けてスケールするところまでが仕事といえる。
良い本を作ることも仕事だけど、本当のゴールは読んで欲しい読者に届けて、読者に何かしら良い影響を与えることなんだろうな。
プログラマが、自分の好きに作っても、ユーザが喜ぶサービスを作ることが難しいのと同じで、著者だけでは良い書籍は作れない。
プロダクトマネジメントは、ここ数年で知見が共有されるようになってきたけれど、編集の仕事はそうはなっていないように思う。
それが編集者によって非常にバラツキが大きい理由かもしれない。プロダクトマネジメントを参考に、もっと共有されると良いね。