心理的安全性は、単なる仲良しではなく、遠慮なく目的達成のために率直に意見を交わせることなのだけど、乱暴な言い方で良い訳ではない。
率直に意見を言うことと、乱暴な物言いをすることは別なのだ。言うべきことを言うにしても、丁寧なコミュニケーションを忘れずにいたい。
たとえば、仕事の品質で妥協しないよう、プロとして厳しさは必要となるが、厳しく伝える必要はない。ただ、優しくしろという訳でもない。
コミュニケーションは、厳しい優しいではなく、丁寧にすること。姿勢には厳しさや … もっと見る
心理的安全性は、単なる仲良しではなく、遠慮なく目的達成のために率直に意見を交わせることなのだけど、乱暴な言い方で良い訳ではない。
率直に意見を言うことと、乱暴な物言いをすることは別なのだ。言うべきことを言うにしても、丁寧なコミュニケーションを忘れずにいたい。
たとえば、仕事の品質で妥協しないよう、プロとして厳しさは必要となるが、厳しく伝える必要はない。ただ、優しくしろという訳でもない。
コミュニケーションは、厳しい優しいではなく、丁寧にすること。姿勢には厳しさや優しさがあっても、伝え方は丁寧であることが望ましい。
同じことを言うにしても、言い方ひとつで相手を傷つけたり、不快にさせて聞く気をなくさせたりする。伝え方は伝わり方に影響するものだ。
だからといって堅苦しさは要らない。丁寧さは、カジュアルさと併立できる。ざっくばらんに話すときでさえも、丁寧に伝えることはできる。
言いたいことを我慢するのも違うし、言うことに気を使うというのも少し違う。気をつけるのは表現の仕方、ユーザインタフェースの部分だ。
丁寧なコミュニケーションは、才能ではなく、スキルなので訓練すれば身につけられる。慣れてくれば、意識せずにできるようになると思う。
そう言いながら、若い頃はできてなかったし、今もできてないときもあって落ち込むこともあるから、反省と自戒を込めて。丁寧でありたい。